![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/43523862/rectangle_large_type_2_6de8d553fe3e07cc463a5c4826e353d1.jpg?width=1200)
子どもでも違いが出る、「徳」積む人・そうでない人
昨日の出来事です。
私たち家族が住んでいるのは小規模な共同住宅です。
建物の裏側に、駐車場と、共有の庭が付いています。
我が家の上には、うちの息子と年が近い男の子2人がいる家族が住んでいるのですが、先日から上から紙飛行機を飛ばしまくっており、駐車場や庭に紙が散乱しているのです。
我が家は、そういったゴミを放っておくのが嫌なタイプで、その男の子たちの両親が子どもに言うなり、自分らで片付けるなり、何かしてくれないかとはじめは期待して待っていました。
が、待てど暮らせど片付く気配がないので、結局私たちで片付け、その後そちらのお母さんにやんわりと(ドイツの人たちは、普通、そこまで言うか!くらい強気にこういうことを伝えるのですが、我々夫婦は控え目です 苦笑)伝えました。
そして、昨日。
また、ひらひらと空を舞う紙飛行機(推定合計20枚)が。
私はちょうどキッチンで夕食の準備をしており、キッチンから裏庭が見えるのですが、上の男の子(兄)が友達と外に出てきて遊びはじめたので、窓を開けて、紙飛行機を集めて捨てるように言いました。
するとその子は、
「僕がやったんじゃない、弟がやったんだ」
と。
そこで、遠い遠い記憶が蘇ってきました。
ありませんでしたか?このような場面が。
小学生のとき、机の下にゴミが落ちていて、近くに座る子に片付けるように言うと、
「僕/私が落としたんじゃありません」
と言って、
「自分で落としていないから拾わない、ではなくて、教室が綺麗な状態でいられるように、自分でなくても拾いましょう」
と先生にお目玉を喰らう子たち。
きっと、どこのクラスでも、学校でも同じようなやりとりがあったと思いますが、まさに、この場面ではないか!と思った私。
上の男の子と友達は、ひとしきり遊んだ後、そのまま地面に散らばった紙飛行機にはめもくれず、家の中に戻って行きました。
その後、事情を知らない他の男の子が庭に遊びに出たのですが、その子は、散らばった紙飛行機をしばし眺めた後、黙々と拾いはじめ、そしてゴミ箱に捨てていました。
昔から、「お天道様が見ている」と言いますが、
心の中で、その男の子に拍手を送ると共に、彼に幸あれ!と思った私でした。
落ちているものを拾う、という極めて単純な作業ですが、大人であっても、
「自分がしたわけではない」
「誰か他の人が片付けるだろう」
「自分には関係ない」
と思ったり、そもそも落ちていること自体、見えていないかもしれません。
要は、意識するか、しないか、の問題だと思うのですが、
正しいこと、道理にかなったこと、自分のためだけでなく、人のためになることを積極的に出来る人は、それこそ徳を積んでいます。
そんな「貯金」は目には見えませんが、人生は往々にして帳尻が合うようになっている、と私は思います。
子どもだから、まだ経験が浅いとか、未熟だとか、知識がないんだとか、そういう言い訳が出来るかもしれませんが、子どもたちが誰をお手本にしているかによって、その子が辿って行くだろう道筋も、おのずと見えてきてしまうものです。
誰が見ているわけでもなく、
自分が汚したわけでもないのに、
黙々と片付けをした、あの少年のように、自分も在りたいと思う出来事でした。