マンガワールド⑩マンガ表現の冒険
はじめまして。こんにちは。
世の中、ますます混乱の一途をたどってゆくようにも思える今日この頃、
休日のコーヒーやハチミツやマンガや音楽に癒されながら、何とか紅葉のような趣深いマンガを構想中のGプレッソです。
さて、今回のマンガワールド⑩では、『マンガ表現の冒険-クリエイトへの道-』と題しまして、
・コンテンツ
・著作権
・クリエイト
・オリジナリティ
・表現規制
・パブリックドメイン-等に関してライトに綴ってみたいと思います。
全般に渡って専門的な話には深入りはせず、Gプレッソ自身の感覚によるフランクな記述であることをご了承願えればと思います。
※なお、今回のテーマは、基本は「マンガ」を念頭に綴っておりますが、『マンガ』表現だけにとどまらず、広く『表現活動』全般にも当てはまることなのだろうとも理解しておきたいと思います。
目次
①コンテンツとは何か?
②著作権はなぜ生まれたのか?
インターミッション
デジタル時代のコンテンツの価値とは?
③クリエイトとは何か?
④オリジナリティとは何か?
インターミッションⅡ
ゴキブリマンガへのお誘い
⑤表現規制や表現のタブーとは?
⑥パブリックドメインとは?
おわりに それはやがて消えてなくなる
次回予告
それでは、ここより本題となります。
①コンテンツとは何か
・コンテンツー作品・製作物・情報内容
個人もしくはチームにより、何かしらの動機でもって作られるそれ
以下、Gプレッソが漠然とイメージしている「コンテンツ観」をサラッとまとめてみたいと思います。
コンテンツの存在する場所
-4つの領域-
コンテンツ作りには、完全個人製作~チーム製作(デュオ以上)まで、様々なケースが考えられますが、いずれにしろ、コンテンツが存在する領域は、差し当たり4つ存在すると思っています。
・アナログの世界のコンテンツ
(物量を持つ情報体全般)
・デジタルの世界のコンテンツ
(0と1のデジタルデータに還元された情報)
・イマジナルの世界のコンテンツ
(個々人の頭の中に想像として思い浮かんでいるイメージ情報)
・メタフィジクス世界のコンテンツ
(上記3つの領域を超えて、まだ世に出ていない形而上世界(≒別次元的)のイメージ情報)
※メタフィジクス世界のコンテンツとは、インスピリチュアリスティック・アーティスティックな作家先生方が「・・・降りて来た・・・」-と語られる時の、降りてくる元先『プラトンのイデア界的な場所』に溢れているのだろうと思われるイメージのことを想定していますが、現代では、ムーブメント的な意味でも、『並行世界・平行世界の多重世界線的な場所』からのイメージ、という謂いも含まれてもいいかもしれません。
コンテンツにまつわるネットワーク
さて、人類誕生(本当にはいつ頃なのか?はさておき)の原始よりのアナログ芸術から、20世紀終焉期よりのデジタル革命・インターネット時代の幕開けによって、コンテンツの無限増殖時代-もちろん、特に視覚系芸術系コンテンツやフルデジタル作品に限るというわけではなく-は、現在進行形で続けられています。
そして、日進月歩なデジタル製作ツールの開発・進歩がより極限に近づきつつある近年、数えきれない(もはや数を把握することは実質不可能な数の)コンテンツが、日々、インターネットの海にアップロードされ続けています。
インフラ(=ネット環境)が整いデバイス(スマートフォン・タブレット・PC)が普及しているカントリーにおいては、(参加・不参加はもちろん自由選択であるにせよ)だれしもが、デジタルコンテンツ(アナログ作品のデジタル化なども含め)の製作者・クリエイターとなり、かつ発信者になり得る条件が整っています。
また、デジタル環境が未だ整っていない土地においても、有志の発信者が、その土地を訪れた際に「デジタル機器」でもって撮像・撮影などをして、世界中にその土地の『コンテンツ』を発信することも可能な時代になって久しいのだと思います。
そんな『コンテンツ』にまつわる、ヒトビトのポジション・ネットワークとはどのようなものでしょうか。
以下、整理してみれば-
『コンテンツ』には、
製作者(創作者‐個人からグループまで‐)がいて発信者(製作者当人および任意の第三者まで)がいる。
さらには 受信者(受け取り手、アクセス者)がいてまた、批評者(好意的~アンチまで)もいる。
そして、とにかくも、前提として、
コンテンツが流通する受け皿(世界市場やインターネット世界市場‐リアル&ネット共にそれらのインフラも含む‐)の存在も、重大な欠かせない存在であることも忘れないでおきたいと思います。
※アナログ・デジタル問わず、人類ににとっての21世紀前半時点でのコンテンツの受け皿の最大のものは、もちろんひとまず『地球』ということになるのだと思います。地球は、人類の生み出したほぼ全てのコンテンツを乗せて廻る惑星で、だから、地球を大事にしたいと思います。しかし、地球を大事にする、ということが果たして具体的にどうすればいいのかは模索中です・・。
②著作権はなぜ生まれたのか
著作権-
・知的財産権の一つ
・作品を創作したヒトが有する権利
・芸術作品を保護するためのもの(絵画・音楽・小説・マンガ・ゲーム・コンピュータプロ グラムなど)
・コピーライトーモノを複製コピーすることにかかわる権利
※保護(守る)-他者に無断使用・利用されないようにプロテクトする
Gプレッソ個人的には、「著作権」に関して調べてみるまでは、漠然と以下のようなライトなイメージしか持っていませんでした。
・製作物についてくるもの
・作り手(著作者または共同著作チーム)に発生する
・放棄もできる
・企業・会社などに所属している場合、仕事内で業務内容としてコンテンツを製作した場合はどうなるのだろう?
