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ないからこそある 映画「せかいのおきく」

色がないからこそ雪の美しさが際立つ
匂いがないからこそ糞尿の臭さを感じる
声が出ないからこそ気持ちが伝わる

ないからこそある

そんなことを感じる素晴らしい映画でした


阪本順治監督の「せかいのおきく」は江戸時代の
汚穢屋(おわいや)の若者2人と
元武士であった父と長屋で暮らす、おきくの物語

作品はモノクロームである
それは江戸の世界を描くことに適しているし
なにより人間の汚物がスクリーンいっぱいに映し出されたり
人間の汚物が顔にかかったりするわけであるから
モノクロームであるほうが観ているほうもありがたいのだ
(ただ、各章のラストが必ずカラーになるのだが、そこで人間の汚物が
大写しになるのは、ううっ!となるが)

モノクロームは黒と白しかない世界であるから
普段見ている世界とは違って見えるのだ
各章はひとつの季節ごとになっているのだが
晩冬の章では雪が降る、それは美しい光景である
そのシーンでは声を失ったおきくが
中次に思いを伝えようと身振り手振りでもがく
それを見た中次もなんとか思いを「くみ取ろう」ともがく
そして抱き合う、あたりは粉雪が舞う
モノクロームで色のない世界であるがゆえに雪の白さが際立つ美しいシーンであった

映画は映像と音で表現される芸術である
昨今は4DXという上映方法もあり
シーンに合わせて椅子が動き、水飛沫がかかる装置もあるが
未だ映画にはない(?)表現が「匂い」である
しかし、この作品を観ていて人間の汚物の臭さを終始感じている気分になる
それは何故か。別に新たな機械を導入して匂いを各劇場で発生させているわけではないのだ
それは「音」である
映画にとって映像と同じくらい重要な表現が音である
映画の質にも関わっている
その音が非常に臭いのである
如何にも臭い
長屋の厠にある肥溜め、そこから大きな柄杓で木桶に汚物をくみ取るときの音、汚物を満タンに溜めた木桶から、汚物を運ぶ木船の肥溜めに汚物を移し替えるときの音、跳ね返る汚物、すくい上げる汚物、どれも臭そうなのだ
音でこれだけ匂いを感じる映画はないのではないか
匂いが出ない映画という表現だからこそ、音で匂いを感じさせているのだ

ないからこそ「ある」を感じさせる作品

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