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統合失調症を寛解させる為に自分がした事は

そもそも何もしていない

残念な話だけど、統合失調症を寛解させる為に自分がした事は特にない。
気が付いたら寛解していた。
なので、何時頃から寛解していたのかも知らない。

ある時気になって医者に聞いてみたら、既に寛解していると言われたのだ。
嬉しかったと言えば嬉しかったが、そこを目指していた訳ではなかったのでそれ以降もそれまでと同様の生活を送っている。

元々、幻覚とか自傷とかもなかった。
ただ時々うちで暴れたりしていた事があったので、被害妄想とか他害はあったという事になるのだろう。

ただ働いていた

自分はずいぶん入院したりうちに引きこもっていたりしていて、ある時からふと仕事がしたくなった。
そして、既に寛解していると言われた時には普通に働いていた。

こうして今noteに記事を投稿したりしているが、その時には既に寛解していた。
最初は、KindleとかXとかに投稿していた。
4年以上前の話だ。
それで今から2年以上前には、noteにも投稿するようになっていた。

それにしても常識的に考えて、働いているという事は寛解していると判断される一つの要素であるとは思う。
それが全てではないが。

或いは、SNSとかに興味を持ち始めたのも回復してきた為だったのかもしれないとも思う。
自分の記憶だと、既に寛解していると言われたのはXやKindleを始める直前辺りだった。

寛解しても所詮は障害者

寛解しても未だに障害者だし、薬も使っている。
なので、自分としては不自由である事に変わりはない。
精神障害の等級が3級になった時以降、既に障害年金は切られていたし。
それは、もう10年以上前の話だ。

その代わり基本的に普通の人と変わらない生活を送っている。
寛解の場合、再発さえしなければ特に問題はない。

と言うか、結構寛解を目指している人がいたりしてそれはそれでいいとは思うのだけど寛解は所詮寛解であって、だから結局障害者手帳もまだ普通に発行されたりしている。

つまり寛解しても障害者は障害者であり、だからそれは自分にとっては一つの通過点でしかなかった。

寧ろ、日常生活においては忘れている事が重要

結局何が言いたいのかと言うと、寛解は目指すようなものではないという事だ。

ある意味そんな事を気にしないで生活していたから寛解していたのであり、変なところで固執していると変な事に拘る人だと判断されかねないと自分は思うのだが。

なので、それでも寛解したいという人に何か言える事があるのだとすれば、結論としては寧ろ日常生活において別の事に熱中していたので忘れてましたぐらいが丁度いいのではないだろうかという事だ。
寛解しても、その後の人生は特に薔薇色ではないのだろうし。

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