田中眞海老師 6

洞山悟本大師自誡偈
不求名利不求榮  只麼隨緣度此生
三寸氣消誰是主  百年身後謾虛名
衣裳破後重重補  糧食無時旋旋營
一个幻軀能幾日  為他間事長無明

田中眞海老師は、漢文がプリントされた一枚の用紙を、わたくしに手渡された。
ノートに挟んであったそれは、老師にとって特別の意味を持つものであるようだったが、
「これを差し上げるので、お持ちなさい」
と言われた。
見たことのない禅語であった。「洞山悟本大師 自誡偈」とある。
わずか四行の短い偈文であり、老師が尊信やまない、師・橋本恵光老師の読み(書き下し文)が付されている。
宝慶寺代々の老師方が、最も大事にしてきた、座右の銘、根本的なスピリットのようなものなのであろう。
今から1,200年以上も前に生まれた、中国唐代の偉大な禅マスター・洞山良价(とうざんりょうかい)禅師。曹洞宗の源流その人であるのだから、曹洞宗のスピリットそのものであると言ってよい。
老師はそれを、私に授けようというのである。

私は尋ねた、
「これは曹洞宗のご開祖のものですね」
「その通りだ」

禅の歴史を、ある程度知っていないと、曹洞宗という宗派の名前の意味を、理解することはできない。ごく簡単に、初期禅史の概論を。
ボーディダルマを初祖としたとき、二祖、三祖、四祖、五祖と続いて、六祖に至って禅は、一大飛躍を遂げる。それは、仏教とTAOのハイブリッドであり、そしてそのいずれをも凌駕する、全く新しいユニークなものとなった。
六祖のもとから、南嶽(なんがく)と青原(せいげん)という二大弟子が現れる。
南嶽からは、馬祖、百丈、黄檗と伝わり、臨済につながる。
青原からは、石頭(せきとう)、薬山、雲巌、そして洞山となる。
六祖のところから、臨済宗の流れと、曹洞宗の流れとに分かれたことになる。
臨済宗に近いところに潙仰(いぎょう)宗、曹洞宗に近いところに雲門宗そして法眼(ほうげん)宗という流れがあったが、中国の時代にすでに途絶えてしまっている。これらの五宗を五家(ごけ)と呼んでいる。
いま注目するのは、曹洞宗の祖である洞山である。曹洞宗の「洞」は紛れもなく洞山から来ているのだが、それでは「曹」は誰のことを指すのだろうか?
一般には、「曹」は、洞山の弟子である曹山のことで、この師弟の教えということで曹洞宗と呼ばれるようになったと考えられている。確かに間違いではないだろう。しかしわが国の道元禅師は、「曹」を、六祖の住した曹渓山の曹であるとした。これは太極から捉えた見識であり、素晴らしい。そうであるべきだろう。六祖から直結の禅だ、と。

以上のことを知った上で、私は敢えて老師にお尋ねしてみた。
「曹洞宗の「曹」は、曹山であるという説もあるようですが」
「そうけいだ」
早計だ、というのではない。曹渓だと言われたのである。
「六祖の曹渓のことでよろしいのですね」
老師は首を縦に振られた。

それでは洞山禅師の言葉を見て行こう。

   ※

不求名利不求榮
名利(みょうり)を求めず、栄を求めず

只麼隨緣度此生
只麼(ただ)縁に隨(したが)って、此(こ)の生を度(わた)る

三寸氣消誰是主
三寸いきつくれば、誰か是れ、まことの主(ぬし)

百年身後謾虛名
百年身はとどむ、いたずらに虚しし

衣裳破後重重補
衣裳(いしょう)破れて後、重重に補い

糧食無時旋旋營
糧食(りょうしょく)無くなりし時、旋旋(せつせつ)に営む
 ※旋(せん)。あちこち巡るの意。托鉢して歩くことであろう。

一个幻軀能幾日
一个(いっか、一箇)の幻身、幾日かたゆ

為他間事長無明
いづくんぞ、他の間事に無明を長(そばだてん)や

※  (以下拙訳)

名声や栄誉など求めはせぬ
ただ、いただいたご縁の流れのままに、
この生を受容してゆくばかりだ
生のエネルギーが静まってゆくとき(生の気が尽きようと言うとき)、
本当の主(見ている人)は、一体誰であるのか(それこそがブッダなのだ)
百年身をとどめ、虚名を残したとて何になろう
衣が破れれば継ぎ合わせ、
食べるものがなくなれば、托鉢に出ればよい
この一個の幻のような身体は、どれだけの間保てようか(そう長くは保てまい)
実体のない非本質的なものごとばかりにかかずらって、
無明(世界の闇)を増長させるようなことはすまい

   ※

洞山悟本大師の禅は、山居禅の系譜としてある。
道元禅師もまた然り。まことに生真面目で純粋な人々の道統が続いてきている。
その禅は、世間的なことに全く関心を払わないようにさえ見える。
世間の評価や栄誉などは、気にも留めない。
フェイスブックで、「いいね」を幾つもらったかなど、どうでもよい(笑)
政治や経済なども、われ関せず(と言ったら言い過ぎだろうが、ほとんどそう)である。
ただ、自らの仏性を顕現させ、発揮することにのみ関わっている。
その本質は何なのか?
洞山禅師は、慈悲の人であった。
ことに、かげりを帯びた若い修行者たちには、限りない愛情を注いだ。
禅師は、声高に笑うようなことはしない。
クリシュナムルティのようなしかめ面をしていたかも知れない。
同時代の口の悪い禅マスター・巌頭(がんとう)は、洞山のことを、こう評した、
「洞山は立派な仏様だが、惜しいことに光明がない奴だ」と。
洞山禅師は、おそらく光明にすら関心を持たなかったのだろう。
苦しんでいる同胞が大勢いる時に、どうして浮かれ飛ぶことができる?
その是非をいま、問いはすまい。
洞山禅師・道元禅師の禅は、まだまだ進化の途上にあるのだろう。それは途方もないポテンシャルをいまだに秘めている。
I love and respect Zen master Tozan so much.

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