ワンダフルワールド009社会とは何か?
はじめまして。こんにちは。
冷たい北風が吹き始めた昨今 コーヒーやハチミツやマンガや音楽に温められながら、チェンジザワールドのような鮮やかなマンガを構想中のGプレッソです。
さて、今回の『ワンダフルワールド009』におきましては、『「社会」とは何か?』-と題しまして、ここ十年来、世に現れた「書籍」や「ネット情報」や「暮らしの情報」などを素に綴ってみようと思います。
その動機としましては、これよりの激動が予想される世界/社会に適応・対応していくためには、自らが暮らしている『社会』という漠然とした怪物と改めて向き合う必要があるのではないか?-と思えたからです。
とはいえ、やはり小難しく分析してみるという訳では無しに、備忘録としてライトにふんわりと記し置いてみたいと思います。
※本記事は、あくまでも「個人の感想」であることは前提であること、また、物事や社会や世界の善悪を論じたいという意図はありませんことをご了承いただければと思います。よろしくお願いします。
もくじ
はじめに 共同生活の場所
A 時代と社会
B『層』に分かれている社会-初めから分断-
C 支配と社会
インターミッションⅠ
「善悪」とは何か?-問いの提出まで-
D 庶民と社会
インターミッションⅡ
「社会」はどうなるのか?
E これからの社会
おわりに チェンジ ザ ワールド
連載Gマンガ
『ボクはディオゲネス』第255話
『デイドリームビリーバー』構想進捗リポート
あとがき
はじめに 共同生活の場所
ヒトが集まるところに「社会」が形成されますが、そもそも「社会」とは何でしょうか?
一口でまとめれば、
・ヒトビトが集まる場所で営まれる共同生活の形態模様とも言えるでしょうか。
社会あるところに、文化や芸術 生活や医療 科学や技術 事業や社会的問題-など様々な事象領域が芽生え、社会は時代と共に進展してゆくのが基本なのだと思えます。
ただし、
①時代の進展が=個々人の幸福度の向上に結び付いているわけではないこと
また、
②時代の進展(特に工業社会以降)が=人間以外の生物や地球環境そのものにダメージを与えていること-は忘れないでおきたいと思います。
A 時代と社会
「ソサエティ5.0」というワードが、近年注目を集めています。
『今回の人類がこの地球上で何度目の文明なのか?』というSF的本当の真実はさておき、600万年の現今人類の歴史を見れば、以下のように「人類社会」のバージョンアップは進んできたようです。
ソサエティ1・0 狩猟・採集社会 ~600万年間
ソサエティ2.0 農耕・牧畜社会 ~1万年前
ソサエティ3.0 工業・産業社会 ~250年前(18世紀半ば頃-)
ソサエティ4.0 情報社会 ~60年前(1960年頃-)
ソサエティ5.0 スマート社会 ~ここ20数年前頃
-現在→近未来超スマート社会
※年代はすべておおよそです。
個人的に、『過去』にも並々ならぬ興味がありますが、やはり、より気になるのは『現在』と『近未来』のことです。
まさに現在突入し始めた「ソサエティ5.0社会」のおおよそのイメージとして、気になったキーワードをまとめて置いておこうと思います。
リアルとメタバースとの融合社会
ICTのフル活用(Iot・ビッグデータ・AI etc)
AIやロボットを活用したよりよい人間中心の社会
デジタルツイン ロボットアバター
スマートシティ AIドローン
リアルタイム翻訳 VRコンタクトレンズ
カプセルロボット治療
脳波リモコン-マイクロチップなどによる-
etc,etc…
上記のインフラを整えたもとに、
『個々人一人ひとりが、多様性を超えてお互いを尊重し合い、希望を持ちながら快適に活躍できる社会-を目指す』ということが理想として掲げられているようです。
当然ですが、理想がどの程度実現されてゆくのかは未知数でさておき、社会的なインフラとして、ソサエティ5.0-のテクノロジーが、いよいよ実現され標準搭載されてゆく時代が間近なのでしょうか。
B 『層』に分かれている社会
「社会」とは、どうやら幾つもの「層」にわかれて廻っているようです。
ワタシ自身は、長いこと、いわゆる『社会』という存在に「真正面から目を向けるということ」には着目できていませんでした。
どちらかと言えば「ワタシ個人はどのように生きるべきなのだろうか」という『個々人のライフ』の方に関心を寄せていたのです。
ところが、2011年の東日本大震災を契機に、『社会』に目を向ける-向けざるを得なかった‐ことが自分自身に自然と要請されていったような気がしています。
社会のレイヤー(層)
どんな国のどのような社会であれ、「当該社会」は以下の4つに分かれて並存していたのだと思います。
①表層社会-一般社会(表の社会)-
②地下層社会-アンダーグラウンドな社会
(裏社会/闇社会etc)-
③上層社会
④支配層の社会
上記の4領域にプラスアルファとして、ここ四半世紀の新領域として
⑤リアルとバーチャルのレイヤー
成立してきた(いる)のだと実感します。
以上および以下は、庶民のワタシ的な立ち位置からの視点ですが、
○暮らしてきた日常的一般社会(①)
○事件的ニュースや伝聞やネットメディアやエンタテインメント作品など により知識として持っているアンダーグラウンドな社会(②)
