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「メイドの手帖」を読んでみた~全米ベストセラー、バラク・オバマ前大統領推薦の書

「メイドの手帖」
副題:最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語
を読んでみた。

内容は副題のとおり。

「最低賃金」、「トイレ掃除」、「シングルマザー」どれも決して幸福な単語とは感じられないけれど、著者はきっと、同情を買いたくてこの本を書いたのではないだろう。

わたしは思う。わたしがお金持ちになって、家仕事を外注できるくらいかせげるようになったとしても日々のそうじは自分でしたい。

多くの日本人は自分の家は自分で掃除することがあたりまえになっているし、他人の家の掃除をすることが屈辱的かどうか?は、かつて小・中・高校と学校のトイレを掃除してきたこと、職場でもトイレ掃除があったことを思い出すとわたしの場合はそこまで屈辱的とは感じなかった。

実際今「そうじのおばさん」をやっているが、契約を結んだとき、雇用主の同世代の女社長からは「あなたにできますか?」と聞かれた。わたしの履歴書をみて、過去にCAという華やかな(と一般的には思われる)仕事をしてたあなたができるんですか?という皮肉のようにも聞こえた。

アメリカナイズされた考え方が日本でも常識になっていくと、今後忙しい一般家庭でも家事の外注、特にやりたくない家事と思われがちなそうじの仕事は他人がやるということが珍しくなくなっていくかもしれない。
そしてそれらの仕事は低く見られがちだ。

でもこんまりさんが片づけを禅の思想にもっていって「cool!!」と絶賛されたように、掃除もcoolな行動であるとわたしはかんがえる。

なにしろ
★そうじは全身のエクササイズである。
★きれいにするという行動は達成感が目に見えてわかる。
★物質をみがく、きれいにするという行為は自分の心もみがき、きれいになる、というスピリチュアル的効果も感じられる。

わざわざ、掃除ロボットを買う必要もないし機械はパーフェクトではなく人間の五感にはかなわない。

そう、もう一つ!
★そうじは五感をつかう。

おそらく歴史的に欧米人は「使用人や奴隷にさせてきた」仕事、日本でもステレオタイプ的に「女に押し付けてきた」仕事なのだ。
実際、今わたしも最低賃金ではないがほぼ最低賃金に近い金額ではたらいている。
時として、「なさけない」、「なんでこんなことをわたしが」、「わたしはおちぶれたのか」、そう思うことがなくはない。
しかし、そうじは前述した以外にも実にクリエイティブで、どこをどの順番できれいにするかとか、洗剤の違いでどのように仕上がりがかわるか?とか、時間内にどれだけできるかとかいろんな考え方の工夫ができる。
さらに、人が歩けば埃が舞い落ち、髪の毛は抜け落ちる(特に髪が長いのは女性)。モノを買えばゴミが出て、モノがある以上汚れは存在する。見過ごしがちなこれらのことは床を這いつくばれば一目瞭然、誰しも気づかされることをふだん見過ごしているのである。しぜんと自分の業のようなものに気づかされる。どんだけわたしは業の深い人間なんだろうと。

そうじという仕事が性別や身分を問わず、cool!!と絶賛されるようになる時、見えない差別や偏見は消滅とまではいかなくとも薄まるのではないかなー。

そして、そうじという仕事にもっとクリエイティブさを打ち出し、高賃金で高付加価値を見出すにはどうしたらよいのかと考えたりもする。

さらに本書はシングルマザーによって書かれた本である。日本人が考えるシングルマザーは様々なことを我慢しているイメージがあるのだが、著者はシングルマザーであろうとひとりの人間としての自分のやりたいこと(勉強だったり人付き合いだったり)をしており、不本意な扱いを受けたと感じたらそれを主張しているところは、シングルマザーかどうかにかかわらず、見習いたい。ただ、子どもの体調不良に対し安易に薬漬けにしてしまってるように思えるところは、もうちょっとていねいにこどもとむきあったらと言いたくなるところもあった。結局は気持ちと時間の余裕なのでこれもシングルマザーかどうかにかかわらず、母という生き物は常に不安で不安定な存在なんだということを改めて思う。夫婦で助け合っていける人たちはそれでよいかもしれないが、そうでない人たちが相談できる、頼れる、甘えられる時間、空間、環境が必要なのではないだろうか?

自分がその一助になりたいと、この本を読んであらためてその思いを強くした。


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