「LISTEN」を読むべき理由3つと気づきを3つ
まだ、この本を読んだことのない人へ、
はじめにことわらなければいけません。
この本を読んだからと言って「知性豊かで創造力がある人になれる」わけではありません。
「LISTEN」とはそんなたやすいことではありません。
著者は「聴くことには努力が必要」、「聴くことを学ぶ必要性がある」、
「優れた聞き手になるには注意力、集中、経験が大切、聴く力には鍛錬が必要」、「聴く力はやる気と練習次第」などと随所に書かれています。
かなり体育会系なマインドではないでしょうか?
「LISTEN」を読むには、その時間、空間、心と頭の余白が必要です。
でも余白を充分に満たしてくれ、何回読んでも味わいのある本です。
正直難しい本です。それでもやはり、せっかくアメリカの、著名な、世界中から多くの方の話をLISTENされたジャーナリストであるケイト・マーフィ氏が書かれた著作が、篠田真貴子(監訳)さん、松丸さとみ(訳)さんのおかげで日本語で読めるのですから、読まずにはいられません。
読んで確信したのには3つの理由+αがあります。
1.LISTENができている人は少ない。でも学べばできる。
2.LISTENできると人生が楽しくなる。
3.LISTENは自分を成長させる。
+α. LISTENするのは日本人有利
さて、記す前にLISTENの定義を、監訳者はじめにより引用します。
LISTENとは、能動的に耳を傾けること。さらに監訳者の篠田さんは「LISTEN」には
「話し手が語る内容をわたしの考えと合っているか違うかを判断しながら聞く姿勢」=with judgement
と
「聞き手がいったん自分の判断を留保して話し手の見ている景色や感じている感覚に意識を集中させる姿勢」=without judgement
のふたつがあり、後者を「聴く」としています。
(参考)noteにおける篠田真貴子さんの記事
【「LISTEN」を読むべき理由】
1.LISTENができている人は少ないが学べばできる
話をきちんと聞いてもらったことを覚えている人は、はたしてどれくらいいるのでしょうか?そして、話の聞き方を教わったことのある人はどのくらいいるのでしょうか?
スマホを見ることで会話をしなくてすみます。楽です。でも孤独と表裏一体です。聴く力も機会も失います。
犯罪学者らの研究によると、殺人犯の共通点は精神疾患ではなく憂鬱で孤独、話を聞いてくれない、理解してくれないという共通の感覚を持っていたのだそうです。
話を聞けない大人が子どもに「聞きなさい!」などというのは、おこがましいとすらいえないでしょうか?
子どもは、学齢期に入る前に大人に「話をきいてもらえた」という実感があってはじめて、学校で先生の授業を「聴ける」のかもしれません。いっぽう先生は子どもたちが「聴きたくなる」ようなかかわり方が必要なのかもしれません。
LISTENは学べばできると本書に書いてあります。
大人が今学ばずして、いつ学ぶというのでしょう?
話を聞いてくれる大人を子どもたちは求め、聴いてくれるのではないでしょうか?
相手の頭と心の中で何が起きているのかを分かろうとすること、そして相手を分かろうとすること、分からないからこそ「分かろうとする」気持ちなんですね。
2.LISTENできると人生が楽しくなる
人は誰しも自分の話を聞いてもらいたいのかもしれません。
赤ちゃんは泣くことで、かまってもらおうとしますが、一方聴覚というのはずいぶん早くから発達しています。
実は大人になると、自分に関心を持ってもらおうとするよりも、他人に関心を持って過ごす方が多くの人の話を聞くことができるということに気づきます。
聞くことが人生をおもしろくし、自分自身も楽しくなります。
楽しい話を聞くと人生が楽しくなります。
要は人の話をおもしろく聞こうと思えばおもしろくなるし、つまらないなーと思えばつまらないということです。
自分が経験したり考えたりできることはたかが知れてるけど、他人の想像もしなかったような話がきけると、豊かな気持ちになります。
3.LISTENは自分を成長させる
ネットで見聞きする情報は、誰もが発信できる今の世の中、ある意味民主的でもあるけれど、自分が見たい記事だけが選ばれて受信できて非民主的でもあります。
誰しも簡単に批判やマイナスな発言はできるけれど、自分は批判されたくないし、非難されるのは恐怖です。
だからこそ、自分の意見を主張しすぎず、でも反対の意見を聞くことは大事なのかもしれません。
AIにはまだそこまでの能力はないでしょう。
+α. LISTENするのは日本人有利
アメリカ人は会話の沈黙が怖いのだそうです。
アメリカ人の沈黙の限界は平均して4.6秒、対して日本人は8.2秒。
よく日本人は授業や会議で発言しないから何を考えているのかわからない。発言しないのは理解してないのと同義などというのが、英語ネイティブの方々に考えられている日本人のイメージなのかもしれません。
でも、誤解を恐れずに言えばそれは、英語ネイティブアメリカンの方々が主義主張を貫くことで、LISTEN力を発揮できていないのかもしれません。
じゃあ、日本人どうなのよというと、確かにシャイで何考えてるのかわかりにくいのかもしれません。
ですが、英語を学習しているとき、割合的に話す機会は少ないけれど、それでも英語を話してる時は、「LISTEN」されている実感を持つことができています。
そして一度でも自分の英語が相手に通じた時、相手とつながった喜びを感じることができます。
これは英語ネイティブの方々には感じにくいことなのではないでしょうか。
しかも総じて日本人は英語の苦手意識が強いから、一生懸命相手の話す英語を聴こうとするし、話せない分一生懸命理解に努める、これって立派な「LISTEN」です。
とはいえ、つい意識しないと「次何を話そうか?」と考えがちで、そう考えたとたん相手の話がLISTENできなくなってしまうので、英語がつたなくてもいいのだとにわかに自信が持てました。
日本にいるノンジャパニーズの方が流ちょうに日本語を話すのを尊敬しますが、それはその方々が一生懸命努力されたのはもちろんだけど、日本人がたどたどしい彼ら彼女らの日本語を一生懸命理解しようと聴く国民性があるから、親日的で、日本語の上手なノンジャパニーズの人が多いのではないでしょうか?