○街角の豪邸や高層建築物・高級ブランド店舗など世界的大企業
大富豪・セレブリティ・エンタメなどの存在として実感しているマネー的な意味での上層社会(③)
○マネーでは越えられない壁の向こう側にある本当の権力社会(④)
○仮想世界(現ネット上サイバー空間・SNS/メタバースetc)において 形成されている(いく)バーチャル社会(⑤)
そして、
『①②③のレイヤー住人たちが、半強制的にマネーゲームに参加させられ踊らされている歴史』が、ここ100年くらい(延いては400年-800年ーさらに遡って4500年くらい) の顕著な社会の実相なのでしょうか -と、以上のような理解をしています。
ヒエラルキー(階層化・階級化)
さて、上記のような「社会のレイヤー」があり、さらに、それぞれの層の中(内部)で、さらなるヒエラルキーが存在しているのでしょうか。
ヒエラルキー構造の中では、持つ者と持たざる者の違いは顕著に表れ、ある意味(というかダイレクトに)それは理不尽な構造の中で社会が営まれている気がします。
それでも、その理不尽な社会構造の中で、個々人の選択は(本質的には)自由であるとすれば、
○持つ者を目指す者と特に目指さない者
○覚悟を決めた者と覚悟を決められない者
○社会に必要とされることを望む者と社会とはなるべく距離をおいて生きていたい者
・・・etc,etc,
いろいろなセレクトでそれぞれの闘い(或いは闘わない)をTPOに応じて選んでいるのだと思えます。
現時点で、市民はより貧困化へ、資本家たちはより富裕化へ-という流れが表層社会では展開されていますが、この流れは不可逆なのでしょうか?
ワタシ自身は、気概的にはピラミッドの外に出ていたいけれど、生活費を捻出するためにはアルバイトを続けていく必要があるので、下の方でウロウロと迷いつつ惑っているドリフターのひとりのような感じです。
C 支配と社会
さて、『「社会」はいつだって支配する側とされる側に分かれて成り立っている』という考え方があります。(考え方というか、普通の事実なのでしょうか)
大きく「社会」という枠組みの中では、率直に考えて、
先ほどの、ピラミッド構造ヒエラルキーの話に重ねてみれば、
その『社会』の上部に位置する権力を持つ一部の少数者たちが 「支配する側」になるのでしょうか。
そして、一部の少数者権力に追随する(受動・能動-意図・不意図関わらず)
・長いものに巻かれる系
・寄らば大樹系
・勝ち馬に乗れ系
ーの企業や政府や組織や個人が、『支配する側』に含まれている ーのだと思えます。※誤解を避けるために念のため記しておけば、この項では善悪やよしあしを問いたいというわけではありません。
また、家庭や学校や会社や友人間などドメスティックな枠組みの領域においても、「支配」ー「被支配」関係があり、時に(いつでもでしょうか)問題となってもいます。
これからの『社会』において、「支配する側-支配される側」という構造を、どのようにうまく解消できるかどうかは、ワンダフルワールドへの大きな課題の一つなのだと実感します。
公然の秘密
社会には『公然の秘密』というものが存在するようです。
子どもの頃流行した 古代文明や宇宙人や南極や月や火星や木星や地球内部や超能力や・・・あれやこれやの様々な魅惑的SFキーワードが、たとえばエンタテインメントの形で、ほのめかされてきました。
このような『公然の秘密』が、いつの日か公式に一般市民に情報が開示される時が来るのでしょうか。
上記のような『きわどい情報が、公然には隠されて来た(来ている)』という史実がある一方、昨今、インターネットの普及度合いにより、
『それまでの「秘密」が「秘密」ではなくなってきている』状況も生まれているようです。
とはいえ、そのまた一方で、もはやインターネット情報の「締め付け(監視・取り締まりetc)」も厳しくなってきている状況も重なってもきたのでしょうか。
勇気ある告発が無かったものにされたり、言論封殺・情報統制かつ情報操作・フェイク情報による心理操作/プロパガンダetcも進んでいるような気がします。
※個人の感覚なので気のせいかつ思い込みなのかも知れません・・。
大人になり、実は公然と行われている「社会」の中の秘密が数多くあることを理解するにつれ、やるせない思いが雪のように募ってきます。
一つ例を挙げてみれば、昨今ネット上に浮かび上がってくる『戦争ビジネス』など多くのタブー的ワードを含め、闇のビジネスが社会の根底を築いているという一面の事実に目を向けると、半ば絶望的な気分に陥ります・・。開き直れない砂粒の個々人(ワタシ自身のことですが)にできることは、なかなか思いつきません。
が、それでも、休み休みでも、ちょっとずつでも希望の光を見つけつつ、何とかメンタルタフネスを目指しながら、ワンダフルな方向を道標に歩んでいきたいと思えます。
インターミッションⅠ
「善悪」とは何か?-問いの提出まで-
さて、『ワンダフルワールド』という【世界観】を考える上で、最終的な壁はいくつか考えられますが、ほとんど最終的な壁と思えるのが『悪』の存在についてです。
以下は、あくまで個人的な思考実験の途上の、一つの個人的感想であることをお断りさせていただきまして、『善悪』に関して思うところを触れてみたいと思います。
悪とは何か?
