プロフィール
イシハラ イッペイ
名前:イシハラ イッペイ
生年月日:1981年5月2日生まれ
血液型:A型
配偶関係:嫁さん、子(姉妹)
職業:YouTuber|ブロガー|デザイナー|クリエイター |ライター
性格:人見知り(だからこそ、明るく社交的に振る舞うことができる)、マイペース、頑張ることが嫌い、楽しいことが好き、めんどくさがり屋、真面目
夢:自分らしく生きることを実践する/可能な限り自分の好きなことで生きること。
趣味:車、釣り、瞑想、サウナ、旅、読書、アニメ、映画、音楽、新しいこと
趣味を仕事にしました。
■車中泊の旅、第一弾動画!
■GR86カスタム日記
■釣り日記
僕のライフワーク
オウンドメディア運営(企業)
オウンドメディアプロデューサー
動画クリエイター
デザイナー
ライター/ブロガー
ユーチューバー
インフルエンサー
Webマーケティング
セミナー講師
独立前後の経歴
【経歴】
- 2016年~ガジェットブログの運営を開始
- 2017年〜ブログ月間40万PVを記録し、ブログ収入が大幅に増える。
- 2018年〜企業様、個人様へのブログ運営ノウハウにてディレクション開始
- 2018年~YouTubeの運営を開始。
- 2019年〜ブログ運営が起動に乗り、会社を辞めてフリーランスへ転校
- 2020年〜YouTube登録者1万人達成し、広告収入や企業案件PRで7桁を稼ぐ
- 2021年〜SNSマーケティングとして企業様や個人様へディレクション開始
- 2022年〜YouTube登録者3万人達成し、本格的にYouTuberとしての活動がメインになる
- 2023年〜YouTubeやブログ、ディレクションと並行して、TikTokやインスタグラムの運営を開始。
-2023年〜SNS総フォロワー12万人を超える
-2024年〜株式会社 PRiDECTを設立。
【実績】
- 不動産・自動車・ネット販売等のSNSやWEBマーケティングディレクションの実績あり
- LINE公式アカウントの友達追加実績は、2500人以上
- TikTok→100万回再生の動画配信、平均再生回数1万回以上。
- インスタグラム→50万再生以上の動画配信
- YouTubeの1本の動画で100万回以上再生の動画を複数製作
- YouTubeの月間再生回数は500万回以上
- YouTubeの月間インプレッション数は500万回以上
- 某不動産系のTikTokアカウントディレクションで100万再生の動画配信
さらに詳しい仕事内容や、お仕事のご依頼などは以下よりご確認できます。
以下のことに興味があればご連絡ください。
YouTube/PR動画制作依頼
執筆依頼 – 当サイトへ内での執筆
寄稿依頼 – 他社サイトへの執筆
動画制作/動画ディレクション
バナー広告の相談
広告・PR/ディレクション
Webサイト設計・構築・運営ディレクション
Webマーケティング/ディレクション
サイト制作・運営/ディレクション
セミナー・講演/講座・教室
音声メディアディレクション/運営/出演
SNSディレクション – Twitter/インスタグラム/YouTube/TikTok他
ブロックチェーン/ビットコイン/ディレクション
イーサリアム/メタバース/NFT/ディレクション
上記の項目について、クリエイティブなデジタルコンテンツ制作、運営やノウハウのディレクションを中心に、個人でも、企業であっても、プロダクトやサービスを最大限にプロモーションするため、販促するためのマーケティング戦略、並びにコンテンツ制作をいたします。
SNS総フォロワー数16万人を超え
さらには、各SNSや企業PRなどに携わりながら、自身のSNS総フォロワー数16万人を超え、その実際の運営や試行錯誤のノウハウを、個人、企業にディレクションしている現役インフルエンサー。
上記に関連する「成功へのお手伝い」をサポートいたします。
インフルエンサーとしての中の人である僕のノウハウは、今らからのWeb3.0の時代には欠かせないスキルではり、個人のフリーランスに加え、企業の生き残りをかけたとても大事な、絶対にやっておかなければならないブランディングであり、マーケティング戦略です。
Web1.0:インターネット(読んだり調べたりする専用)
Web2.0:SNSとGAFA(発信することができる)
Web3.0:ブロックチェーン
また、広告スポンサーなども随時募集していますので、色々な仕事での情報発信も含めてご相談くださいませ。
各SNSのDMやコメントにてお気軽にお問い合わせ下さい。
メディア出演実績
テレビ出演
新聞やブログ
イシハラの人生論は「自分らしく生きる」
最初に読んでほしいnote記事10選
僕の流儀は「自分らしく生きること」
「一度きりの人生だから、”自分の好きなモノゴト”をもっと楽しめる人生にしたい」
人が生きる上でもっとも必要なことは、いかに自分自身に関心を持ち続けられるか?だと思ってます。
だから、自分自身に死ぬまで関心を持ち続けるために、そして、自分の人生を充実させるため、人生の結果(ゴール)ではなく、経過を楽しめる人生にするために、色々なメディアで自分の情報を発信しています。
ここでサクッとバックボーンをご紹介〜!
