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エゴについて
エゴの探究
私が瞑想と出会ってもうすぐ3年
瞑想って、じっと座ってるイメージで、
もともとADHD気味で多動な私には無理だと思っていた。
瞑想している今でもじっとしているのは苦手で、何かしら動いていることが多い。
とうとう車上生活を始めようかと思い始めている。というか、地味に始まっている。
そういう性分と言うか、性質なのかもしれないが
これは見方によっては逃避とも取れる。
本来向き合うべき問題から目を逸らすために、次から次へと新しい事に取り組む。そして、それがこなせて達成感や自己満足が満たされる。
つまり、エゴにエサをやってる状態だ
エゴはどこまでも欲しがる。貪欲に。
満たされることのない、愛の対局にあるものだと思う。
人はエゴに苦しむ。
スピリチュアルを探究すればするほど、そのエゴは増す。
何も知らない・考えない時の方がよっぽど苦悩はなかっただろう。
エゴだという認識すらないのだから。
そして苦悩はヒマな人間が暇つぶしにやってることだと思う。
要は私も忙しいようでヒマなのだ。
エゴは悪いのか
エゴとは自我の事である。すなわち個性でもあるし、生存するためのスキルでもある。故にエゴそのものは、本来人に備わっている機能だと言える。
結論から言うと、エゴは悪くない。
というか、良いも悪いもない。
良い悪いは評価であり、主観に基づく。
人の数だけ主観が存在し、評価も存在する。
完全一致することなどあり得ない。
私の敬愛するインドの神秘家OSHOは、エゴについてよく語っているので、紹介したい。
エゴは人間にしか存在しない、そして、エゴは子どもが成長するにつれて育ちはじめる。両親、学校、専門学校、大学、それらはみな、エゴを強めるのを助けるが、それには単純な理由があり、人は何世紀ものあいだ生存競争をしなければならなかったし、生存競争で生き残ることができるのは強いエゴだけだという考え方が、固定観念に、深い無意識のうちの条件付けになっているからだ。人生はただの生存競争になってしまった。そして科学者たちは、最適者生存論でそれをさらに説得力のあるものにした。だから私たちは、どの子どもも、もっともっとエゴが強くなるように助ける。そして、問題が生じるのはそこなのだ。
エゴは強くなると、闇の厚い層のように知性を取りまくようになる。知性は光、エゴは闇。知性はとても壊れやすく、エゴはとても強固だ。知性はバラの花のようだが、エゴは岩のようだ。そして、もしあなたが生き残りたかったら、彼ら――いわゆる知っている人たち――は言う、それなら、あなたは岩のようにならなければならない、強く、傷つけられないようにならなければならない。外から攻撃されないように、あなたは要塞に、閉ざされた要塞にならなければならない。侵入されないようにならなければならない。
だが、そうなると、あなたは閉ざされてしまう。そうなると、あなたは自分の知性という面では死にはじめる。なぜなら、知性は育つために、拡大するために、流れるために、大空、風、空気、太陽を必要とするからだ。それは生きているために絶えることのない流れを必要とする。澱んでしまったら、それは徐々に生気のない現象になっていく。
Osho, Tao: The Golden Gate, Vol. 1, #7 より抜粋
お読み頂き、どう感じただろうか?
どう生きたいだろうか?
どう子供を育てたいだろうか?