さて、考えられる『いわゆる”悪いこと”』というものは、挙げていけばおそらくいくつでも溢れてくるようですが、ワンダフルワールド記事内でも、これまで繰り返し確認してきました
「あらゆるものはそれぞれ」という本当のこと(GoldenTruth)から、当然
例えば「価値観」や「欲望」もひとそれぞれであるのであれば、
「悪」を望むこと(悪への自由)や「悪」を礼賛する価値観も普通に存在していることになります。
『悪』の程度にも、またピンからキリまであり、TPOに応じて許容できるもの・ことの範囲は、時々刻々と変化するものでもあるのだと思えます。
社会状況や歴史は、いつでもリアルタイム進行中のフィクションドラマのような生ものなので、個々人が許せるものー許せないものは、やはり個々の置かれている立場や状況によって、『悪』の基準は変化していく(いる)のが自然(大げさに言えばヒト存在の宿命)なことなのかもしれません。
とすると、-ここからは、悪だけでなく善というワードも混じってくるのですが-いわゆる『善悪問題』は、『「ヒトそれぞれだよね」の相対的なもの』になってしまうのでしょうか?
そこで、『善悪問題』において、次の課題と思えるのは「悪の種・悪の花」問題です。
悪の種・悪の花
果たして、生まれついてすぐさま悪人・悪者・悪を目指す者・・などいるのでしょうか?
「悪のたね・悪の花」問題を考えてみる際に、前提として、
生まれた時に、心の中(ダイレクトに言えば遺伝子的なものにまで遡りますが)に悪の種を宿していることは、誰であれ、逃れられないヒト存在の宿命なのだと思っています。
懐かしの理科の「植物の成長」のプロセスそのままに、その悪の種(たね)が発芽するかどうかは、やはり環境しだいであり、さらに発芽した種が花を咲かせるまでに成長していくかどうかも、どこまでも環境次第です。とすれば、『善悪問題』は、個々人の発達上・成育上・環境上の個的運命問題に帰結してしまうのでしょうか?
現実的実感としては、子どもであろうと、大人であろうと、どのような世代を生きるヒトであれ、心の中にはいつでも悪の種は存在し続けているのだ-とワタシ自身も思っています。
すると、ワタシが、あなたが、あの人が、誰でも、いつ・どこで『悪』を発動(急速発芽-爆速開花)してもおかしくはない、ということにもなりそうです。
ので、「悪」の問題は、いつでも自分ごととして考えなければならないビッグイシューなのだ、と、ワタシ自身も自戒する理由の一つです。
果たして、悪の花が世に蔓延るのか、優しい花が咲き誇ることになるのか、人の世はいつでもせめぎ合いをしているようなものなのでしょうか。
善悪の基準・決定要素
善や悪は、どちらともに、時に毒にも薬にもなる、ようなものだとも思えています。
一つだけ思い切って現実のニュースを取り上げてみれば、本年度10月イギリスロンドンにて、とある環境保護団体が、地球の気候変動問題に対する政府の態度への抗議・世間への問題提起の一つとして、ゴッホの絵画ひまわりにトマトスープを投げかけるという一件がありました。
この行為は、果たして、よきことなのかわるいことなのか?誰にとってよきことかわるきことか?
