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【独立・起業のリアル】<序の章 No.12>若き起業家を「生み・育てる」活動を独自に実行、そして継続
一九七一(昭和四十六)年創業の会社の経営も幸いなことに短期間で軌道に乗り、日常的な業務に多少とも余裕が生じてきた頃、先輩経営者に誘われ、東京商工会議所千代田支部と神田法人会に入会しました。
メンバーの方々はどちらも、地元の老舗企業の二世などの後継者で、年齢的にも六十代以上の方が多く、私のような地方出身で脱サラから起業した四十代後半の人は少数だったと記憶しています。
当然ながら、地元の二つの団体はメンバーもダブっていました。月一回の例会に出席しましたが、主としてゲストスピーカーの方のテーブルスピーチが三十分ほど、その後の話題は主として会員増強が多く、私の期待した地元千代田区の商工会の将来像や展望の話題が少なく、いつも傾聴に努めていました。
また、その席ではいつも会員増強についての話のなかに、現会員に対して各二名の入会勧誘がノルマだという話があり、私は昔サラリーマンの時に証券会社勤務の経験から、この「ノルマ」の話には非常に抵抗感がありました。ですから、皆さんの話を傾聴しながらも、このような付け焼刃のような弥縫策(取り繕った策)を論じていても、会員増強の根本的な解決策にならず、要は当地域における法人数を増やすためには、先ず活力と魅力のあるまちづくりに官民が協力して手がけ、その結果としてどうすべきかを本当に皆さんと真剣に討議する必要を感じていました。
しかしながら、入会経験も年齢的にもしゃしゃり出ることは控えていました。そこで、私は代案として地元千代田区の街を活性化させる手段、また法人数を増やす具体策として、この地で新たな若き起業家(アントレプレナー)を生み、育てていく必須性が大いにあると感じました。それは私自身が若き日に上京し、サラリーマンとしてスタートした職場がこの千代田区神田地域だったことでした。
その後、中小企業に転職して、起業した地も同様で、この地に大いなる「縁」を感じ、愛着もありました。そこで、「アントレプレナーのまち千代田区」をスローガンに私自身のライフワークとしても、その実現を目指して具体的な社会貢献活動を独自に遂行することを決意しました。
以前より、私自身は次に続く若き志をもって事業活動に取り組んでいる人たちのために、物心共に支援を開始していました。また、二〇〇五(平成十七)年一月を第一号とするウェブ上の筆者のメールマガジンである「S/magazine」で「起業アドバイザー便り」の掲載をスタートさせました。
(続く)