がんばれ!若珈(モカ)!
「がんばれ!」という言葉は、応援したい時や、なんとか状況を好転させたい時に、簡単に使ってしまう便利な言葉。受け取った時、勇気をもらえることもあれば、かえってガッカリする時もある不思議な言葉です。
タイトルに用いておいて・・・ですが、時々、この便利な言葉ほど「残酷」なものは無いように感じてしまうのは、私だけでしょうか?
10月17日、わが家の次女でもあり、当店のモデルを務める若珈(モカ)が、突然体調を崩し、動物病院に連れて行った時には、すでに糖尿病の症状の中でも重篤な状態「糖尿病ケトアシドーシス」になっていました。
5匹の猫’sの中でも、食欲旺盛で甘えん坊、繊細過ぎて気難しがり屋の女の子。風邪も滅多にひかず、ペット保険の請求が最も少なく、丈夫で手のかからない娘。
思い込みというのは恐ろしいものです。もう少し、慎重に観察してあげていれば、糖尿病という病気の兆候に、1日でも早く気づけたはずなのに・・・。持病のある子にばかり注意を払い、若珈のことを勝手に健康だと思い込んでいた情けない自分。仕事で帰りも遅く、十分に見ていてあげられていない現状。自分への怒りほど、やるせないものはありません。
夕飯の時、5匹の猫たちの名前を呼んで「ご飯だよ〜」と集合をかけるのが、わが家では馴染みの風景。
(あれ?一番乗りで集合する若珈が来ない・・)
「モカ!?ごは〜ん!ご飯だよ〜!」(珍しい・・明日は嵐になるかも・・)
名前を呼べばいつも、「にゃ〜〜〜〜あ〜〜あ〜〜〜」とロングボイスで叫びながら走ってくる若珈が、その日は返事がありませんでした。
(おかしい・・)
若珈の様子を伺いに2階へ登ろうとした階段の中段に、うずくまる様に佇む若珈の姿がありました。若珈の後ろには、点々と水滴のようなものが連なり、それが尿なのか、唾液なのかもよく判らず、ただただ、いつもの彼女では無いことだけがはっきりしていました。
私に呼ばれ、しんどい体を起こし、やっとの思いで階段を降りて来たのでしょう。両足に力が入らず、弱々しく、でも精一杯答えようと、必死で階段を降りてきたに違いありません。きっと、最後まで階段を降りきる体力も無く、階段の中央に佇んでいたのでしょう。ケトアシドーシスの症状で、両足などに力が入らず、排尿が困難な状況にあり、この時、若珈の膀胱はパンパンになっていました。
昨日までの若珈とは、別猫の様でした。すぐに動物病院へ向かい、その日のうちに集中治療室に入り、入院生活が始まりました。今はすでに退院し、毎日、朝晩のインスリン注射に加え、頓服薬の投薬を続けてます。
背中の一部の毛を剃り、そこに血糖値測定の機器を貼り付けています。リブレという血糖値測定の機械で、人間用です。犬猫用というものは、残念ながら無いようですし、2週間きっかりで新しく付け替えなければならないため、若珈の背中は2週間毎にハゲができます。これからの季節は寒いので、洋服を着せるなどの工夫が必要ですね・・・。
血糖値の推移をこまめに観察し、記録しておく必要があり、夜中も1〜2時間おきに起き、測定をしています。朝晩、主治医の先生にデーターを送り、インスリン投与量の指示を仰いで、注射をしてから出勤する日々ですが、まだまだ数値が安定せず、時折、低血糖になってしまうことがあるので、目が離せません。
低血糖になってしまった際、ガムシロップを服用させて対応しています。低血糖は、失明や半身不随、最悪の場合には死に至ることもあるため、早めの対応と注意が必要です。数値の急落する様子は、私の不整脈を一時的に悪化させます。(私には「救心」が欠かせません)
今は何とか、夫と交互に休みを取ったり、リモートワークをお願いするなどをして調整し、なるべく若珈のそばに居るようにしていますが、この生活スタイルを永続することは不可能だと感じています。サラリーマンである以上、時間に拘束され続けることは避けられません。
決断しなければ・・と思っています。夫に仕事を辞めさせるわけにはいきませんから、私が決断しなければ・・・と。これまで培ってきたキャリアや、年収、職場の仲間、基幹職としての責任・・・色々と脳裏を掠めては迷いが生じますが、会社に私の代わりはあっても、若珈には私と夫しかいない・・。彼女の病気への向き合い方が、糖尿病の進行や寿命に大きく影響するものだと感じています。これからも治療費は嵩みますが、治療費と同じくらい必要なものは、彼女のそばに居る「時間」。
「時間」だけは、失ってしまったら二度と取り戻すことができないから・・・。
会社を辞める決断をしました。
有給休暇の消化や引き継ぎなど、諸々やるべきことがあるため、明日にでも退職とはいきませんが、立ち上げて間も無いネットショップや、家でできる仕事を増やし、家族のために使える時間を確保できる様に、思いっきりライフスタイルを変えてみようと思います。
毎日頑張っている若珈に、これ以上「がんばれ」と言わなくても済むように、私ができるこをを精一杯してあげて、私が頑張らないと・・・。