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統合失調症患者が思う、自分でも知らない自分について
覚醒について
何となく自分も限界かなと思う歳になってきている。
つまり、肉体的に衰えてきている。
ところが、何だかんだでそれを乗り越えてきているという事実がある。
これは何だろうかと考えると、新しい自分の発見とかそういう事であるのだろう。
自分は追い込まれるたびに覚醒しているようだ。
と言うか、今まで自分だと思っていた自分という人格は割と保守的な自分の思い込みだったのかもしれない。
それは、特に誰かに教えられて覚醒している訳ではない。
或いはそういう宗教的なものではなく完全に個人的な感覚だ。
スーパーサイヤ人(サイヤ人)的な
例えると、スーパーサイヤ人的なものだろうか。
それは死にかける度に戦闘力が上がる的なものである。
なので、最近では自分をもっと追い込んだ方がいいのではないだろうかと思っている。
ドラゴンボールでは、確か孫悟空は自分を追い込んで戦闘力を上げていた。
それはスーパーサイヤ人だけではなく、人間も追い込まれるたびに能力が向上すると考えていいのではないのだろうか。
つまり、人間の場合体力の衰えが寧ろ知力の向上に繋がったりしているのだ。
もう駄目だろうと諦めかけると、そこからまた自分だと思っていた能力や人格が進化し始める。
失敗や失うものが多いほど
失敗するとか何かを失うとか、そこが人間の終わりではない。
人間はそこから更に進化する。
何かを失えば失うほど、或いは失敗をすればするほど人間は進化する。
それは、正にスーパーサイヤ人である。
人間においては特に戦闘力が上がる訳ではないが、知力とか人格とかが変化して行く。
今まで分からなかったことが分かるようになるし、限界だと思っていた地点より更にその先まで進めるようになる。
そう考えるとまだ自分は今まで自分に甘かったのかもしれない。
アラフィフは、まだ限界じゃないみたい
ずいぶん以前から自分が枯れてきたように思っていたが、それは物質的なものであって精神的なものではない。
精神的に人間は、幾らでも向上するし覚醒する。
言い換えると、危機感を覚えるとかそういう事になるのだろうか。
人間は危機感を覚えるほどに追い込まれると、新たな能力が覚醒するようである。
そう考えると結局、自分がもう駄目だと思うくらいの負荷をかけた方がいいのかもしれない。
そういう訳で、アラフィフはまだ通過点である。
下降して行く体力とともに、知力や精神力はまだ向上しているので。