ナグです。 この週末、父の法事があり、実家へと帰省をしておりました。 実に約6年ぶりの里帰りでした。 簡単に“ちょっと帰るか…。”という感じで帰れないものですね💦でも、家族に会う、というのは僕にとっては落ち着く時間となりました。 また、家族だけでなく、地元を離れた僕からすると「帰省した時にしかリアルで会えない」人たちもいて、そうした方々と会えるというのは、やはりよいものです。 最近、夢をかたちにして店を出した、と知らせをいただいていたので、その方のお店に
ナグです。 本日、11月14日「いい石の日」は、私たちが運営している、 PowerStone & Spiritual Session のサロン、『Primaria☆Stone』の13周年になります。 今から、16年前にプリマリアと出会い、当時は山口に住んでいたのですが、その頃から思うと本当にありがたいことだと感謝の気持ちでいっぱいになりますね。 「3年後、5年後、10年後の自分が想像できるか?」 というような問いかけを、セッションの中でも時々することがあります
ナグです。 11月11日ですが、巷では「ポッキーの日」とか言われていますが、ちょっと調べてみると…。 こういう時にネットは便利ですね。調べてみることで「日本記念日協会」という組織があることも知りました(笑)。 スピリチュアル的には、こうした数字のゾロ目は「エンジェルナンバー」と言われることが多いのですが、実はゾロ目でなくても数字の並びが象徴するスピリチュアル的な意味というのはあるんです。 ただ、今日は「1」が4つも並ぶ日ですし、おそらくiPhoneの画面で、
ナグです。 2020年からの3年間のコロナ禍で、世の中のいろいろなことが様変わりして、以前とは違う常識、というか新たなスタンダードが生まれてきました。 そのなかで、大きなことのひとつに「リモートワーク」というのがあると思います。知人の中でも、以前は毎日電車に乗って出社していたのが、今では月に一回とか、会社から出社の要請があったときとかのみになって、普段は自宅でのリモートワーク、という方もおられます。 リモートの最大の利点は、物理的な距離を考えなくて良い、という点
ナグです。 11月に入って、今までのことを振り返る、という感じになっているのですが、単にこの一年を振り返るというより、長い間の自分の在り方や実際の自分の意識や行動についてを振り返る、という感じになっています。 カウンセラー、セラピスト的な立ち位置で、スピリチュアルな視点から、いろいろな人の話をお聞きすることを仕事としているのですが、妻が扱うパワーストーンも、二人の今に至る経緯などもあり、『恋愛』についてのお話を聞く機会もたくさんあります。 「ツインソウル/ツイン
ナグです。 昨日は、「11月になりましたね。」的な記事をアップしました。 つい二日ほど前「ハロウィン」だったわけですね。個人的にはハロウィンだから、と街に繰り出すような年齢でもないし(若い頃もそんなノリはあまりなかったですが)、かぼちゃとガイコツとコウモリの飾りを、商店街を歩きながら横目に見て楽しむ程度なのです。 でも、ちょっと気になっていたのは「渋谷」のあたり。毎年、ニュースになっていたりするのですが、今年はどうだったんだろう?というような関心が少しありました
ナグです。 毎年のことですが、11月くらいになると「ああ、今年もあと少しだな。」となんとなく思うようになります。 個人的には、お盆の頃に入院、手術を経験して、振り返ると自分の健康状態とか、考えるきっかけになった一年かな?と感じています。 『メンテナンス』という感じなのでしょうか?変化の時期というのでしょうか?健康のことだけに限らず、いろいろな分野、場面において、見直したり、振り返ったりを繰り返しながら、良いところはより発展を目指し、よくないところは改善をしていく
ナグです。 “悪魔の証明”という言葉をご存知でしょうか? 簡単にいうと、 『〇〇が存在しない、ということを証明できないなら、〇〇は存在する』 という、論法です。たとえば、「りんご」という果物がある(存在する)、ということを証明するなら、リンゴを1個もってくればいいわけです。 法律、裁判、議論などで時折みられるのですが、「ない」ということを証明せよ、と迫ることで責任転嫁や論点をずらすようなことが行われます。こういったことは、感情的になった人間同士の中でもよくみ