etc,etc・・・
また、漠然とした理解であるがゆえに、実はこれまで、
「著作権」という存在が、自身のマンガ製作活動の駆動に関して二の足を踏ませていた、という事情も少なからずあり、ほんの少しネガティブな印象(というより恐ろしいというイメージ)を抱いておりましたことを告白しておこうと思います。
というのも、マンガに限らず、音楽にしろ小説にしろデザインにしろ、数年に一度は、「作品の『剽窃・盗用・盗作・パクリ・トレース』問題」が社会的に大きく取り上げられる事情もあり、「もし自分が作ったものがパクリ作品に認定-不意図にも関わらず-されてしまったらどうなってしまうのだろう・・・」ーという不安を、まだ製作もしていないうちから覚えてしまっていたのです。
このことは、「『クリエイト』とはそもそも何か?」という問題にも連なっているので、そちらに引き継いで綴っております。
この項においては、以下、「著作権」にまつわるエトセトラを、サラッとまとめて置きたいと思います。
著作権に関わるヒトビトのネットワーク
ひとまず、マンガを念頭においた際の著作権にまつわるヒトビトの関係性としては、以下のような感じでしょうか。
・著作者(コンテンツを実作する者‐個人製作からチーム製作まで‐)
・出版者(出版する権利を有する者‐その意味での版権者・販売権者‐)
・海賊者(無断でコンテンツをコピーしたり活用したりする)
・受信者(受け取り手・読者・ユーザー・二次創作者etc
著作権における作品内容との関係
事実
アイデア
コンセプト
ネーミング
キャラクター 絵柄・作風
構図・ポーズ
・・など、それ自体には「著作権」は存在しない
大まかに捉えれば、連載作品であっても読み切り作品であっても、
『毎回毎回の作品そのものの表現に著作権がある』ということのようです。
とはいえ、「上記の様々な要素には「著作権」はない」からといって、あからさまな模倣模倣の連続で商業作品を作り発表していくような行為があると、世間的にアウト判定を受けてしまう事態にもなってしまうのだと思います。
『表現はどこまでも自由』ーということは強く土台として持ちつつ、先人たちの膨大無辺なクリエイションから、何にインスピレーションを感じ
インスパイアを受け、踏襲する上で、リスペクトを有しているかどうかーは、作品を通じて伝わってくるものなのだと思っています。
※今回色々と調べていく中で、意外にも、「キャラクターそれ自体には著作権は存在しない」ということを知りました。「それ自体」というのがポイントのようです。
ここでは深入りしませんが、キャラクターを自由に取り扱うということに関しては「商標権」という権利が関わってくるようです・・。
とにかく「権利関係」の話は複雑に編み込まれていて、深くややこしい話でもあるので、ワタシ自身も浅い知識でしか捉えられていないのだと自覚しております。『著作権』などに関して、引っ掛かりや疑問、或いは興味が湧いた時がありましたら、その都度、納得のいく形まで、粘り強く各々調べていくしかないのだろうな、とも思いました。
著作権がなかったら?
時折、『著作権』というものが無かったなら、どのような社会状況が訪れるのだろう???という疑問が頭をよぎります。
・ひとまず海賊行為や違法サイトや不正配信というものが無くなる?・・・・?(逆説的な意味で)
・あれやそれやのあのキャラクターたちが世界中に溢れ出す?
・究極のマンガが誕生する???
etc,etc,・・・・・・
ーいろいろ綴っていたのですが、綴っている途中で、現時点ではワタシにはあまりに難問すぎる課題であると気づきましたので、いつか自身なりに考察ができればと思います。
「著作権」の無い世界とは、本当にどうなってしまうのでしょう?
マンガファンの皆様におきましてはどう考えられますでしょうか?