ワタシには、「地球の気候変動」に対する本当の情報や、心から本気でアプローチする情熱も、環境保護団体の当事者の方々以上に持つことは困難なことであるという事情から、このようなニュースや事象を前にするとき、「善悪の判断はわからない」という、結局何も言ったことにならない曖昧な答えしか持ち合わせていないことが圧倒的に多いです。
果たして、善悪の基準や決定要素の問題にはどのようにアプローチしていったらよいのでしょうか?
端的に思考実験してみれば、『善悪』にはひとまず3つの様相があると思えます。
1つは、自分および自分サイドの邪魔をするもの(モノ/者)を悪とする『相対的善悪』
2つ目は、敵も味方も越えて、汎人類的感覚から「悪だ」と思える『絶対的善悪』
3つ目は、人類という枠を超えた視点からの『超越的善悪』
①相対善悪 ②絶対善悪 ③超越善悪
この3つの『善悪』の様相を基準として、ヒト個々人がTPOに応じて適宜都度都度「『善悪』認定」をしている-のではないか、というのが、現時点では自身にとってスッキリする考え方となっています。
『善悪問題』に関しては、上記までの問題提出の他、まだまだ考えなければならないテーマが複数思い浮かびます。が、あまりに長くなってしまいそうなので、本記事においては、以下サラッとメモ提示をしておくことに留めておきたいと思います。
◎悪徳○○問題 一見『味方系』の職種やヒトや組織であっても、 一概に信用に足るのかどうか判断が難しい
◎バイオレンスは直接的暴力のみとは限らない問題
世の中(世界・社会)のすでにあるルール‐法律等含め‐のほとんどは、最初から不平等・不公平設計という社会的バイオレンス
◎頭脳的スマートサイドと腕力的ワイルドサイドとの結託問題
◎そもそも「善悪の観念」を持たずに育ち暮らしてきた人々と どのように共存してゆけるかという課題 ・・・etc,etc。
現実論として、邪道に対して、悪に対して「たいへんよくできました」のハンコを押すわけにはいかない社会であることは間違いないことだと思えます。ところが、「『善悪』は立場やTPOによってリアルタイムに変わっている」-となると、話はどこまでも複雑でややこしく闇は深い物語です。 砂粒の個人の個々人(ワタシ含め)は、このような問題にどう向き合えばよいのか?途方に明け暮れる・・ー以外の道を見つけることができるのでしょうか?
また、どのようにサバイバルしていけるのか?クエスチョンは尽きません。 このような『善悪問題』とは、ヒューマン社会にとって永遠の宿題なのかもしれません。しかし、「ワンダフルワールド」を考える上では、どうしても避けて通れない問題であると、やはりワタシにも思えるので、これからも、自身の中での宿題として、折に触れ考え続けていこうと思います。
果たして皆様にとって『善悪』とはどのようなものでしょうか?
D 庶民と社会
以下、やはり庶民であるワタシ一個人からの視線なのですが、庶民視点からすれば、この『社会』には、庶民生活を脅かす「脅威」というものが少なからずあることを実感します。
社会に溢れているもの
ヒトの悪意やヒトの善意は、日常の様々な場面から感じ取ることができます。
穏やかで微笑ましくほっとする事象を垣間見ることもあれば、「社会」の一面の真実として、悪意サイクルの事象は連綿として後を絶ちません。
以下、自身への注意喚起・備忘録の意味も込めて、社会的な悪意ワードをさらっと置いておこうと思います。
ウソ デマ フェイク だまし ガセネタ 偏向 不公平(アンフェア)
改ざんや上書き(歴史~企業の商品表示など含め)
ブラック企業 搾取構造 天下りシステム 弱い者いじめ ハラスメント
マッチポンプ やらせ 台本 シナリオ 演出 自作自演
罠 ニセモノ インチキ トリック デタラメ 口裏合わせ
ショックドクトリン 盗み 詐欺 凶悪犯罪 恫喝 脅迫 洗脳
成りすまし インターネットハッキング
バイオレンス プロパガンダ 戦争・・・・・・・etc,etc,
いずれも、その多くは、人目につかず隠れた場所で、狡猾でずるいやり方で行われることがほとんどなので、気づけることの方が稀なのかもしれません・・。
さて、上記のようなワードは、多くのヒトたちが希望したいはずの『ワンダフルワールド』とは対極にあるものだと思えます。
『世の中の悪意』を確認すれば、おなかいっぱい途方に暮れて、時にワンダフルを見失いそうにもなりますが、気を取り直して、自問自答を2つ投げかけておきたいと思います。
①果たして、善悪の絶対的基準とは存在するものなのでしょうか?
また、
②いわゆる「『悪-絶対悪-』的なモノ(概念としての悪)」を改心でき得る方途・方法はあるのでしょうか?