子供の頃に見た未来
僕は大阪で生まれ、長崎県にある五島列島で育ちました。
母の教育方針を一言で言うなら「自由」。
「勉強しなさい」「それはダメ」「あれはダメ」「ちゃんとしなさい」そんな数々のしつけというものからは程遠い、「それ良いんじゃない」「やったね」「やってみよう」「それじゃ仕方ないね」などなど、甘やかしの境地でした。だから、何をするにも、怒られるということがあまりなく、自由に好き勝手なことをしていました。
好き勝手にしていたので、外向けには自由で社交的な性格に見られることが多く、「明るい」「元気」「面白い」「前向き」「悩みがない」といういわゆる明るく元気な子という鉄板イメージを持たれ、何不自由のない子供時代を過ごしているように思われていました。
しかし、自由に好き勝手にしていた分、自分で何事も決断してしまわなければならないことが多かったので、”自分で選択して生きる”ということが多く、良い意味で自立心が早く、悪い意味で自分勝手になっていました。
それは”自分の意見や考えは否定されるべきものではなく、尊重されるもの”という価値観を、良いも悪いも形成していました。だから、実際は「ネガティブ思考」「自信がない」「嘘つき」「怠け者」「面倒くさがり屋」「内向的」「人と関わるよりも一人でいたい」「努力することが大嫌い」という全く正反対の性格でした。
つまり、「やりたくないことはやらなくていい」という決断をしてしまうことが多く、あらゆることで努力することを怠って、「目の前のことを楽に怠けてやろう」ということばかりを考えていました。
その結果、「何をしても一番になることができない」「何をしても中途半端で長くは続かない」「何をしても結果を残せない」そんなことばかりでした。
だから、子供の頃に、よくこういう未来を見ていました。
「俺にはなんだってできる!」という不確かな自信を持つ反面、「どうせ俺は中途半端な人間だから、大きな夢を掲げても結果を残すことなんてできるわけがない」と、何事に対しても「諦めること」が早く、「どうせ上手くいくわけない」という結果を見ていました。だから、学校の勉強や、クラブ活動や習い事などなど、100%の力を発揮することはなく、すべてにおいて「適当」にやってきました。
その適当という言葉は、「俺の力の限界を示していた言葉そのもの」だったんだと今になって思います。
もちろん、「本当はもっと色々なことに対して努力したいし、結果を残したい」ということへの渇望もありましたので、それができない自分に対して、いつもやりきれない思いを抱いていました。つまり、もっとこうなりたい!もっとああなりたい!という願望だけ持っているだけの「ただの適当人間」でした。
「どうせ上手くいくわけない」という結果を見ながら、「やりたいこと」「叶えたい夢」はたくさんあって、それにチャレンジしている時はものすごく充実した気持ちにはなっていました。
例えば、僕は絵を書くのが大好きでしたが、「画家とか、漫画家には絶対になれない」と思っていました。
でも、好きなことをしている時はすごく充実した気持ちになっていたので、「結果はでないけど、長く続けられる=楽しく人生を過ごす時間」にすることはできていました。
10代「夢の挫折」
ほぼすべてにおいて「中途半端な人生」を送っていた子供時代を終え、10代半ばに差し掛かった時、「華やかな舞台」に憧れを持つようになりました。
それは、ミュージシャンです。
大阪に生まれ、五島列島という離島で育った俺は、ミュージシャンになるために単身大阪へ。その夢を追う行動力を自分で褒めたいほど、ぶっつけな勢いでした。
音楽に取り憑かれたように、毎日ライブ活動や楽曲製作に明け暮れる日々。
でも、心の奥のどこかでー
「叶わない夢を追いかけて、俺は何してんだろう」
子供時代に培ってしまった”面倒くさがり屋”&”どうせ俺の夢は叶わない”というパラダイムからは、そう簡単には抜け出せず、ミュージシャンになるための努力でさえ怠ってしまうことが多々ありました。それはある意味で「あの時、もっとできたんじゃないか」という、自分への都合の良い解釈とも言えます。
今思えば、あの頃は夢を追いかけようとする自分の姿を、ただ美化していただけだったようにも感じます。
その反面、「面倒くさがり屋な自分自身の中途半端な人生を、夢を追いかけようとする行動で、なんとか変えたい!」そう思いながら、自分自身と戦っていた時期でもありました。
結果、失意のどん底でふるさと五島列島へ逆戻り。
そこでやっぱり気づいたんです。「俺は自分のやりたいことの結果一つも残せない、本当に中途半端なやつだな」って。
そこで初めて”人生の挫折”を味わい、「人生からの転落」を経験しました。
それからしばらくは、明日を考えずに目の前の娯楽にばかりすがり、生きてる実感のない毎日をただやり過ごしていました。
なんの夢も持たず、心の底から笑えない、自分の情けなさに失望した日々。
進化も成長もない荒れた日々
それから、すべてを失ったかのように自分らしさを忘れ、ただ周りと同じようなことをする日々、”やんちゃなこと”をしておけば楽しめるという安っぽい価値観で生きていました。
ただひたすら出口のないトンネルを、小さな小さな希望と大きな大きな不安を抱えながら、今にも電池が切れそうな懐中電灯を片手に、恐る恐る歩いていく。
「どうして俺は、こんなになってしまったんだ」
そんな自分への葛藤は、次第にもっと奥の奥の方まで自分らしさを追いやっていきました。
出口なんて探しても見つからない。いや、出口なんて探してさえいない。
恐ろしいほどに、人生に対する執着がなくなりー「俺なんて生きていてもしょうがない」。そんな言葉に、毎朝ヘビーローテションのように苛まれながら、1日、そしてまた1日が過ぎていきました。
父の分まで 自分らしい人生にしなきゃ!