※上記「ビックリマンガ ミッキイの冒険」「朝のお使い」の補足
1934年~1935年頃、外国まんが映画(ミッキー、ポパイ、ベティ・ブープetc)のキャラクターを主人公とした『イミテーションマンガ』が豆本サイズで刊行され人気も上々だったそうです。ほとんどは画作者不明で、当時は著作権関連の国際条約は現在のように結ばれていなかったことが、自由な創作(商業的)に結び付いていたようです。
ある意味、現在では貴重希少な「お宝本」のような感じでしょうか。
参照: 別冊太陽名作コミック集:子どもの昭和史・昭和元年―二十年(平凡社)
著作権は複雑な事情を抱えている
やはり深入りはできませんが、『著作権』に関して、以下のような事情・疑問を提示しておこうと思います。
・国ごとに異なっていたりする
・国際的に一律で統一することは難しい
・クロスボーダー(国境を越えて/複数国の間で)間のやり取り
・日本国内における近代的な著作権法の始まりは1899年-
・著作権保護に関する国際条約ベルヌ条約(1886年ー)やUCC万国著作権条約(1952年-)における「マンガ」との関連は?
・デジタル・ネット時代になりますます複雑な事態になっている
『著作権』とは、やはり一筋縄では把捉できない、非常に難しい問題である ーと、改めて認識できます。
著作権はなぜ生まれたのか?
著作権のターンの最後に、著作権(出版権・公衆送信権含め)に関してぜひとも記しておこうと思うのは、
「著作権」ということに関して綴ってある-以上のすべては、究極的には、ビジネス(商業・経済活動・マネー)が関係してくる場合のお話でありまして、どこまでも『ヒト社会都合で存在していること』を忘れないで押さえておきたいと思えました。
もちろん、ビジネス以外にも、「名誉や存在証明(レゾンデートル)」というファクターが関係しているとも思えますが、やはりこちらも核心的には『ヒト社会都合』であることを押さえておきたいと思います。
※『著作権』をテーマとして扱ったマンガ作品として、当時(-2012年頃)とても心を軽くしてくれた作品がありましたので、字面ですが、提示させて頂きたいと思います。
『弁護士の九頭【第二審】4巻 盗作の深層①~⑧』
井浦秀夫先生著 監修・弁護士小林茂和 小学館ビッグコミックス
当時ワタシは、東日本大震災のショックで、クリエイトに積極的に取り組もうとは思えなかった時期でしたが、何も製作していないにも関わらず、なぜか『「著作権」への怯え』は抱えていました。そんなワタシの「心の中の呪縛」を緩く解きほぐしてくれた貴重なマスターピースの1冊です。ありがとうございます。
インターミッション
デジタル時代のコンテンツの価値とは?
基本、デジタル作品は、原理的に無限コピーが(簡単に)可能」「大量コピー送受信が(簡単に)可能」 という特徴から、人の所有に関する価値観が変転してしまい、
『芸術作品(あるいはコンテンツ)そのものの価値の低下』あるいは『芸術作品(あるいはコンテンツ)の所有価値の低下』につながっている、-という見方もできるようです。
昨今、オンリーワンのオリジナルデジタルデータという価値を担保する技術?との関連で『NFT』というワードを目にする機会が増えてきましたが、これが、この先の人類のデジタル社会活動にどのような影響をもたらしてゆくのか、注目のトピックなのだと思えました。
アナログ作品でも(ex二次元絵画において)、高精細に写真に収められたり、コピー機で高精細複製されたり、スキャンされたり、デジタルデータ化された瞬間に、事実上、結局は無限コピーが可能となってしまうので、技術面や法律面で、さまざまに対策が取られつつも、最終的には、ユーザーのモラルに関わってくる、という構図は変わらないような気もします。果たして、どのような方向に社会・世界が進んでゆくのか、リアルタイムで波に揺られてゆくしかないのでしょう。
とにかくも、希少性・限定性に「価値」を感じてしまうのはヒトの性(サガ)なのでしょうか。ワタシも遠い昔、ビックリマンシール(ロッテ)の希少なキラキラシールを崇めるように眺めていた時期もありましたが・・。
※『NFT』に関しては、まだはっきり理解しているわけではないので、ズレた文意になっているかもしれませんが、後に理解が深まる時が来たら訂正・上書きしてみようと思います。
③クリエイトとは何か
クリエイトーつくり出すこと。創造・創作すること。
クリエイション:創造・創作
クリエイティヴ:創造的・独創的
クリエイティヴィティ:創造力・創造性・独創性
全てはマネから始まる
まず初めに、大原則として、よく言われるように、
『クリエイトの全てはマネ(真似/まね/学ぶ)から始まる』ことは受け入れなければならない事実なのだと思えます。
それは、もちろん『絵』だけにとどまらないお話ですが、ここでは『絵』の話としてフィーチャーしてみれば、以下のような感じになるでしょうか。
ビリーバット(浦沢直樹先生/長崎尚史先生)の登場キャラクターである雑風先生とケヴィン・ヤマガタのやり取りのワンシーンを翻案して解釈してみれば、
『絵』の歴史の真実とは、とにかく、
『いつか(ひとまず地球史初発以来の)の誰か(何者か)が何か(キャンバス-岩壁~紙~ディスプレイ-)に描いたそれ(二次元的に描かれた『絵』)』ーが、真似されて真似されて・・・・・・マネのリレーが続いて今日 に至る、
