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#高安動脈炎闘病記 11

11.生きた花



こんな自分の元にも、いろんな人がお見舞いに来てくれた。
職場からは上司がやってきて、寄せ書きとお守り、そして納豆を。

定期的に家族も来てくれた。
4月の頭に無事長女が産まれた弟も、大変な中納豆を持ってきてくれた。こっそり馬刺しも。
納豆が食べれなくなる、と言うことは桜納豆も当然NGだ。
個人的には、馬刺しの一番美味しい食べ方だと思う。異論は受け付けます。好みなので。
まあ、もう退院した後なので、時効ということにして欲しい。どうせもう食べれないから。

継続して水抜きの治療をやりつつ(抜けるならより抜いたほうが良いので)、手術の日は近づいていく。
手術の3日前には、親友たちがやってきた。
一緒に熊本に帰ってきた、彼だ。

実は、彼はこの3月から親父さんと飲食店を始めた。
正確にいうと、元々あるお店のオーナーと親父さんが知人で、体力的にもお店を辞めようかと思っていたのだが、それなら、と親子でそのお店を引き継ぐことにしたのだ。
とても田舎にある、小さいけど線路沿いの良い店。ちゃんぽんが名物だ。
彼は、これまで一般男性程度の料理経験だったが、(親父さんは板前一筋)
そのお店をやっていくと決め、故郷へ帰ってきた。慣れない中華鍋を振る毎日。
たまたま地元テレビ局の取材を受けたそうで、その様子を画面越しにみたが、まだまだぎこちない。だけど、顔は真剣だった。

新たなスタートに、僕は病室から花を贈った。
そんな彼は今日、手に花を抱えている。

「いやぁ、かわいい花だったから買ってきたよ」

照れ隠しにしては下手すぎる。
それでこそ僕の親友だ。
退院したら、真っ先にちゃんぽんを食べに行く。

一緒に、もうひとりの親友も来てくれた。
彼も高校の時に出逢った友達で、音楽とお笑いが好きなやつだった。
高校一年生にとって一番最初のハードルが、友達に声をかけること。僕はこいつに声を掛けた。お互い、違う中学校で野球をやっていた。いろんな共通点を見出し、そこから仲良くなった。同じ部活のひとつ上の先輩と付き合っていて、僕もその彼女の友達といい感じだったから、Wデートと思ったら友達が別れたりしたこともある(現実はうまく行かない)。
お互いにギターとベースを買い、先の親友はドラムセット(練習用)を買い、
3人でバンドを組んだこともある。
当時流行っていた漫画「NANA」に影響されて、「BLACK CARAMEL」と言う名前をつけた。
ただ残念ながら、上達する道筋がみえず。
楽器を置き、気づけば僕らは草野球をやっていた。

とまあ、そんな友からはどろっどろの硬式野球ボールを渡された。
ボールにはここにいない友達の分も名前が書かれていた。




実は生花は病棟内には置いておけない。
患者のアレルギーなどもあったりする場合があるので、泣く泣く翌日家族に持って帰ってもらった。

花言葉は「希望」。

もうすぐ、変わる。

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