①に関しては、現在の所、自解的には留保中です。
しかし、「絶対的悪はある(はず)」と直観的に思っています。
それはなにか?いつか何らかの作品として昇華してみたいとも思います。
②に関しては、可能性があるとすれば、パッと思いつくのは以下のような感じです。
・『アート』の領域-芸術に触れる・或いは芸術を表現する-
・『ヒト』との出会い-超常的的な・カリスマティックetc-
・『聖なるもの』との出会い-崇高さや大自然etc-
・『癒しと真実の愛』の享受
・・・etc.etcでしょうか。
分断されている社会
さて、世界中、どのような『社会』であれ、「社会」は常に『分断』され続けているのでしょうか。
ひとまずパッと思いつくのは以下のような分断です。
・『層ごと』の分断
・『情報』の分断-知っている者と知らされていない者
・『○○主義』とかの分断
・『右とか左とか』の分断
・『土地ごと』の分断
・『支配サイドと被支配サイド』の分断
・『世代』の分断
・『生き方』の分断
・『ランク付け』による分断
○『層ごと』の分断
嫌な分け方ですが、
上層・上級 中流・中級 下層・下級
止まらない階層格差社会の行きつく先は・・・対立しかないのでしょうか?
○『情報』の分断-知っている者と知らされていない者-
たとえばインターネットの世界でも
サーフェイスウェブ 表層(一般的なインターネットで得られる情報)
ディープウェブ 深層(条件付きで限定的に受け取れる情報)
ダークウェブ 闇層(一般の検索エンジンではたどり着けない情報)
と、アクセスできる情報は限りなく乖離しているようです。また、「リアル世論とSNS世論とのズレ」も「情報」の分断によって生じているのでしょうか。
○『○○主義』の相違という分断
特に分断という言い方が当てはまるかどうかは別問題として、世界には「社会」の在り方・在り様- 社会形態‐に関して個々人レベルで/コミュニティレベルで/各国中枢政府レベルでいろんな考え方(方針や態度)が並列に存在しています。
資本主義 金融資本主義
共産主義(コミュニズム) 社会主義(ソーシャリズム)
民主主義 大衆主義(ポピュリズム)
専制主義 独裁主義 君主主義
ナショナリズム(国家主義/国民主義/国益主義)
コスモポリタニズム(世界主義/世界市民主義)全人類皆平等的
グローバリズム(世界的自由経済活動)
全体主義 集団主義
個人主義
啓蒙主義 事なかれ主義・・・・・・etc,etc.
○『右とか左とか』の分断
こちらも、やはり「社会」の在り様に対するヒトの考え方における領域ですが、よく言われるのは
・左(左派/左翼/左寄り)≒コミュニズム的 社会変革的
・右(右派/右翼/右寄り)≒保守的コンサバティヴ 伝統主義
・リベラル≒束縛からの自由
そして各々に、極派~穏健派のスペクトラムに分かれているようです。
また議題・各論ごとに考え方が捻じれていたりするので、事態はなおややこしくなっているのでしょうか。
○『土地ごと』の分断
国とか地域とか文化圏とか宗教圏とか言語圏など、「コミュニティ」によって、ヒトの生き方が分断・制限されていたりもすることも、ある意味「分断」といえるでしょうか。
郷に入れば郷に従えーという言葉がありますが、異なる文化圏にサラッと馴染めるタフな性格を持ち合わせているヒトには憧れてしまいます。
○『支配サイドと被支配サイド』の分断
さて、「支配する」「支配される者」の構造を少し深く噛み砕いてみれば、以下のような感じでしょうか。※やはり、ひとまずは、あくまで「善悪無記」としての記述です。
・支配する者-ルールメイカー-
世の中(社会含め)の全てのルールを作っている者
権力を有する王権/金権/教権 etc指導層
権力に追随する財界/政界/司法界/メディア界 etc実行・遂行層
権力に使役する多くの企業や公務員システムやあらゆるステイクホルダーetc
・支配される者
-ゲームに参加させられている(意図・不意図に関わらず)サイド-
ルールに沿って生きてゆく-ゆかざるを得ない-ヒトビト
ほとんど多くの一般庶民・市民
よく言われるように、支配のからくりとしては、
『パンとサーカスや貧しさ(=マネー)で支配される』
『心理的奴隷化支配』から抜け出せない-ということもあるのでしょうか。
一方、支配する側のセオリーとしては、
『階層秩序社会』の維持という建前もあるのでしょうか。
ifの想定として、もしルールも階層もなくなれば、秩序は皆無の方向へ進みこの世はしっちゃかめっちゃかのカオスワールド、真の弱肉強食世界、世界的に戦国の世がまたやってきて、リアル路線では「核戦争」により人類は本当の存亡の危機に向かってしまうのでしょうか・・・。