ナグです。 いろいろな人と話をする中で、ときどき思うことがあるのです。 ある人が誰かに対して“思い”を向けたときに、霊的な見方をしているのか?物質的な見方をしているのか?で体験が大きく変わってきます。 霊的/精神的なものを見る時の見方と、物質的なものを見る時の見方には違いがあります。違いがあるから、結果としての体験も違ってくるのです。 そうした「違い」をどれだけの方が意識しているでしょう? 自分と向き合うことと、”本当の自分”である自分自身のスピリットと
ナグです。 (サムネイル画像は「進撃の巨人」諫山創/講談社©︎ エレン・イェーガー) 昨日の記事で、僕はこう記しています。 この一節は、おそらくは「あまり共感してもらえないだろう」と思いながらも、書き記したのです。それは、読んでくださる方々の内側に疑問を提起するためでした。 “ナグさんのいう『自由』ってなんだろう?” もし、昨日の記事を読んで、あなたがそう思ってくれたのであれば、僕の試みは成功したことになりますし、僕と同じ感性を持っているでしょうから、いずれ僕
ナグです。 前回の記事では、「個であり、全である。」という“魂の性質”について書きました。言葉では、矛盾するようにみえるもの、言語の表現のなかにおいては、「個」であるならそれは「全」ではないし、「全」であるなら、その中に「個」が埋もれていってしまうことでしょう。それは、物質的な世界においてもそうです。 群衆の中では、たったひとりの小さな声がかき消されてしまう、というようなことが世の中では当たり前のように起こっているでしょう。しかし、霊的な世界においては“最も小さき者
ナグです。 スピリチュアルな話を、いろいろと思うままに書き綴っているのですが、気づきの段階、取り組んでいることの段階によって、“必要な認識”と言うものがあると思っています。 これは、何についてもそうですが、 “この段階をクリアするためには、これだけのことをマスターしておく必要がある。” というものがありますよね。それらを体形立てていくと何かを学ぶときの「カリキュラム」のようなものが出来上がってくると思うのです。 精神世界的な(スピリチュアルのことを昔はこう言って
ナグです。 昨日の記事で「言葉の定義」ということについて、僕なりの考え(特にスピリチュアルな分野において)を書き綴りました。 何度か読み返していく中で、やはり“言葉の不完全さ”というものを感じてしまうのです。まあ、これは私たち人間が言葉によってコミュニケーションを取る以上、仕方ないところなのだと思いますが。 僕はよく、いろいろな場面で「逆になっているんだよ。」ということを口にするのですが、それは本当にさまざまなところで気づくことができるのです。 順序が逆にな
ナグです。 スピリチュアルを語る上で、これをやっておかないと。と、思うことがあります。 それは何か?というと、それは“言葉の定義”です。 目に見えない、一人ひとりの心のうちを通して体験する世界を語るスピリチュアルにおいては、ていねいに“言葉”の意味や定義のすり合わせをしておかないと、伝わるものも伝わらない、という事態に陥ってしまいます。 どのようなものでもそうですが、基本的なことを伝える前に、「用語」というか、言葉のすり合わせが必要なのです。 この“言葉
ナグです。 ”ツインソウル/ツインレイ”をテーマとして、発信されている情報はたくさんあります。 誰もが「情報発信」できるようになった今の時代、情報を取捨選択する力を自分自身の中で確かなものにしていくことが求められているのです。 情報を取捨選択すると言っても「知っていること」であれば、それが正しいか、間違いか?はたまた、それが役に立つ情報なのか?単に迷いの原因となるのか?判断できるかもしれません。 しかし、自分がまだ体験していないこと、知らないことをどうやって判断すれば
ナグです。 少し前に、こう言った質問をいただきました。 「スピリチュアルに興味を持って、いろいろなイベントや集まりに参加したり、ワークやセミナーを受けたりしてきて、自分でも少しですが成長できたり、変化を感じたりしています。 その中で浮かんできた疑問なんですが、ヒーリングやエネルギーワークを受けて、変化変容して進んでいく人と、いつの間にか戻ってしまう人と分かれてしまうように感じています。 同じエネルギーを浴びて、変容への働きかけを受けて、元に戻ってしまう人と、少しずつで