ーというマネのバトンリレーの絵巻物歴史なのだと改めて理解できます。
『真似る』にまつわるキーワード
さて、『真似る』という言葉を広く解釈すれば、
以下のような様々なワードがひとまず思い浮かびます。
見倣い お手本 参考 模倣 練習 習作 トレース
オマージュ コラージュ トリビュートアート
二次創作 ファンアート パロディー イタコマンガ
クロスオーバー作品 コラボレーション作品
引用 借用 インスパイア
剽窃 盗用 盗作 パクリ コピペ
贋作 偽物 フェイク まがいもの ばったもの ニセモノ
オリジナル 資料
いずれの段階にせよ、法律的な問題とは別に、社会的な許容範囲のコンセンサス(或いは個々人的な尺度)として、アウトな領域とグレーゾーンの領域がアバウトなものとして存在しているのが現状なのだと思えます。
参考資料について
なぜか『「資料をみること=いけないこと?」という呪い』にかかってい
るワタシ自身の課題としては、法的・道義的に、もちろん許容範囲が存在することは当為として、基本「資料をみること(≒マネすること)はいいことなんだ!」-と、ポジティブに肯定的に捉えられるようになりたいです。
※初めから著作権フリーで自由使用が目的の資料に関してはもちろん抵抗感 無く使用したいと思っています。
クリエイトのケーススタディ
Gプレッソ自身の作品を題材に
ここで、2020年製作の自作(共作)マンガ『デイドリームビリーバ―』を題材にして、クリエイトに関する幾つかの要素をまとめて少し考えてみたいと思います。
※読み切り32Pマンガ『デイドリームビリーバー』に関しましては、note記事「デイドリームビリーバー①マンガを作ってみませんか?」に掲載してありますので、ご興味をもっていただけましたら、そちらを訪れて観覧いただければと思います。作画者は絵師の「柑橘了」さんです。
さて、本作を製作するにあたって、その発端となったのは、2019年6月に思いつき描かれた「一枚の『ラクダパーティー』の絵」でした。※下記参照
思い浮かんだラクダパーティーの絵から物語を綴ってみよう、と思えたわけですが、ストーリーを考える前に、念のため、似たような絵が存在していないかどうか、ネットで画像検索してみました。
すると同じような発想の『一枚の絵』がでてきました。以下がその絵です。
それは、伝説のマンガ雑誌『漫画少年』の65年程前の表紙絵でした。
現時点におきまして、ワタシのリサーチ力では、誰がその絵を描いた人物であるのかは探せなかったのですが、作品を作るうえで、ワタシ的にこの一枚の絵を見過ごしたくはないと思えました。そこで、どうしようかと一旦停止して少しの間迷いました。
そもそもラクダは、世界の地上において「船」のような役割を持つ動物であり、ヒトや荷物を載せて運んでくれるメジャーなアニマルなので、そのような「絵」は星の数ほど発想されてきたはずなので、気にせずストーリーに進めばいいのかな、とも考えることもできなくはなかったと思えもするのですが、やはり、スルー(視なかったふり)はできないな、と強く直観しました。
結果、共感とリスペクトを持って作品に組み込むことで、自身なりに昇華(消化)してみようーと試みてみたのでした。
アニメーションの世界でもよく見かけるように、たとえば、新海誠監督が、ジブリ-宮崎駿監督-作品などの多くのシーンを真正面からわかりやすい形でオマージュ的に取り入れているのは、ひょっとするとこのような心境なのではないのかな、と思えました。
☟リスペクトを込めた自身なりのオマージュ
因みに、さらに遡ること『ラクダ』絵を探してみると、日本においては以下のような「絵」を見つけることができました。ジパングにおいては珍しい動物でもあったラクダの絵は、当時それほど数多くはありませんでしたが(ネット検索で見る限り)、砂漠の地域などでは背に載せて歩くバディ的身近な動物なので、世界規模においては、すごい数のラクダ絵(絵画やデッサンイラスト含め)がアーカイブされているのだと推察できます。
また、作品タイトル名である『デイドリームビリーバー』とは、言わずと知れた世界中で広く歌い継がれている屈指の超名曲・有名曲モンキーズの曲のタイトルDaydreamBeliever(1967年)からですが、作品のテーマとした「VR世界をふわふわと旅するビリーバーたち」という雰囲気に合っているな、と思い選択したのでした。
そして、ティカたちが旅しているVRワールドの名前も『ビリーバー』としています。
④オリジナリティとは何か
オリジナリティー
独創力・創造力
独自の新しさ・斬新性
価値の源泉・起源・元祖性
『オリジナル』という言葉を聞いてサッと思い浮かぶのは、
「何かが始まった一番最初の始まりのそれ」という漠然としたイメージです。
物理的物体オブジェクトにおいては、たとえば、漫画原稿の場合は一枚限りの生原稿、フィギュアにおいては金型を取るための一点ものの原型造形物といった『フィジカルなもの』がオリジナルということになりますが、近年、デジタル原稿や3Dプリンターの登場により、物理的に残らない形での『データ』という在り方も、「オリジナル」というワードを考える上で重要な要素となるでしょうか。
キャラクターのオリジナリティとは?
