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“ツインソウル”を語る者として。

 スピリチュアル界隈って、個人的には“玉石混淆”だと日頃から強く感じています。これは、スピリチュアルに限らずなのですが、人間というものは基本的に「自分が受け取りたいものを、受け取りたいように、受け取る」というところがあります。

 そのことに気づいていて、単に好みではなく、自分が抱いている理想のようなものから外れている、違和感を感じるものにも触れてみるということも時には大切なことなのだと感じるのです。

 昨今、子供たちはテレビよりもYoutube、という感じですよね。どちらがいい、というわけではないのですが(僕は個人的にテレビは懐疑派です)、YouTubeって、自分の好きな内容のもの、だけになっていきますよね?
 そういう状態って、ちょっと危ういな、ということは日々感じているわけです。

 これは、いろいろな分野においても言えることですよね。どちらの主張にも、一旦は耳を傾ける。という姿勢があって、議論は成り立ちますから。

 で、僕は妻と二人で10年以上に渡り、“ツインソウル”について、スピリチュアルな分野について、私たちの体験をもとに発信を続けているのですが、いつの頃からか、『ツインレイ』という言葉が、かつての”ツインソウル”に入れ替わっていったんです。

 僕自身は、ちょっと頑固なところがあって(笑)頑なに「ツインソウル」という表現にこだわって来ているのですが、あまりにも細分化されてしまったツインソウル関係の話を改めて考察してみたいと思いました。

 「ツインレイ」関連で調べてみると、出典やそれについて誰が話し始めたのかが定かでないものが多くあり、多くは海外からの情報を取り入れたものなのだろうと推察されます。

 一方、ツインソウル、という言葉に関しては“眠れる予言者”として称されるエドガー・ケイシーがその“リーディング”の中で言及したことと、精神学者、催眠療法家であるブライアン・L・ワイス氏の著書「魂の伴侶」(邦訳は山川紘矢・亜希子)、女優であり”ニューエイジ”の騎手でもあったシャーリー・マクレーンの数々の著作の中で語られて来たという背景があります。

 ワイス氏の著作においては「ソウルメイト」という表現でありましたし、シャーリー・マクレーン女史の著作としては「アウト・オン・ア・リム」が有名ですが(こちらも山川紘矢・亜希子夫妻の翻訳)、「カミーノ 魂の旅路」の中で、自身の精神的体験として「ツインソウル」に言及しています。

 最近のスピリチュアルに関していうと、いわゆる「名著」と呼ばれるものから、丁寧に積み上げるように学び、実践し、自らの『体験』として落とし込んだのちに、広く発信していく、というプロセスを踏んでいる人が少なくなった、というのが個人的な印象なのです。

 「ツインレイ」に話を戻すと、詳細は読者の方が興味を持たれたなら調べていただければ良いと思うのですが、さまざまな”分類”がされています。

 一通り見ていきますと・・・。

・ツインレイ
・ツインフレーム
・ツインソウル
・ツインメイト
・ライトパーソン
・ディヴァインエクスプレッション
・ディヴァインコンプリメント

などなどあります。これらを全て含む総称が「ソウルメイト」というふうにも言われていたりしますね。昨今では、「プラチナツインレイ」という言葉もあるようですが・・・。

 これほど”細分化”されているんですね。

 これはスピリチュアルに関わらずのことなのですが、「ある物」や「ある概念」、これは形があるとかないとかに関わらず、段階があり、順序があります。

 まず、ある一つの「もの」や「概念」が一般に受け入れられていく段階があります。(例として、「ソウルメイト」という言葉が一般に受け入れられていく段階)

 そして、次にその一つのもの、概念の中で”より本質的なもの”、”より優れているもの”という位置づけとなるものが現れるようになります。(ソウルメイトよりも魂のつながりが深い“ツインソウル”が受け入れられていく段階)

 さらに細分化、差別化が繰り返されて、数々に分類されていくようになり、「特別感」を帯びるようになります。(”ツインレイ”が唯一無二である、という概念とその特別感による引力が際立つ段階)

 この細分化が、いわゆる『ツインレイ探し』や占い業界の『ツインレイ鑑定』にもっともらしい“意味”を持たせる背景にあるのです。

 一方で、スピリチュアルな話の中で、アセンション(次元上昇)や“統合”という言葉があり、10年くらい前は“Oneness(ワンネス:一つであること)”がよく言われていました。

 「Oneness(ワンネス)」とは、”すべてのものは一つである”というその一体感やその意識状態を指しますが、唯一無二を求める“ツインレイ”の概念と全く対立する概念だということに気づいていて、その矛盾を払拭しようという意識を持っているスピリチュアルなインフルエンサーは非常に少ないのではないでしょうか?

「ツインレイ」というものを考えた時、

「相手となる異性が自分のツインレイであるかどうか?」

という、外に意識が向いている状態と、その一方で

「今の私は”ツインレイ”との関係に取り組むに相応しい霊的、精神的な成長を遂げているだろうか?」

という、自分の内面へ向けた問いを投げかける意識状態では、大きな違いがあることにどれだけの人が気づいているのだろうか?と、僕は常々思い、その”視点の転換”について、どのように啓蒙していけば良いのか?ということを考えているのです。

 「ツインレイが唯一無二」であるとするなら、それ以外の人はどうなるのでしょうか?そして、ワンネスの意義は?

 スピリチュアルな概念は、さまざまな希望を感じさせてくれる一方で、人間の自我(エゴ)が非常に好む、「自分は特別である」という選民意識を密かに刺激してくるものが多数存在するのです。

 詐欺師がターゲットを信頼させてから騙すのと同じように、仮に“悪魔”のような、人間を誘惑し低い次元へ引き摺り込もうとする(ディセンション:次元降下)存在がいるとするなら、甘美な言葉、それは過度な希望や美しく描かれた理想のようなものを示しながら、近寄ってくるでしょう。

 自分自身の本当の思いに触れようと、自己の内面と向き合い慎重に取り組んでいくのであれば、“魂の関係”は自ずと導かれていきます。

 運命は、「自分自身が運んでいく命」という側面と「自分の下に運ばれてくる命」という側面があります。ここでいう“命”は自らの体験という意味合いがあります。(陰陽統合、物事には必ず二つの側面があり、そのどちらでもないものが合わさり、三つの要素、神聖な「三位一体」が成り立つのです。)

 あなたが「魂の関係」「ツインレイとの体験」を通して、お互いの霊的な成長と、今生における幸福を体験しようとするとき、あなたはどの立ち位置で、自身の魂と、自身の体験に向き合うことを選ぶだろうか?

 外に求める姿勢なのか?それとも、自らのうちに向き合う姿勢なのか?

もし、前者であれば、僕の言葉は少し耳が痛いかもしれない。

もし、後者であるなら、あなたの進む道にここに記した言葉たちが一筋の光となることを約束しよう。

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