3着のワンピース
実家の押し入れの上から、子供服の箱が見つかった。引越しを見据えて、この夏、整理している最中のことだ。
中には、生なりクレープのシンプルなワンピース、真っ白なフリルとレースたっぷりのワンピース、そしてピンク色のフリルのワンピース。
その夏、母は一学期の終業式が終わって帰ってきた私と兄を連れて、実家に戻った。あるいは終業式まで待たなかったかも知れない。
離婚したいという母に、戻ってこい、何とかなる、と祖父は言ったらしい。最後の給料袋の封を切らずに、航空チケット代として、彼は娘に送ってきていた。
父は、迎えにも来なかった。だから私たちは夏休みいっぱい、のんびりと祖父母宅で過ごした。私は一年生だった。泳ぐ練習にと、祖父は何度も私たちをプールに連れていこうとしたが、雨ばかりの夏で、思うにまかせなかった。
小雨の中で泳いだこともある。一度は、ホテルの屋内プールに連れていってくれて、そのあとハンバーグ専門店に連れていってくれた。ナイフとフォークで困惑していたら、「なんだ、使えないのか」と言って、祖父は、一口大に切ってくれた。
毎日、祖父の育てている小鳥を見た。セミとりにも行った。祖父は、スイカを抱えて帰ってきた。暑い夏に食べるスイカは最高だった。太陽ホエールズファンの祖父に連れられて、野球を見に行き、不満げに帰ってきた兄の顔も、覚えている。毎日、楽しいことばかりで、帰りたくなかった。「うちの子になるか?」と祖父は、私をあぐらのなかに入れて座りながら、聞いた。
どうなのかな。お父さんは、寂しくないのかな、と私は思った。
母と伯母に連れられて、デパートに行った。主に大人二人で盛り上がって、ワンピースを選んだ。母と伯母で一着ずつ買い、捨てがたいもう一着をめぐって、彼女たちは祖母に電話をかけた。「私も一着買うわ」と祖母は言い、私はいきなり、素敵な衣装持ちとなったのだった。それが、冒頭の3着のワンピースである。
学校もあるから、とにかく一旦帰るわ、と母は祖父母に言ったという。二学期の直前に、私たちは家に戻ってきた。二学期が始まってほんの数日後、ある朝電話が鳴った。祖父の死を知らせる電話だった。
「この人がおじいちゃんを殺したんだ!」と父を指差して叫びながら、母は立っている私の膝にすがって、泣いた。
白いワンピースを着せられ、飛行機にのった。スニーカーのほかには、赤いエナメルの靴しか、持っていなかった。「おじいちゃん、赤い靴でごめんね」と母が声をかけながら、祖父母宅の玄関に入った。そのときの赤い靴も、このたびの片付けの最中に出てきた。
暗く、雨混じりの、しかし北国よりずっと暑い、夏。子ども時代の終わりが始まった記憶である。
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