六祖壇経より 5

慧能は、曹渓に逃れた。曹渓は、後に慧能の活動の拠点となる地である。
それは広東省の北部、南嶺山脈の南麓に位置しているので、嶺南と呼ばれる。
しかし慧能は、悪意を持った者達によって執拗に追い回され続けたため、四会県(広州市の近く)の猟師たちの中に隠れ暮らすこと十五年であった。
猟師たちは、慧能に網の見張りをさせたが、動物が掛かるごとに、慧能は逃がしてやった。
食事の時には、漁師たちが肉を煮ている鍋の端、野菜を入れ、それだけを食べた。

十五年目に、慧能は決心した。
「法を広める時がやってきた。もう逃げも隠れもすまい」
慧能は広州の町に降りてきた。
法性寺で、印宗法師が涅槃経を講じているところにやって来てみると、僧たちがやかましく議論していた。
風で幡が動いているのを見て、ある僧は、
「風が動いているのだ」と言う。
別な僧は、「いや、幡そのものが動くのだ」と譲らない。
慧能は言った、
「風が動くのでもないし、幡が動くのでもない。あなたたちの心が動いているのだ」
一同は驚いて、みな黙してしまった。
印宗法師は、これは只者ではない、と慧能を上席に招いてその真意をただした。

慧能の言は、簡明にして的確であり、しかも借り物の知識からではなく、自分自身の体験から語っているようだった。
法師は尋ねる、
「行者(あんじゃ)は常人とはまったく違います。そう言えば、黄梅の仏法を受け継いだ人が南方にやって来ていると、以前から噂に聞いていましたが、それはあなたなのではありませんか?」
慧能はもう隠そうとはしなかった。
「まあ、そんなところです」

法師は、深く礼をして、ダルマ大師から伝わった衣鉢を、一同に見せてくれるように頼んだ。
法師はさらに尋ねる、
「黄梅の五祖さまは、あなたに何を託し、何を伝授なされたのですか?」

「伝授したものなど何もありません。ただ、自己の本性を見ることのみを教えて、心を安定させたり、束縛から逃れることなどは問題にされませんでした」

「心を安定させたり、束縛から逃れることを、なぜ問題にしないのです?」

「それは二元対立の考えなのです。仏法ではありません。
仏法は二つに分けない(不二の)教えなのです。」

「仏法が不二の法であるとは、どういうことですか?」

「あなたが講じている涅槃経では、仏法が不二の法であることを明らかにしていますよ。
たとえば高貴徳王菩薩は、ブッダにこう尋ねています。
四重の禁戒を破ったり、五逆の大罪を犯したりした者、あるいはまた善の素質を全く持たない者は、仏性を具えてはいないのでしょうか、と。
これに対してブッダは答えます―――

善根には二つがある。一つは「常」でもう一つは「無常」だ。
しかし仏性は、常でもなければ無常でもないのだ。
それ故に、具えている、具えていないということは、問題にならない。
これを名付けて、不二と言うのだ。
一方は善、他方は不善だ。
しかし仏性は、善でもなく、不善でもない。これが不二だ。
凡夫は、何でも二つに見る。
智慧ある者は、本性が二つに分かれていないことを了解する。
この二つに分かれていないということが仏性なのだ、と。」

印宗法師は、慧能がこのように説くのを聞いて、歓喜し合掌して言う、
「わたくしの講義はガレキのようなものですが、あなたの説かれるところのものは、真金の輝きを放っております」

法師は慧能に、髪を剃っていただくように、また弟子にしていただきたいと願った。
慧能はこれを承諾した。
法師は、当時の名だたる長老たちを招集し、また出家・在家の仏教徒たちを列席させて、慧能のために一大授戒会を執り行った。
慧能は、菩提樹の下、ついに法門を開いた。その菩提樹は智薬三蔵がインドから持ち来ったものであった。
ここに、求那致陀羅、および智薬三蔵がかねてから予言していたことが、成就したのである。
ここから、禅の黄金時代が幕を開けることになる。

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