○『世代』の分断
やはり「子ども」「若者」「壮年者」「高齢者」での分断というものもあると実感します。このことは、ワンダフルワールド011「世代論を超えて」の記事で少し綴ってみたいと思います。
○『生き方』の分断
長いものに巻かれたい 寄らば大樹 勝ち馬に乗れ-という生き方を選ぶヒトもいれば、モダンタイムス的な生き方や、デラシネ/ドリフター/デイドリームな生き方を選ぶヒトもいます。
ハイカルチャーが好きなヒトもいればオルタナティブ志向なヒトがいて、 アーバン(都会)に憧れるヒトや田舎暮らしに希望を見出す人、
「仕事」に生きるヒト、「趣味」に生きるヒト、
結婚を選択し家族を築くヒトもいれば、友人や知り合いとシェアハウス的に家庭生活を営むヒトもいれば、選択的に生涯独身者でいるヒトもいます。
もちろん、それ自体が「分断」というわけではなく、それぞれがお互いを尊重できればいいのですが、「社会」のとある勢力がそれを許さない場合が怏々としてあるような気がします。
たとえば、どちらかを優遇して対立(あるいは対立感情)を作り出されてしまう、『分断』させられてしまうことが少なからず目にするケースがあります・・・。
○『ランク付け』による分断
職業ランク 学歴ランク 役職ランク
収入ランク 能力ランク etc,etc・・・・・・
あらゆるモノゴトにランクが付けられる社会ですが、ともかくもブレないように泰然とした自分なりの「幸せランク」を見つけていきたいものです。
格差の社会
「格差」とは、何かもやもやする言葉です。外部視線から勝手に格付けされて、勝手に差を付与されているような気がしてくるからでしょうか。また、現代はますますメリトクラシー社会(能力主義)に進んでいるとも言われています。いずれにしろ「不公平-アンフェア-」な社会・世界であることは確かだとワタシにも思えます。
昨今、いわゆる『自分自身では決められない生まれながらの状況』を指す言葉として、ガチャガチャにたとえた『ガチャ』というワードがネット上で使用されています。誰もが望ましい平等な環境で人生をスタートさせることができ得ないのは、頭で理解できても、よくよく考えれば理不尽な話です。
しかしながら、近年、リアルワールドの『格差』をひっくり返す一つのチャンスとしてネクストワールドとされ得る「メタバース社会上」では、このガチャガチャ要素を全て自分自身で選べ得る可能性が出てきました。
『竜とそばかすの姫』-細田守監督作品-の世界観のように参加条件のハードルを限りなく簡易にアップデートしてゆく課題はあるにせよ(もちろん、メタバース社会に参加するかどうかも自由意志で決められることは当為として)その気になれば、アバターとして容姿、年齢、性格、参加の仕方な『自由』に自分自身でセレクト・カスタマイズできる、ーということは、とても魅惑的な可能性にもなり得ると思っています。
デジタル社会になりメタバース時代へ突入してゆく昨今、リアル(現実)とバーチャル(仮想世界)との兼ね合いも、『ワンダフルワールド』を考えてゆく際のキーワードとして重要なのだと思えます。
インターミッションⅡ 社会はどうなるのか?
社会はなぜ変わらないか?
いつでも「社会」には課題や問題がまとわりついてきます。『どの時代の「社会」においても、似たような課題・問題があった』というのが歴史の事実だとしたなら、なぜ長い間、解決されないことの方が多いのでしょうか?
ひとことで言えば上記に記してきたような
「庶民の手の届かないところに『支配システム-マネーシステム支配や分断手法含め-』があるから」というアンサーでおしまいなのでしょうが、ディープな視点から具体的にパッと思いつくのは以下の4つです。
①庶民の大多数ほとんどは日常において「労働」や「趣味・娯楽」に閉じ込められているから社会的イシューに関して関心を深められない
②変えようとするものたちに対して言論の検閲・封殺や弾圧・バイオレンスが行われるから
③『既得権益』ステイクホルダー(利害関係体)の存在
「利権者同士のつながり合い」がガチガチにかたまっているので、変わらない方が都合のよい人たちも一定数数多く存在しているから。
④『弱肉強食・競争社会・カオスな社会』を肯定する層も一定数存在しているから。
いずれにしろ、とににもかくにも、まず第一には「バイオレンス」が抑止され、多数の知恵を持ち寄って、どのように穏やかな解決方法を探っていけるかが「ワンダフルワールド」への第一歩なのだと思えます。
社会はいつか変わるのか?