始源
さて、舞台がリアル社会上・インターネットWEB社会上を問わず、
マンガやアニメやゲームや絵本や紙芝居、PRキャラクター(ご当地キャラ/動画登場3Dモデル)やVRアバターなど、
もはや数えきれないほどの無数の『キャラクター』たちが地球上には存在し、子どもたちのノート(或いはディスプレイ)への落書き・お絵描きから、プロフェッショナルな商業イラストや絵描きびとたちの趣味絵まで、日々、時々刻々、世界中で『爆誕』もしています。
その際、同系統の存在をモデルとするとき、キャラクターを区別する要素≒それがオリジナリティを有するものである、と証明するものはどのようなものになるのでしょうか?
ー以下、「オリジナリティ」に関して随想してみたいと思います。
キャラクターは並存することがスタンダード
-ウサギキャラクターを例に-
上記のキャラクターたちは、ベースになっている動物が「うさぎ」であることが共通していますが、最終的デザインには、作家・デザイナー先生方それぞれの個性が滲み出ています。
いつもいつでも日々刻々と、世界中で、子どもたちのらくがきからデザイナーのデザインまで、『うさぎキャラクター』は生まれ出ている、ということを前提として、
その生み出されたキャラクターたちは「デザインの洗練性の度合いや絵のウマ-ヘタや有名・無名関係なしに、『同族』ということでキャラクターの種類的には仲間内(グルーピング)として括れる」のだと考えます。
仮に、特徴の似ているキャラクターがかぶっていたー偶然必然・意図不意図・自覚無自覚etcの度合いはあるにせよーとしても、現実世界のヒト社会においても、同姓同名も普通に存在し、相貌、容姿、身につけるファッション、etc、etc、-似ているヒトたちが普通に存在し共存し合っているので、キャラクターの世界にも、『同じアニマルをモデルにした場合には、「似ている概念」というのは普通にあり得る』-というところが落としどころなのでしょうか。
あとは性格の違いなどで、キャラクターの差別化が行われる、ということなのだと思います。
他者作品を模写しながら描いたものでない限り、動物キャラクター(動物だけに限りませんが)のすべては、はじめから「オリジナリテイ」を獲得している-されている-のだと思えます。
※Gプレッソの現時点での随想です
この『オリジナリティ』という観点において、マンガファン・エンタテインメントファンの皆様はどう考えますでしょうか?
キャラクタライズへのチャレンジ
オリジナリティのターンにおいて、アニマルキャラクターに関しての
現時点での個人的結論は、最終的には「『同族同士』ということで、どれほどの似ている並存存在があってもOKでいいはず」とも思っています。
そして、特にアニマルというカテゴリーにとどまらずとも、森羅万象はキャラクターに昇華でき得る(ワタシも私淑しておりますやなせたかし先生のアンパンマンシリーズのように)ので、自身の内より生み出される根拠のあるキャラクターに関しては、おそれずに堂々とキャラクタライズにチャレンジしていこうと思います。
インターミッションⅡ
ゴキブリマンガへのお誘い
-ゴキブリはいつも世界の人気者-
Gマンガブーム-自分自身への鼓舞の意味も込めて-
ここで、突然ですが、ひとつ『Gキャラクター』に関してミニ演説をさせていただこうと思います。※G=ゴキブリ
読み切りマンガ『デイドリームビリーバー』や、『マンガワールド記事』にて登場していますのは、2014年に迷い込んできたクロゴキブリと暮らした経験から生み出された「Gキャラ」のディオです。
そもそもゴキブリは、パンゲアの太古より地上に暮らしている、世界でも最も繁殖力旺盛な部類に入る歴史的昆虫でもあり、ヒト社会に深く入り込んでいる身近な生き物でありますので、古今、ゴキブリをモチーフとしたコンテンツは数多くあり、ゴキブリキャラクターも山ほど絵描かれてきた、という伝統もあります。※下記参照
ワタシも日々、デザインなど含め、様々なGキャラクターを思い描き、空想をあたためています。
その上で、『ゴキブリキャラクター』とは、「ワールドコンテンツ」になり得る-誰の?ワタシの?というわけではなく『ゴキブリ』というキャッチーな存在のポテンシャルの話として-モチーフだと真剣に思い込んでおります。
ワタシ自身もアイデアを考えつつマンガ化を構想しておりますが、週5アルバイト生活の中での作品作りになるので、鑑賞に耐え得る作品のアップまでは、今しばしの季節を要してしまう予感がします。
なので、その間に、ゴキブリマンガがブームになってくれてないかなあ、
などと密かに妄想もしております。
ローマは一日にして成らず-ですが、このインターネット時代においてのコンテンツの拡がり方は、また別様のローマの築き方があるような気もしています。
それには、皆様-(ゴキブリ好き、あるいは、ゴキブリにポジティブな
クリエイター様やクリエイター志望者様やあらゆる有志の方々様含め)-のお力が必要です。
ヒト誰の心にも、自分だけの『ゴキブリキャラ』が潜んでいると思います。ぜひ有志のクリエイター様におかれましては、『ゴキブリマンガ』を世に問うてみませんか? 『Gマンガ』に気楽に本気でチャレンジしてみませんか?そうして、ポジティブな意味での「競合」の中で、いつの日か共演・協演・コラボレーションなどできれば面白いと思いませんか?
