The secret of sixth Patriarch 神秘の禅マスター・六祖慧能
六祖壇経(ろくそだんぎょう)の構成は、序文から始まり、第一から第十までの十章から成る本文があり、末尾に附録というものが付けられている。
第一の「行由」という章は、六祖慧能が自ら、その驚くべき経歴を語った(という形になっている)もので、最も興味深い部分だ。それをこれから取り上げて見たいと考えているのだが(※この稿は、「六祖壇経より」のシリーズの序文として書いたものです。順番が前後してしまいました)、その前に、「附録」と呼ばれる章に、不思議な記述を見つけたので、それに少し触れておきたい。
「附録」という呼び名からすると、後世に付け加えられたものであるような印象を受けるかもしれない。しかしそうではない。六祖壇経は、禅門では非常に重要視されてきたために、何度も改編を受けてきた。その結果、異本が数多く存在しているのである。
六祖壇経のオリジナルな編者は、六祖の弟子の「法海」という人であった。実はこの最後の附録は、この法海の手になるもので、法海という名前もこの章の中でかろうじて知られるのみである。師・慧能の言葉をまとめて、最後に控え目な後書きを残したわけである。ここが後世の編者たち(序文に自らの名を冠している)とは違うところだ。
今日、この附録に目を通していて、私は興味深い記述を見つけた。
この章は、おおむね神秘的な色彩を帯びている。こういった伝説は、自らの師を美化して大袈裟に描きがちな傾向を持つものだ。ここでも、そういった面が無きにしもあらずである。時代を下るにつれて、それはますます強調されてゆく。
しかし作者の法海は慧能の直弟子であり、師やその周辺の人達から直接いろいろな話を聞き及んでいたはずである。後代の神格化とはやや性格を異にしている。
さて、それでは以下にその内容の一部分を取り上げて見よう。
黄梅の五祖禅師のところで法を得てから、南方に隠れ住んで、長年(15年)聖胎長養(しょうたいちょうよう)していた慧能であったが、ある時ひょんなことから印宗法師という人に(正体を)見い出されてしまった。印宗は慧能に帰依すると同時に、お坊さんになることを勧めた。慧能はそれを承諾した。
受戒会には、当時の名僧たちが呼び集められ、すでに偉大なマスターであった慧能に戒律を受けてもらったのだ(それは、まことに奇妙な光景であっただろう)。676年正月8日のことである。そこは宝林寺というお寺であった。(このお寺の名前を憶えておいていただきたい)
ここまでは歴史的に知られている話なので、どうということはない。しかしこれ以降、記述は、隠された秘密を明かし始める。
この寺にある戒壇には、ある予言が伝えられていた。それは石碑に刻まれていたらしい。この戒壇は、インドから渡来した僧・グナバッダラ三蔵(求那跋陀羅 ;394-468; 楞厳経を訳した人として知られている)によって建てられたが、グナバッダラはこのように予言していた。
「後世、かならず肉身の菩薩がここで戒を授かるであろう」と。
さらに後年、やはりインドから智薬三蔵(生没年不詳)という人が渡来して、持ち来ったインド菩提樹をこの戒壇の湧きに植え、そしてやはり予言を残していった。
「今から百七十年の後、肉身の菩薩が、この樹の下で、大乗の教えをのべて、無数の人々を済度するであろう。彼はまことに仏陀のこころのあかしを受けた真理の支配者である。」
また、そこの土地の清らかな川、また周りの山並みを見て、驚いてこう語ったという、
「ここはインドの宝林山にそっくりだ。この山にお寺を建てて、宝林寺と呼ぶがよろしい。百七十年の後、この上ない教えの宝が開かれ、道を得るものは林のように多いに違いないだろう。」
六祖慧能が、ここで戒を受け、法を説き始めた676年は、この予言が成されてから175年目にあたる。(170年とは5年の誤差があるのが却って真実味を感じさせる)
以上見てきたように、六祖慧能の出現は、何百年も前から予見され、準備されていたらしいことがわかる。これらの予言は、ボーディダルマがやはり広州に渡ってくる以前になされている(ボーデイダルマの渡来は527年頃とされる)。
六祖は、インドから続く仏教の秘教スクール、そこからサポートを受けて誕生した偉大な菩薩の生まれ変わりであったのに違いない。法海の「附録」の文章はそのことを物語っているようである。
このことはボーディダルマもやはりわかっていたことだろう。法海もまた、スクールの一員として、それを見届けたのではなかっただろうか。
ひとつだけ余計なことになるが、六祖が五祖のもとで学んだのは、わずか八か月であった。わが白隠禅師が正受老人のもとで学んだのも八か月である。新時代を切り開いた偉大な祖師達に共通するこの数字は単なる偶然とも思えないのだが、いかがであろうか。
六祖壇経は、ある意味、秘教の書であると同時に、いつの時代においても精神(スピリチュアル)の道を歩む人々にとっての道標であり燈火となっているように思われる。