希望したいのは、「社会」が当然いい方向に変わることです。ーが、昨今ますます悪い方向に進んでいる現況のような気がします。
止められない戦争
増えるいっぽうの犯罪
終わらない弱いものいじめ
煽られる憎しみ
汚染され続ける地球環境・・・etc,etc『マイナス面』が真っ先に頭に浮かび上がってくることは、あまり楽しいことではありません。
一方で、近年 目にすることが多くなったSDGsやポリティカルコレクトネスやなどのワード。
このような言葉が、社会を窮屈にしてゆくのではなく、ポジティブな方向に昇華していく社会になって欲しいとも思えます。
E これからの社会
ネット情報に寄れば
~2022年~
現在の〈世界〉では、パンデミックシステムからのDX促進、グレートリセット、AI管理システム社会への突入、資源争奪戦争、利権争奪戦争、サイバー情報戦争etc、etc、ネクストワールドの陣取り合戦が、庶民の手の届かない場所でリアルタイムで行われている最中ですが、
こと〈ジパング〉の国においては、
・超高齢化社会
・資源・食料・エネルギー問題
・経済停滞・崩落問題
・インフラ老朽化問題
・・・etc,etc, 挙げればきりがないほどの身近な具体的課題が湧き上がっています。
改めて鑑みてみれば、『社会』に関するキーワードは山積みで、すでに解決しようのない詰んでいるかのように見えるテーマも幾つも浮かび上がってきます。
一方で、課題があろうが問題解決ができなかろうが、ともかくも時代は進んで-過ぎて-いくのだ、ということを改めて自覚する意味でも、これよりの社会は、どのような段階に突入していくと予想されているのかも記しておきたいと思います。
ひとまず負の側面も善悪無記として、キーワードを羅列して置きたいと思います。
※ネット上には、様々な情報が日々リアルタイムで飛び交っていますが、いわゆる真偽不定な( )-カッコ付きーのワードも、可能性の一つとして加えています。
世界同時不況(?)世界的食糧危機(?)
世界的大災害(?)世界的戦争(?)
地球の磁極逆転(?)≒人類存亡の危機(?)
宇宙開発競争
アフターデジタルな時代
AIが活用される監視・管理型統治社会
メタバースインフラ社会
デジタルツイン社会(?)
ロボット共生社会
デジタル革命Web3-非中央集権型ネットワーク-の時代(NFT/DAO/トラストレスなネットワーク)
多民族共生ダイバーシティ社会
・・・etc,etc
とりわけ、ワタシ的庶民の立ち位置からは、ひとまず「WEB3」というカウンターがどのように転がってゆくのか?「ダイバーシティ社会」がどのように達成されてゆくのか?という観点にも、アンテナを高くしていきたいとも思えます。
思わず身構えて震えてしまうような予測・予想もありつつ、一方で、見たことのないようなわくわくの近未来的予測もありつつ、ともかくも、『自分自身が(は)『どのような社会』で生きていくこと・暮らすことをセレクトするのか』―も含めて、どうにかこうにかサバイバルしていきたいと思えます。
社会の中で
以下は、完全に個人的備忘録なのですが、ワタシの心の中の『ワンダフルミュージック』のストックのなかで、今回『社会』に関しての記事を考えている最中に浮かび上がっても来た曲の歌詞の一説を置いておこうと思います。
「世界中の涙なんか ぼくじゃぬぐいきれやしないから」
「ねえ誰か この世界を 全部洗って」
「また君の中の常識が揺らいでる 知らなきゃ良かったって思うことばっかり」
「世界中の悩みひとりで背負ってたあの頃」
「How many times can a man turn his head And pretend that he just doesn`t see?」
「わかってる よくわかってる でもできない」
「明日に向かって走れ こぶしを握りしめて」
・・・etc,etc
時代が流れても『テーマ』が重なっているのでしょうか。葛藤やジレンマ、自分なりの闘い・・・。心に沁み込んできます。
『世界や社会』に山積みされたどんな課題・問題も、それらすべては当事者からすれば、すべてはビッグイシューとなりますが、全ての課題・問題・難問に耳目を傾け続けることは、一個人のライフタイムの都合上、やはり不可能ともいえる困難な道であると自覚できます。
なので、自分が生きている、この世界と社会の中で『自分はどのようなテーマに着目するのか?』ーということを引き続き探りながら、少しずつでも進んでいきたいなと思えます。
おわりに チェンジ ザ ワールド
世知辛い社会はいつか変わるのでしょうか?
よくいわれるように、いつの世も結局は「『支配権力が移り変わるだけ』で『庶民は生き難し』」-という構図が続いてゆくだけなのでしょうか?