それぞれのGキャラクターたちが勢ぞろいする-Gたちの饗宴が・・・聴こえてきませんか?
きっと『G』たちは、いつでもあなたを待っています。
あなたの『優しさ』を待っています。
・・・-以上でミニ演説を終わります。
・・・すいません・・・。ちょっと語り方が熱くなってしまいました。
また、『「ゴキブリ」は文字も見たくない程嫌いだよ!』という皆様におかれましては、たいへんお騒がせしまして申し訳ございませんでした・・。
演説の要旨は、
『マンガ界において伝統あるジャンル「Gマンガ」の系譜を受け継ぎつつ、切磋琢磨して「Gマンガ界」を盛り上げていきませんか?』-というものでした。
※特に「交流」をしましょう―という呼びかけではなくて、端的に、独自に各々でそれぞれの「Gマンガ」を模索して作品作りに励んでいきましょう!-という呼びかけのようなものです。
ワタシもミニ演説したからには、そろそろドライブを駆けて自らを鼓舞してクリエイトしていこうと思います。
☟Gコンテンツ 古今多彩なゴキブリキャラ
※万が一G(特にクロゴキブリ)に興味・関心を持たれている読者様-もしくはGに興味を持たれているかもしれないご家族・ご友人・お知り合いの方々など心当たりがございましたら-がおりましたら、Gプレッソnote「Gの世界①~⑫」の記事に、写真や動画満載でGの生態・暮らしなどを綴っておりますので、閲覧注意で訪れていただければと思います。何かしらのインスピレーションの参考にしていただければ嬉しいです。
⑤表現規制や表現のタブーとは
マンガ表現はどこまで自由なのか?
歴史的傑作を幾作品も生み出した巨匠楳図かずお先生の
『宇宙では どんな想像も 許される』という歴史的箴言がありますが、
ワタシもかつてこの言葉に出逢った時、おおげさではなく感動で慄き震えあがる程の体験をいただきました。
そのような個々人のどこまでもオールフリーな想像世界から、一歩踏み出した、外部社会・世界へ向けての『表現』世界においては、表現してはならない・表現することが許されない『表現』というものは、果たして存在するのでしょうか。
「表現規制」というワードから、具体的な要素をGプレッソなりに整理してみれば、ひとまず以下の3つの領域が浮かんできました。
○倫理・道徳的カテゴリー
性表現 暴力表現 グロテスク表現 イリーガルな表現 etc
○人種・文化・特性の多様性的カテゴリー
登場人物キャラクターの人種的表現 信仰に関する表現
セクシュアリティに関する表現 障碍に関する表現 etc
○諷刺・ディスクロージャー的カテゴリー
権力・権威への批判 社会的タブーへのディスクローズ
個人の秘密の暴露 社会的内部告発 etc
上記の『表現』全てのカテゴリーにおいて、まず念頭に置いておきたいのは、国や地域や所属集団ごと、かつ時代ごとー最終的には個々人それぞれごとに『許容範囲』は異なっている、ということでしょうか。
『許せるライン-許せないライン』がまちまちであることは、日常、ワタシ自身も深く実感している事実で、自分の中でも曖昧なラインが存在しているなあ、という印象もあります。
ジパングのマンガ表現多様性
さて、世界基準でいうと、「ジパングの表現に対する制限は非常に緩い」ものと捉えられているようです。とはいえ、-言葉の表現が適切かどうかはいったん棚上げして-「何でもありの闇鍋状態であったがゆえの今日のジャパンマンガの裾野の広さと井戸の深さ」が存在し得たのだとも思えます。
そして、ジャンル多様性が達成されている状況であるがゆえに、マンガで救われた(救われている)ヒトもいれば、しかしながら、マンガに人生を狂わされた、と思っているヒトもいるのだとも想像できます。
『マンガワールド③世界とマンガの歴史』でも少し綴り置きましたように、かつてジパングにおいても「諷刺マンガを表現すること」には厳しい時代-江戸期や明治期-大日本帝国The Empire of Japan戦時期時代etc-がありました。
アメリカの1950年代には「コミックス・コード」が制定され、有害コミック追放運動の波が訪れました。
その際、表現のセーフ-アウトを決めるのは、基本『時の国家権力』ということになりますが、そのように法律の旗の下に「表現」は制限・限定されていた時代があったことは、各国それぞれの「マンガの歴史-延いては社会の動静-」にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。
21世紀の現代、多くのカントリーにおける「表現規制」の実態的には、表現者サイドが自ら規制する自主規制(規制~回収まで)という在り方が表向きの主流なレギュレーションとなっておりますが、かつて言論統制/思想統制 /出版検閲/発禁(発売禁止)が実際に行われてきた歴史を鑑みるに、現代においても、いつでもそのような時代-法で規制される時代-に突入する可能性は、いつでもマックスであるのだな、とも思えます。
表現の受け取り手(鑑賞者・ユーザー)への配慮
一方、