面倒くさがり屋で中途半端な自分自身から、背伸びをしようとしていた10代。
それほど高くないところから、案の定、転落してしまった20歳前後。
でも、そんな自分から逃げたりするんじゃなくてー
そんな自分を変えようとするんじゃなくてー
「ちゃんと自分の足元をみよう。挫折があったり、失敗があったり、中途半端な人生ではあるけれど、それが自分らしく生きることじゃないか」
自分は変えられない。
だから、自分の歩んでいく”人生”を変えていくー
そんな風に自分を思わせてくれたのは、死んだ父の存在でした。
僕が0歳の時、実の父は死んだ
僕の実の父は俺が0歳の時に死にました。だからもちろん、実の父のぬくもりや、表情は写真でしかみたことがありませんし、声なんて一度も聞いたことがありません。
実の父が0歳の時に死んだことについては、子供時代から認識はありました。しかし、その死因についてまでは全く知りませんでした。僕が20歳を過ぎても人生に活路を見出すことができていなかった頃、それを見かねた母から実の父の死んだ理由と、その愛する人を失っても尚、生き続けられた母の悲しみと決意を聞かされました。
それは、母からの「だから、あなたもちゃんと前を向いて」というメッセージが込められていたんだと思います。
以下のブログ記事に、「死んだ父の死因」、「母の悲しみと決意」、それを”自分らしく人生を生きるためのメンタル論”として書いた記事がありますので、合わせて読んでみて下さい。
それらの理由を聞かされた時、まるで子供のように、すごくすごくわがままに、涙が枯れるほど泣きました。”死”というものとの距離を、とても近くに感じ、それが本当にただただ悲しいものだと悟りました。
それはー
「二度と変えることができないこと」
でも、「生きているなら、変えられる物事はいっぱいある」
死んだ父の人生は変えられないけど、生きている自分の人生はこれから変えられるー
その時初めて、母の教育方針である「自由」という意味に、「私の愛した人のように、人生というものはいつ終わるかわからない。だからこの子だけは自由に生きてもらいたい。」という理由が付け加えられました。母からもらっていた愛情や、自分に対しての教育方針が、線と線ですべてつながった瞬間でもありました。
ちゃんと生きなければ
母も死んだ父も、そう思っている。
「面倒くさがり屋で中途半端な自分」
それが自分だ。
そんな自分を認めて、ちゃんと自分らしい人生にしなくちゃ。
もちろん、それでも色々とまっすぐに進めない時もありましたし、人生の選択を誤ってしまったり、時には屈折した決断をし、苦しい思いをすることだってありました。それでも、27歳で結婚し、二人の子宝にも恵まれ、仕事も順調にキャリアアップしながら、自分らしい人生を送ろうと日々を楽しんでいます。
そして、その日々の楽しさや自分の好きなモノゴトに価値をつけ、さらに自分らしい人生を充実させるために、自分の好きなモノゴトだけしか書かない、個人ブログ=個人メディアでセルフ・ブランディングを始めることにしました。
とにかく自分の好きなことで稼ぐ
「好きなことをブログで書いて生計を立てる」
そんな夢のような生活を目標にしつつ、デザイナーとしても順調に奮闘中なわけです。ブログの生計としては結果は出てきました。
このnoteを使って、自分の経験や想像(イマジネーション)を高めながら、「物書き屋」になれるように、とにかく書いて書いて書きまくって成長していきたいと思います。