エゴの探究私が瞑想と出会ってもうすぐ3年 瞑想って、じっと座ってるイメージで、 もともとADHD気味で多動な私には無理だと思っていた。 瞑想している今でもじっとしているのは苦手で、何かしら動いていることが多い。 とうとう車上生活を始めようかと思い始めている。というか、地味に始まっている。 そういう性分と言うか、性質なのかもしれないが これは見方によっては逃避とも取れる。 本来向き合うべき問題から目を逸らすために、次から次へと新しい事に取り組む。そして、それがこなせて達成
燻製鍋の復活最近は、パンばかり焼いていて、すっかり燻製をサボっていた。 というのも、私はほぼほぼベジタリアンなので、 肉や加工肉は下痢になってしまうのだ。 燻製と言えば、ベーコンとかウインナーとかチーズとか。 なんや、全部あかんやーん‼️ また、後片付けがめんどくさい。 煤や油がベタつくのだ。 スポンジは真っ黒になるし、シンクは油つくし。 だから、なんとなくパンばかり作ってたので、 パンの腕前は爆上がりである。 自称パン屋である。 固定客もついてるので、そうそう齟
旅するということただいま博多に向かう高速バスである。 これから夜行バスで神戸まで帰る。 私は旅がライフワークとも言える生き方をしている。 住まいもシェアハウス クルマも手放した 極力物を持たない いつでも動きやすいように、所有は最小限 昔からそうだったわけではない 旅は好きだったが、それなりに所有欲があった いつから変わったのか、少し書いてみようと思う 瞑想での死の体験これ、まんまそうなんだけど、 瞑想してて深く深く自分の内側に入っていって、身体の感覚も呼吸してるか
私は今実家のある大分にいる。 幸い最近はweb関係の仕事がメインなので、実家でも仕事できるようになり、温泉でも浸かりながらのんびりと過ごして、時々仕事するというつもりでいる。 実家に帰ってきた理由は色々あるが、一番は実家で飼っていた猫の墓前に行きたかった。 ちょっと前にFacebookでペットロスと投稿したが、 6月に実家で両親が飼っていた猫が、わずか1歳で交通事故で亡くなった。 この子は父親が文字通りに猫かわいがりしていて、小遣いのほとんどを猫に費やすくらいかわいが
私の父はいわゆるアル中であった。過去形なのは、治療の結果現在は全く飲まない状況を創作できているからである。 もう4年になるが、本当に穏やかになり仕事も出来て、趣味も復活している父を見ると、嬉しいのと同時に酒の恐ろしさも感じる。 物心ついた時から、父はいつも酔っていた。 酔っぱらい目を真っ赤に充血させ、母や私達に怒鳴ったり暴力をふるったり。 私は土間に蹴り落とされたこともあるし、昭和の家庭では必ずあったと思われる、分厚いガラスの灰皿を投げつけられたりしてきた。理不尽さに怒りは
ずいぶん久しぶりのnoteになった。 なんだか文字を書く気にならず、物理的に生み出す方向にベクトルが向いていた。 タイトル通りに。 燻製と発酵にハマっていた。 というか、今もそうである。 なんとなく、燻製は前からやってみたかった。 しかし、現在不可抗力でベジ生活となってる自分には、肉類や魚類は作るメリットが全くもってない。 で、そのままになっていたのだが、コロナで暇すぎてとうとう燻製することにした。 材料はなんとほぼ100均で揃うのだ。 ステンレスのボウル2個、網、
久しぶりのnote。 コロナちゃんのおかげで、オンライン三昧で。 かといって定職についてる訳ではないので、あちこちのセミナーとか瞑想会に参加したりオーガナイザーやったりなのだが。 毎日忙しくて、お昼ごはん食べ損なう事もある。 コロナは予期せず私に、ダイエットまでさせてくれている。 改めて瞑想はいいなと思う。長い時はトータル4.5時間の瞑想を1日にしている。 サイレントシッティングなどは、本当に心地よく、その後のぼーっとする脱力感はたまらない。普段が頭使ってバリバリやって
今日は私の母の話を書こうと思う。 21歳でお見合い結婚し、農家に嫁ぎ、子供を3人育て、今なお農業をしている元気な母である。 私が思うに、この人はわりと賢い部類の人なのだと思う。ちなみに父は良い人ではあるが、賢いかと言うと残念な感じ。 そのDNAを引き継いだ私は、どうやら母寄りだったようで、昔からそんなに勉強がわからないという想いはしたことがなかった。 学校での成績も良く、高校受験に至っても教師でさえも心配はしていなかった。 しかし、今はどうか知らないが、当時は公立高校を