マンガチックに考えれば、いつかスーパーヒーローやナイスな超能力者たちが「社会」に現れて、世の中の悪意を丸ごと改心させてくれるハッピーチートな能力を発動してくれることを期待して待つしかないのでしょうか。
或いは、自分自身が勇気を出して変わっていくことに賭けることが望ましいのでしょうか?
よくたとえられるように、地球を海原、『社会』を大きな船と見立てた場合、
・大きな船では強力な管理者が、乗客たちのほとんどを骨抜きにしている
・大きな船からおりるためには、小船を作って大海原に乗り出さなければならない
・大きな船の中で「仲間」を探す必要がある
・あるいは、独りで漕ぎ出して海の上で「仲間」を探す
※まんま『ワンピース』(尾田栄一郎先生)のような世界観ですが。
「大きな船から降りること」-というのは、日常生活を廻していくことにアクセクしている状況のヒト(ワタシ自身含め)にとっては、いずれもとてもハードルの高い試みでもあります。
それでも、個々人のどんな思惑とも関係なく時代は流れてゆきますので、
ダークサイドVSライトサイド
ネガティブVSポジティブ
マイナスVSプラス
etc,etc,
この『社会』において有り体な二項対立的な構造を超えて『各々の特性を生かした活動によって希望を見出していける』ようなワンダフルワールドを推したい-と思える自分自身がいる限りは、砂粒の個人のワタシ自身にできることを探しながら、何らかの形で表現していきたいと思います。
果たして、ワタシたちの社会は-世界は‐どこへ流れ着いてゆくのでしょうか?
本日は訪れていただきましてありがとうございました。
連載Gマンガ
『ボクはディオゲネス』
第255話 チェンジザワールド
『デイドリームビリーバー』
構想進捗リポート
リアルワールド×メタバース‐VRストーリーコンテンツ
ひとまずの『総勢33キャラクター』のアニマルパーティーの組み合わせが終わり、その後、それぞれのアニマルパーティーのコンセプトイラストの1枚絵を絵描き終えてみました。
今回は『ミスターワールドチーム』から、ミスターワールドパーティー絵の紹介です。これからそれぞれのパーティー・キャラクターたちに名称を名付けていきたいと思っています。
ゆっくりペースですが、引き続き徐々に着彩していければと思っています。
あとがき
本日は 記事を訪れていただきありがとうございました。
真夏の折、『鬼滅の刃展』を訪れてきました。先頃のブームに乗っかって、個人的に完結後久々にマンガの一気読みを敢行してみた作品でした。
・『鬼』たちにも鬼になったそれぞれの事情がある。
・鬼になるより仕方の無かった事情がある。
とはいえ、
・『社会』の中では「許されない‐許しがたい鬼の所業」というものがある。
「鬼の存在それ自体は否定はせず、しかしながら『鬼の所業』は、社会の中では断じて断罪されるべき」ーそのようなことを感じ取りながら読み切っていました。
果たして、鬼たちは、鬼たちだけで暮らせる鬼ヶ島のような地があれば幸せなのでしょうか?『現代社会』に結び付けて、いろいろな問題提起を読み取れる作品を提示していただいた作者先生に、改めてリスペクトの感を抱きます。『ブレなさ』をありがとうございます。
次回予告
次回のワンダフルワー010では『多様性とは何か?』に関してライトに触れてみたいと思います。テーマにご興味をお持ちの皆様におきましては、ぜひお時間のある時にでも覗いて頂ければと思います。よろしくお願いします。
著者紹介
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キンドルアンリミテッドでも読めますので、もしご興味頂ければぜひ一読していただければと思います。
note記事のおしらせ
2023年6月時点でnote記事に以下のラインナップをアップしております。何か引っかかるタイトルがございましたら、ぜひ訪れて頂ければと思います。
『マンガワールド-Gプレッソの。①~⑫』の記事におきましては、 概ね以下のような内容を綴っております。
①マンガへのリスペクト②人類の絵の歴史③世界とマンガの歴史
④マンガ構造論-マンガに必要な要素とは?-
⑤絵の好み論-マンガの絵柄について-
⑥絵描くということ-絵描く能力とは何か?-
⑦マンガ表現場・発表場
⑧マンガを作るということ-具体的マンガメイキング-
⑨マンガのジャンルとは?
⑩コミックコード・著作権・剽窃問題・パブリックドメインなど
⑪マンガの未来
⑫究極のマンガとは?
また、マンガ実作や絵の歴史やマンガの歴史に関してエクストラ版としてまとめた3つの記事もアップしております。
広くマンガファンの皆様におきましては、興味のあるテーマがございましたら、ぜひ訪れていただければと思います。