統合失調症と論理
戦略的なマイナス思考
あくまでもマイナス思考は戦略的な問題だ。
或いは、論理的な問題だ。
自分は結局、戦略的で論理的な思考をマイナス思考と呼んでいる。
自分はできる事とできない事の区別をつけている。
プラス思考はできない事をできると思い込ませているようだが、自分はただできない事はできないと考える。
つまり、叶わない夢は見ないのだ。
冷静に見て、自分には何でも可能だとは思わない。
何でも可能だと思っている人は願望が叶わないとそのたびに他人に文句を言う。
他人に文句を言っても、何も変わらない。
できない事をできるようにもならない。
プラス思考は無根拠
根拠もないのに、前向きに考えた方がいいとかありえない。
物事には根拠が必要であって、マイナス思考の人は論理的に考えるけどプラス思考の人は論理をすっ飛ばして考える。
論理的じゃない人達が支えにしているのは、つまり無である。
それは何となくとか漠然ととかそういう事である。
しかし、自分はそうは考えないのだ。
自分はどうしてもその根拠を探してしまう。
意味があるのだろうかとか、何か得をするのだろうかとか。
無根拠に自分にはできるとか自分は勝てるとかそういう見方は止めた方がいい。
現実は雰囲気で乗り越えられるほど甘くはない。
期待しない方がストレスも少ない
できると思って結果的に駄目だと結構落ち込む。
なので、自分は初めから特に期待はしない。
重要な事は、そのメンタルの持って行き方だ。
最初から駄目だと思っていれば精神的に負担は少ない。
期待すればするほどまとまったストレスが返ってくる。
だから、自分でできる事を自分のタイミングでやるだけだ。
叶わない夢は見ない。
自分は確かに夢のない人生を送っている。
しかし、その分それなりの結果は出ている。
それはただスペックの問題ではなく哲学の問題である。
頑張っても、所詮は障害者
夢を見ても何もいい事はない。
統合失調症が完治するとか。
統合失調症が治るのだとしてそれは偶然の問題だ。
と言うか、今論じているのは根本的な哲学とか考え方が重要なのであり偶然的な結果を気にする必要はないという事だ。
コントロールできないものをコントロールしようとする人間は、その時点で既におかしい。
自分は気が付いたら何時の間にか精神障害者になっていた。
そんな人生誰も送りたくはないが、それは取り換えの効かない人生なので仕方がない。
自分は所詮、統合失調症患者だ。
コントロールできない筈の物事をコントロールできる能力など少しも授かってはいない。