【「LISTEN」を読んで気づいたこと】
①この「LISTEN」という本の読み方
紙の本は分厚いし、チャプターが18もあります。
各チャプターのエピソードもおもしろいし、読み甲斐はあるのですが、かなり時間はかかります。
わたしはLISTENという言葉の定義を前述で引用したように
「読者であるわたしは、いったんわたしの判断を留保して著者の見ている景色や感じている感覚に意識を集中させる姿勢」
で読みました。
つまり著者の書いたことをjudgementせず読みました。
さらにこの読み方をしたことで、わたしがこれまで読んできた本も
・わたしの考え方と合っているかちがっているかを判断しながら読める本
だったり
・わたしの考えをいったんどこかに置いといて、著者の世界に集中して入り込める本
が選書のきっかけだったのではないかなと気づきました。
LISTENは耳を使う行為だけれども、わたしは目を使って、読むことをLISTENするようにとらえて理解していきました。これは耳読とは異なります。
②「LISTEN」=きく とは
「LISTEN」とは日本語に訳すと「きく」です。
「きく」という行動は、本書にある「聞く、聴く」という意味以外にも
効く(=効果がある)、訊く(=たずねる)、利く(=役に立つ)などの同音異義語がありますが、この本を読むとこれらのニュアンスも含まれたことなのではという気もします。
さらにさらにこじつけるならば、「きく」というのは「気」を「食う」、つまり相手の「気」を両耳を使って「いただく」ことにも通づるのではという思いにも至りました。
③読んでほしいのはこんな人
過去の自分に、話を聞けてなかった自分に読んでほしいです。
10年前にこの本と出会っていたら、もしかしたらもしかしたら、離婚せずにすんだかもしれないです。
20年前にこの本と出会っていたら、子どもたちへの向き合い方は変わっていたかもしれません。
20年前にまだスマホを持っていなかったことは、わたしには救いだったかもしれません。
30年前に出会っていたら、親の言うことが聞けていたかもしれません。
とはいえ、この2021年、孤独な時間、空間ができたからこそ、この本に出会ってじっくり向き合えたともいえます。出会うべくして出会った本なのかもしれません。
そんなふうに、過去の自分に向き合いたい人にお勧めします。
さらに、この本を両親にプレゼントしたいと考えています。
長年健康自慢で80歳になっても薬いらずの父母ですが、父は聴力がおとろえて、情報は目から仕入れています。最近やっと補聴器を使うようになりましたが、聴力の衰えに不安を感じているようです。
そんな父と暮らす母は父の聞き取れない言葉を通訳する役割になんだか疲れを見せ始めています。好奇心旺盛で話を聴くのが好きな人です。きっと共感してくれそうです。
+α 気になったこと
大変有益な内容ではあったのですが、本書では他人のうわさを肯定する論調で進められていてそこだけは、わたしには受け入れ難かったです。
他人のことを事実だけできければよいのですが、うわさというのはきいていてあまり気分のいいものではありません。著名人の不祥事などもニュースなのかもしれませんが、有益とは思えないし、人間観察学習の延長とは思えないのです。
わたしたちは、自分の気持ちを伝えることよりも、相手の話を聞けばよかったと、後悔するのだそうです。
だからこそ、わたしは誰の話を聴くか、誰の話を聴かないか、自分で選びます。
最終チャプターは「聴くことは学ぶこと」とあります。
わたしはこのフレーズがいちばん響きました。
人生すべて学びであると、聴くことで愛し愛されると、そんなふうに感じました。
秋の夜長、何度でも学びのある一冊でした。
To be continued・・・
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