#高安動脈炎闘病記 20
20.しるし
二度目の入院前に、また少し遠出をした。
色々な用事の「ついで」といえばそうなのだが、久しく行けていないその場所に、ずっと行きたいと思っていた。
僕は、一緒に闘った仲間を2人亡くした。
どちらも温かく、ちょっと一癖あるお世話焼きな人だ。
キラキラと輝き、赤く光ったかと思うと見失ってしまった。
どちらも、実際に関わった時間はわずか過ぎる。
ひとりは、僕を仲間に入れてくれ、そして認めてくれ、周りに認めさせてくれた。
パワフルで妹想いの人だった。
絶対に交わることのなかった人だと思うほど、それはそれは破天荒な彼と
同じ楽しみを共に味わい、歓喜し、時には共に悔しがったり。怒ったり。
たくさんの気持ちを肴に、たくさんの酒を飲んだ。
彼が去った後、もうひとりは僕らの仲間になった。勇気を出して飛び込んで来た歳上で後輩の彼は、苦しみながらも闘った。人の笑顔が好きで、人のために汗をかける人で、もてなすことが好きな人だった。
彼の作る料理が大好きだった。
葛藤しもがく姿に勇気を貰い、励まし合った。
どちらも、志半ばで命を散らした。
たぶん、彼らの描こうとした物語はそうじゃなかった。
なにも難しくない、ハッピーエンドの物語を描いている途中だったことを
僕は途中まで読んでいたから知っているんだ。
この日は、迎え入れてくれた兄貴の元へ行くことにした。
いつもだったら手を合わせて、記帳してそのまま帰るのだけど、
その度に妹さんやお母さんから、連絡して欲しかったと言われてしまうし、近況報告のいい機会だから連絡はしておこうと思った。
道中で連絡をし、供物を選んでいる時に妹さんから電話が鳴り、それなら自分もお墓に向かうと言うのだ。
お墓は彼女のいる駅からやや離れた場所にあるし、それは申し訳ないのでというと、昼食のお誘いをいただいた。
急に声をかけているのに、それじゃあ悪いと思いつつも、それで引く人ではないことは知っているので、そっちの方が少しでも負担が少ないかと思い、僕は駅に向かった。
妹さんも色々と苦しんだ中、兄の元で共に暮らしていた。
踏み出そうとした矢先の別れとなってしまった。
そのショックは大きく、一時はとても不安な状態だったのだが、なんとか戦って乗り越えた。
数年ぶりにお会いする姿は、スーツ姿で働くキャリアウーマンだ。
急な呼び出しの形となってしまったにも関わらず、嫌な顔せず彼女の過ごす日々の話や、自分の話をしながら食事をした。
食事をしている間に、お母さんが駅まで辿り着いた。元々眼を悪くされていたお母さんも、この数年でさらにいろんなご苦労をされたそうだったが、変わらぬ笑顔で迎え入れてくれた。
2人は、お墓参りへもタクシーで行きます、向かいましょうと言うので、いや僕車ですのでそれでは一緒に向かいましょう、乗ってくださいと、そのまま共にお墓参りに向かうことにした。
道中でもいろんな話をして、兄も好きだった野球の今年の情勢について笑いながら話しているうちに、墓苑へ辿り着いた。
最新鋭の施設で、ボタンひとつでお墓参りをすることができ、火を使わずにお線香をあげることができる(正確に言うと線香ではない)、冷暖房完備で屋内型のとてもハイテクな墓苑だ。
ローテクなアディダスのスニーカーを好むタイプの美学を譲らなかった彼も、ここまで近未来だと笑って認めていると思っている。
墓前にこれまでとこれからについて報告をし、せっかくなのでと持ってきた、彼と野球観戦に行った時に買ったタオルを持ってお母さん、妹さんとそれぞれ笑顔で写真を撮った。
その後、2人とも駅に戻るというので、送るというと遠慮されてしまうので、駅方面に用事があるから乗って行ってくれと
咄嗟に出たご当地グルメのことを話すと、
それは奥に入ったところにあるから大変なので、買ってきてあげるからとかえって余計な気を遣わせてしまうことになった。
世話焼きで温かいのは、やはり家族譲りだったようだ。
僕は、生きて闘わないといけないんだ。
彼らが生きた、生きて描きたかった物語のゴールは同じように描けないし、
僕の描きたいものとは多分違う。
それでも、僕の物語には彼らが「生きたしるし」がにじむほど力強く、色濃く押されている。
それはもう僕の物語の一部なのだ。
上手に続きを描けるかわからないが、僕の物語は最後まで描き終えて、最後のページまで滲んだインクと共に、めでたしめでたしの絵を完成させたい。
きっとあなたたちは言う。
背負うなと。
違う、背負わされてるんじゃない。
僕がこの先、持っていきたいんだ。
僕の、生きるしるしだから。
今度は、もう一人の兄貴の所に行こう。
まったく、世話が焼ける。
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