生きるを感じる、漁村インターンシップ。|生きる行脚#1@三重
休学を決めて1週間、一次産業の世界へ飛び込むと言ってはみたものの、その入口を探していた。
2月18日、朝。寝起きにボケーっとしながら眺めていた高橋博之さんの「歩くラジオ」、ゲストに秋田県最年少船長の佐藤栄治郎さんを迎えた中、高橋さんの中継先である三重から顔を出していたのが、今回お世話になった有限会社 友榮水産の橋本 純さんであった。
鯛と一緒に泳ぎたい!「命をいただく」感覚を体験したい! と思った。
また、ポケットマルシェのアプリの自己紹介には、
と書かれていて、「一体どんな人なんだろう…」と好奇心をくすぐられた。
「受けれるところは受けまくるって言ってたし、フランス人も行ってたみたいだからたぶんなんとかなるでしょ!いける! 」
という勢いそのまま、商品を購入した訳でもないのにポケマルの商品ページから「出品者に質問」ページへ飛んで、「出品者に問い合わせる」機能をメール代わりに使ってSNSや電話番号などのありとあらゆる連絡先を貼り付けてインターンのお願いをした。
そして、その日のうちにFacebookから連絡が来てインターンを受け入れていただけることとなった。
3月11日。バスと電車に揺られること約19時間、夕方5時半ごろに目的地である三重県南伊勢町阿曽浦に到着した。
翌朝、5時から出荷作業があったけど、漁業について右も左も分からない僕はどうすることもできず、鯛がカゴに詰められていくのをただ呆然と眺めているだけだった。
出荷作業が終わり事務所へ戻ったとき、その場で軽く挨拶をした。漁師さんからいろいろ話しかけられ、聞かれたりしたが、聞き慣れない関西弁とその地域特有の南島弁という方言で話の半分くらいは聞き取れなかった。
言葉を理解するのに苦戦する僕の様子を見た純さんに、「言葉分からんやろ? 最初は聞き取れんかもしれんけど、1週間もしたら段々慣れてくるから大丈夫やよ。」って言われたけど、「こんなとこで2週間も生活できんの? 思ってた以上にヤバい所に来たな…。ほんとにフランス人なんていたの…? 」と内心思った。
とにかく、自分のいる場所は三重県のどの辺りかも分からないし、言葉も分からないしで、「全てが分からない」状態で漁村インターンは始まった。
漁師さんって、すげぇ…。
日ごとの出荷する量とか取引先への到着時刻とかにもよるけど、出荷作業は早いと5時、ゆっくりめだと6時から1~2時間ほど行われる。
まず船で港の岸壁近くまで生け簀を持ってきて、鯛をタモですくって選別台にあける。それから、1匹ずつ目がつぶれていないか、頭が腐っていないか、奇形じゃないかなど状態を見ながら手際良くカゴに入れていく。そして、1ケースずつ重さを計り、フォークリフトで持ち上げて水槽のついたトラックに積んでいく、というのが一連の流れだ。
まず、鯛が入ったタモはとても重くて、力任せにやってもスムーズにあけれない。タモをひっくり返すってだけの単純な動作にもコツがある。
また、鯛をカゴに入れていく作業では何十匹というものすごい数の鯛が選別台の上に密集していて、しぶきを立てて暴れていたりするのに、漁師さんたちは一目で大きさの異なる個体や見た目の悪い個体を弾き、次から次へと鯛をカゴに入れていく。実際に何度かやらせていただいたけど、鯛が逃げたり暴れたりして全然うまくつかめなかった。
出荷が終わると、次は餌やりをする。日によって鯛が食べる量は変化するため、日ごとに水温や天候などの様々な条件から鯛が食べるであろう量を予測・計算し、20kg/1袋のドライペレットが入った餌袋を20~30袋ほど船に積んで沖にある生け簀へと向かう。
餌は食べる様子を観察しながらシャクを使って手で撒く。鯛の消化に合わせて餌を撒かないと、鯛は自分で食べる量を調節できず次から次へと餌を飲み込んでしまうため、やがてはせっかく食べた餌を吐き出してしまい、成長の遅れにつながってしまう。また、食いっ気と同時に病気や死んだ個体、サイズのバラつきなども確認する。
生け簀の足場はちょうど足の幅くらいで、波やうねりがあるとゆらゆらと揺れる。何も持たなくても恐る恐る歩いている僕に対し、漁師さんは20kgもある餌袋を抱えて普通の地面を歩いているみたいにスタスタ歩く。
また、食いっ気と併せて病気やサイズなどの個体の状態も観察しているということであるが、円を描くように泳ぐ1万匹、あるいはそれ以上の鯛の中から病気や奇形、サイズ違いの個体を一瞬で見分けるのは至難の業で、僕の目にはすべて同じようにしか映らなかった。
休憩をはさんで午後になると、加工品用の鯛を捌いたり、小型定置網(つぼ網)の網起こしや網上げ、網洗い、網入れを行う。