『どのような表現物も、表現されてよい。その際、見たい人は見て、見たくない人は見ない、という環境が揃えばOKなのではないか?』-という意見もあるようです。
表現する側において、(法的にまるでアウトな部分は別問題ですが)表現の幅・程度の許容度は、それぞれの個人・出版社等によりセルフに設定されて審査(判断)されている、として、
鑑賞者・受け取り手・ユーザー側への配慮としては、
・レイティング(鑑賞制限)-映画・ゲームetc-
・ゾーニング(個々人の嗜好に添ったコンテンツの棲み分け・分類)
※年齢制限は一つの方法でそれ以上でも以下でもないにせよ
-などの配慮があるようです。
主に年齢制限がレギュレーションの主軸でもあるので、その観点から思えるのは、どこからどこまでが、その作品がその年齢において好ましいかあるいは好ましくないかどうかは、やはり、それぞれの国や文化ごと、個々人の事情(周囲の環境や個々人の希望・思惑など含め)によるので、はっきりとした基準を決めるのは難しい事情があるのだな、と改めて思いました。
※この上記の感想は、何も言ったことにはなりませんが、現時点で、個人的にワタシが表現して描こうと目指している『表現』は、過度にドラスティック・ラディカル・センセーショナルetcな表現ではない ので、表現してみようとするサイドからの観点としては、どこか自分ゴトとしては、まだ捉えられていないのかもしれません。
「表現するリスク」と「表現しないリスク」
さて、考えてゆくと、『表現』とは、盾にも矛にもなってしまう難しい行為であることを、改めて確認・自戒しておりますが、どのような『表現行為』であれ、リスクを吞み込んで表現することに、それぞれの存在意義-レゾンデートル-が個々人に問われているのだと思えました。
仮に表現という行為に対立構造があるとするならば
・市民の人権 VS 国家権力
・表現者個人 VS 社会の空気および世界
などが思いつきますが、
いずれにせよ、それぞれの『表現者] は、リスク(身の危険なども含め)との兼ね合いを図りながら「作品」を世に送り出している-或いは送り出さない-という実情なのだと思います。
そして、自分自身への問いかけとしても忘れてはならないと思うことは、
表現しないこと」もまた≒『「沈黙を保つ-サイレント-」という表現』でもあるので、サイレント表現を選んだ結果のリスク、というものもあるのかもしれないよ?-ということです。
-2020年ー2021年-現在の、リアルタイムな厳しい世界状況の中、果たして『表現』をするにせよしないにせよ、いずれにせよ「生きてこそ」であることはマストな事実なので、ぜひマンガやコーヒーや音楽に助けられながら、どうにかこうにかサバイバルしていきたいと思います。
⑥パブリックドメインとは?
パブリックドメイン
ーある知的創作物が社会全体で共有されている状態。共有財産・公知の情報。
今回のメイン記事の最後に「パブリックドメイン」に関して、サラッと触れておきたいと思います。
ここでは、ざっくりと「パブリックドメイン」≒「公有コンテンツ」「誰でも無料であらゆる断り無しに無制限に使用できる著作権オールフリーなコンテンツ」-と捉えておきます。(捉えるというか、Gプレッソがパブリックドメインに対して抱いている最大理想的なイメージです)
資料画像などの観点からのパブリックドメイン
さて、実際ネット上でパブリンクドメインのサイト(ワールド的観点で)をいくつか眺めて見れば、とてつもない画像資料の宝庫の海でもあり、あらゆるカテゴリーの画像が探索できるようにもなっており、これらの画像を自由に組み合わせられるならば、どのような二次元表現の絵やイラストも想像・創造可能なのではないか?-と思えてしまう程です。
とはいえ、現在のところ、自身の作品製作に積極的に活用してみよう!という思いも浮かんでこないことは、やはり素直な感想でした。
というのは、パブリックドメインに関して触れている様々な記事で触れられているように、「そのコンテンツ(画像にしろ何にしろ)が、絶対確実にパブリックドメインであるかどうか?」ということを証明するに足る確実な根拠-を確認することは非常に困難なこと(もしかすると永久に不可能なのではないかとも思えてしまいます)であるとも思えてしまうからです。
そのような労力や不安に囚われるくらいならば、著作権フリーな資料写真集も数多く手に入れやすい時代でもあるし、それらを活用したり、デジタルカメラ(スマートフォン含め)全盛の時代において、気楽・気軽・お手軽に画像をパシャッとできる自撮りの資料を元に作品作りをする方が、安心かつ効率的であるなあ、と改めて思えました。-やはり個人の感想です-
美術作品やエンタテインメント作品やキャラクターなどの観点からのパブリックドメイン
コンテンツにおける著作権保護期間に関しては、
・コンテンツ公表後○○年~
・著作者の死後○○年まで~
-などという取り決めがある中で、それを経ての自由利用が可能となるシステムが作られています。