私は日本という国が好きで、また生まれ変わるとしても、やはり日本が良いなと思う。 まぁ、インドとかタイも捨てがたいが…。 とはいえ、やはり日本を愛している。 私はわりと日常で着物を着るし、三味線を5年程習っている。今は色々あり三味線は独学の状態であるが、その内また師を探そうと思う。 コロナによる外出自粛で、続々と外でのイベントが中止になり、逆に私は忙しくなってしまっていたため、ほとんど触ってなかった三味線を久しぶりに弾いてみた。 集合住宅なので、遠慮して「忍び駒」を使う
今日も良い天気。歩いて太陽にあたる。 人も動物だからお日さまにあたるの大事。 一説によると、人間の体内時計は25時間で、お日さまにあたるとズレの1時間がリセットされるのだそう。 ずっと引きこもりとか寝たきりでお日さまに当たらないと、そのズレが蓄積していって昼夜逆転とかするらしい。 ちなみに看護師時代に言ってたことで、自分も実感としてあるのが、5:00~6:00はヒトの集中力が著しく落ちる時間で、この時間に正確さを求める仕事はしない方が良いという事がある。 病院の場合は、
人生は本当に色々とわからない 今度は研究やることになった。 飛行機の待ち時間にスマホで研究計画書を書く。 頭の中にデザインはあるから、アウトプットするだけ。 私の学習スタイルは言語感覚優位で、その次が体感覚優位。論理的に物事を考えたり説明するのは得意分野なのだ。 サクサクと計画書書きながら、頭は次にどんなアンケート項目にするか等考えている。 なんとマルチタスクもこなせるのだw ホント我ながら有能だわ。 料理も、誰かのために作るというのはしないが、自分が食べたいものを
タイトル通り、私はカラーセラピーのセラピストの資格を持っている。 小さいころから母親に 「女は資格取ってないと社会で生きていけない」 という言葉にガッツリ洗脳されて、当然ながら私は資格ゲッターとなった。 看護師免許 自動車運転免許 小型船舶操縦免許 プロ車椅子着付け師 性教育インストラクター 瞑想ファシリテーター 等々オーソドックスなものから変わったものまで 看護関係などは、覚えてもいないものもあるだろう。 書ききれないし、そもそも使えていない。 船の免許等、船を保有
私は基本的に多動である。いつも動いていて、寝ている時も泳いでいるマグロのようだともよく揶揄される。もしかしたらADHDとかあるのかも知れないが、今は困っていないので構わない。 実際、移動することは私にとって全く負担ではない。 感覚的には海外に行くのもちょっとリビング行ってくるわー位の感覚なのだ。 国内なんか、数歩歩く感覚でしかない。 移動が特別な事と認識している人からよく、 疲れるでしょう~ と言われるが、なぜ疲れると決めつけているのかが、さっぱりわからない。 ずっと歩く
最近無職なのに色々忙しくて、毎日あちこち出掛けている。 現在無職なので、自由に動いて、なんの制約もなく決断することができる。 誰の顔色を窺う必要もない。 ストレスフリーだ。 今日会った友人から、 やりたい事をやりたい時にやりたいようにやるを体現してるよね。と笑顔でいわれた。 なんと、やりたい放題なのに誉められている。 最高の誉め言葉だ。 そんな友人もかなりアウトレイジャスな人だと思うが。人はそう見えるのだろう。 やりたい事をやりたい時にやりたいようにやる そのままな
突然ですが、世の中に社交辞令を口にしたことのない人など存在するのでしょうか? 特に日本においては、処世術として大変重宝されており、組織に所属する人にとってはマスターすべきスキルだと思う。 だがしかし、それは「思ってもない事を口にしている」という事である。 つまり、自分に嘘をついてまで相手を喜ばせようとしている。 目の前の相手がそこまで自己犠牲を払う価値のある存在なのかどうか考えてみて欲しい。 私の事を言うと、以前大きな組織で働いていた事もあり、社交辞令なんて息をするよう
私は20年以上という結構長い期間を、病院の看護師として生きてきた。 看護師の職業上の理由から、ハンドネイルというのは許されず、いわゆるご法度だった。昔はピアスやネックレスもダメだった。 しかし若いころには勿論おしゃれもしたい。 町行くお姉さんたちは、綺麗に整えられた美しい爪を堪能してるのに、私は看護師っていうだけで許されないなんて。 人の身体に触るし、清潔という観点から爪は綺麗に切り揃えることは納得していた。だから、せめて足だけでもと、定期的にネイルサロンでフットネイル