仕掛けの大まかな仕組みは分かっても、網やロープのどこがつながっているからどこを結んだりほどいたりすれば良い、ということは作業の様子を何回か見ても全然理解できなかった。また、漁師さんは何箇所もの網やロープを手早く引っ張ったり、結んだり、ほどいたりしていたけど、その結び方1つでも「ロープワーク」という一般には使われない漁師さん特有の結び方をするし、ほどき方にも簡単に素早くほどくコツがある。何回も手本を見せながら教えてもらい、頭では理解したつもりでいても、いざやってみると途中で頭が混乱してしまい、そう簡単にはできなかった。
そして不定期で、「取り出し」という作業がある。これはサイズや出荷する鯛を分けるためにタモを使って生け簀から生け簀へと鯛を移す作業である。
実際にやらせていただいたけど、やはり海の中を泳ぎ回っているおよそ1万匹の鯛の中から大きさの違いなんてまず分からない。また、肝心のタモの扱いが見た目以上に相当難しい。漁師さんはスッ、スッと鯛を移していたので「自分にもすぐできるだろう」と軽く見ていたが、いざやってみるとまず狙った鯛が網に入らないし、移すときも鯛がなかなか網から抜けず腕ごと持っていかれそうになるし、膝のクッションで投げるという感覚が掴めず力任せに投げようとするので腕はパンパンになる、といった具合にとにかくうまくいかず、苦戦した。そして、経験を重ねると大体ではなく正確に重さを当てられるようになってくる、という話にはとても驚いた。
漁師さんたちが何気なくやっているような作業でも、実際にやらせてもらうと漁師さんと同じようになんて全然できない。力をうまく利用してみたり、頭を使って考えてみたりと、僕にはできないことばかりだった。1つ1つの動作から作業全体に至るまですべてが職人技のようだった。
漁師さんの真似事をさせてもらうことでどの作業もほんの数日や数週間では会得することのできない、体に馴染むまでに長い時間を要することなのだと気づき、単純に「漁師さんってすげぇ…。」と思った。
「いただきます。」
鯛を捌いたとき、まだ波打っている心臓を、そのまま食べた。噛んだ瞬間、鯛の風味が口いっぱいにブワァッと広がる。心臓は全身に血液を送り出すところだから血生臭さをイメージしていたけど、まったくそんなことはなかった。
食べる前に手のひらに心臓を乗せて、「今からこれを食べるんだよなぁ…。」って波打っている様子を見ていると、「いただきます」って感覚がなんとなくわかった気がした。これが、「命」を「いただく」って感覚。これまで、「いただきます」は食事を作ってくれた人に対して言うものっていう感覚だった。でもこの経験で、命をつなぐ食べものになってくれた生き物に対して言う、という感覚を感じた。
鯛になるタイ(体)験
インターン最終日、僕は生け簀に飛び込んでおよそ1万匹の鯛と泳いだ。最初のうちはあまりの数の多さにビビって、怖気づいていた。
でも、水族館で見る光景とは全然違っていて、はっと息を吞んだ。水面近くだと泳ぎ回っている魚はいるのだけど、潜って中に入っていくと鯛はゆったりとしている。時が止まって動いているのは自分だけかと思ってしまうような、不思議で、初めて見る景色だった。少しずつ慣れてくるとこの水中の光景に見入って、ずっと入ってこの景色を眺めていたい、そんな気分になった。
また、体の周りに餌を撒かれると鯛が一斉に集まってきて、エサと勘違いして乳首や背中をつつかれた。水中で魚が餌を食べている様子を見たり、泳いでいる鯛やクエに触れる体験なんて普段の生活からは絶対に考えられないから、とても新鮮で、ワクワクして、きれいで、すごく楽しかった。
漁師さん
漁師さんたちと一緒に過ごした時間は、とても心地良くて、楽しかった。いろいろ聞けば漁師さんはいっぱい教えてくれるし、漁師さんからもいろいろ聞かれる。漁師さんと学生、っていう所属とか環境、年齢の違いもあるんだろうけど、気兼ねなく話せる解放感とか安心感があった。
日常で「大学」っていう集団にいて、「学生」っていう同じ立場の人と接していると相手の顔色を伺ったり、就職とか進路のことについて腹の探り合いをしているような感じがする時があって、気を遣ったり相手と一定の距離を置こうとしている自分がいることに気づく。
だけど、漁師さんたちはなんか話しやすくて、距離感が0とまでは言わないけど、限りなく距離が近いような感じがした。
おわりに
養殖や魚に関する知識も皆無で、とりあえず飛び込んだ漁村インターン。始まりは場所もよく分からない、言葉も分からない、みたいなとにかく「分からない」だらけの状態だったけど、振り返ると阿曽浦での2週間はすごく楽しくて、ここに来れて良かったな、って思う。
僕は、阿曽浦という土地も、ここに住む人たちも大好きだ。インターンを受け入れてくださった純さんはじめ友榮水産のみなさん、ありがとう。
三重県南伊勢町阿曽浦、1年以内にきっとまた帰る。
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