それは国ごとに異なっていたりするケースもあり、やはりGプレッソ的には複雑に見えてしまいますが、歴史的名画・絵画・アート作品(高解像度無料ダウンロードかつ商用利用可能な作品が数十万点あるという事実)やワールドワイドな人気キャラクターが自由利用になる、ということは、単純にわくわくできます。
もし、あらゆるワールドワイド(もしくはローカルポピュラーも含め)なキャラクターがパブリックドメインとなり自由利用が可能となったら・・・と、もしもボックス(ドラえもん)的に想像すると、『夢のような「絵(イラスト画像・場面)」』がありありと浮かんできます。これは、作成が間に合えば、一部でも『マンガワールド⑫究極のマンガとは?』の記事でファンアートコラージュとして掲載してみたいと思います。
その他のパブリックドメイン
「パブリックドメイン」というワードから、一番最初に思い浮かんだのは『WWW-ワールドワイドウェブ-』(1991年誕生:発明者ティム・バーナーズ=リー博士)でした。
Web技術のパブリックドメイン化(1993年by欧州原子核研究機構CERN) のインパクトによって、今日のインターネット社会が築かれていった、-という事情のようです。
※Web技術の代替のアイデアはあったのか?とか、パブリックドメイン化の目的は?など、専門的な深い事情はもちろん分からない(分かれない・調べられない)し測りかねますが、何か、開発者やCERNに対して、とても「ありがたや。ありがたや。」と感じてしまいます。
おわりに
それはやがて消えてなくなる
さて、今回の記事では、いろいろと『表現』の道へのハードルはどのようなものがあるのだろうか?的な意味合いも込めて綴ってみましたが、「表現を世に送り出す」ことに関して様々な困難はあれど、最終的には、ある程度開き直って「EASYCOME EASYGO」「ケセラセラ」「ホ・オポノポノ」「タンブリングダイス」「風に吹かれて」「転がる石のように」・・・過度に恐れずに『表現』していきたいなとも思っています。
宇宙という極大のコンテンツから自身というコンテンツまで、その全て、いつでもあっさり丸ごと消え去る-消え去り得る-という、儚い運命・・・。(※いつも厭世的な気分でいるわけではないですが)それに伴い、『つくりあげたコンテンツ』も、当然跡形も無く消え去るわけですが、
にもかかわらず、『なぜ作るのか?』
やはり、最後はいつもこの問いへと収斂していきますが、このことは、自身への問いかけとして、終わりなき宿題のように、ときどき-いつも考えているわけにはいかないので―意識的に考える時間を作っていきたいな、と思います。そして、とにかくも、少しづつでも前進していきたいです。
次回予告
さて、次回のマンガワールド⑪では、『マンガの未来(仮)』と題しまして、デジタルワールドに突入して後の、現況カオス(清濁併せ吞みつつ)なマンガワールドが、一体どのような方向性に花開いてゆく可能性があるのか、などに関してライトに綴ってみたいと思います。
広く『マンガ』に興味を抱いておりますマンガファンの皆様におきましては、ぜひ、お時間のある時にでも訪れていただければと思います。
よろしくお願いします。
記事内「オリジナリティー」の項:うさぎキャラクター由来
・鳥獣戯画より(12世紀-)
・ピータラビット(1902年‐1901年‐)ビアトリクス・ポター
・しあわせうさぎのオズワルド(1927年-)ディズニーキャラクター
・バッグス・バニー(~1940年ー)ルーニー・テューンズ
・ミッフィー(1955年ー)ディック・ブルーナ
・兎用心棒(1984年ー)スタン・サカイ
・ロジャーラビット(1988年映画-)タッチストーン・ピクチャーズ
アンブリン・エンターテインメント
・マイメロディ(1975年ー)サンリオキャラクター
・キングカズマ(2009年ー)サマ―ウォーズ
・逢魔ヶ刻動物園園長(2010年-)堀越耕平先生
・ジュディ(2016年ー)ズートピア
著者自己紹介
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↓アマゾンキンドルにて電子書籍発売中です。
キンドルアンリミテッドでも読めますので、もしご興味頂ければぜひご一読いただければと思います。
note記事のおしらせ
2023年6月時点でnote記事に以下のラインナップをアップしております。何か引っかかるタイトルがございましたら、ぜひ訪れて頂ければと思います。
ゴキブリマンガ
『ボクはディオゲネス』の紹介
マンガ構想の一つとして、いろいろな角度から『ゴキブリマンガ』を構想していくにあたり、その中の一つ『ボクはディオゲネス』はコツコツと話数を重ねていこうと思っています。
1話2ページの省エネマンガ『ボクはディオゲネス』は、全555話構想ですが、これまでそれぞれのnote記事におきまして掲載してきたものは25話ほどになりました。
今回は、その中から幾つか紹介させてください。
第201話 ホームラン。
第528話 かなたで
ご覧いただきましてありがとうございました。