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統合失調症患者が思う、集中力の向上について

まず、好きな事を見付ける

好きな事をやるという事がこの問題の結論である。
集中力を身に付けたいのならばひたすら好きな事をやる事だ。

嫌いな事をやっていると気が散る。
他の事が気になって仕方がない。

嫌いだけど乗り越えたいとか、それを選択するのはいいが実際集中力は身に付かないし効率も上がらない。

なので、のめり込む或いは没頭する為にはまず好きな事を探す必要がある。
そして、それを選択する必要がある。

仕事でも学問でも自分でやりたくてやっているのであれば明らかに効率は上がる。

原因はどう考えても統合失調症?

統合失調症の自分には集中力がない。
ここまでくるとやはり問題はそこだ。

だから、最近では自分はその集中力を向上させる為の努力をしている。
以前は自分でそれに気が付いていないところがあった。

若い頃は病識が曖昧だった。
しかし、最近思う事は相変わらず気が散っているという事である。

結局、生活或いは人生においてやらなければならない事に集中できていない。
そこで思い至ったのが、そう言えば持病があった、という事だった。

ここまで何十年も集中力が身に付かないのは、どう考えても統合失調症の影響である。

逆に、嫌いな事をやっていては

或いは、逆に嫌いな事や苦手な事をやっていては集中力は向上しない。
と言うか、それは説明しなくても既に「当たり前だ」と思われているかもしれない。

なので、結局嫌いな事は捨てた方がいい。
自分は今まで苦手を克服するという意識が強過ぎたようだ。
つまり、苦手を克服するのは理想論だ。

暇な人ならそれを試みてもいいが、時間がないなら好きな事に専念するべきだ。
効率を考えると次第に圧倒的な差になってしまう。

人間が好きな事に没頭する力は破壊的なものがある。
だから、迷ったらひたすら好きな事の方を選択する必要がある。

好きな事しかやらなくても生きて行ける

という訳で、自分は最近では好きな事しかやらない。
或いは、やりたい事とか。

仕事をする事も、noteやXを書く事も、買い物をするのも電車に乗るのも歯科に行くのも家事をするのもシャワーを浴びるのもトイレを掃除するのも結局は好きだから、もしくはやりたいからやっているだけだ。

実際自分は47年以上生きているが、今となっては苦手な事を克服しなければならないというのはただそういう錯覚だったのではないだろうかと思っている。

好きな事ややりたい事だけをやっていても人間は生きて行ける。
なので、自分はとりあえず嫌いな事ややりたくない事は止めた。

それで今のところ特に問題は出ていない。

と言うか、統合失調症だとかそういう人生における極端なマイナス要素を乗り越える為には、そのくらいやらなければ現実的に効果がないだろうと少なくとも自分は思っているのだが。

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