「レジリエンス」を体現している人に会った話
何について書こうかな?と思ったときに、ふっと「レジリエンス」という単語が頭に浮かんだので、今回はレジリエンスについて書いてみたいと思います。
レジリエンスは元々物理学や生態学の用語ですが、最近では心理学・精神医学の概念として広く知られ、そこからビジネスの世界でも使われるようになりました。
レジリエンス(regilience)は、跳ね返す力、回復力、反発性などを指す言葉ですが、そこから転じて、「逆境にくじけない精神」「折れない心」「困難に立ち向かうこと」「適応して生き延びる」という意味合いで使われています。
私は、こちらでは「転んでもただでは起きない心の強さ」と定義したいと思います。
このレジリエンスが高いと、自分にとって不利だったり困難な状況に陥った際、自分をうまく適応させ(困難に負けない)、折り合いをつけることで、状況に対応していくことが出来る、と言われています。
最近、このレジリエンスを体現している、まさに今、困難に立ち向かって乗り越えようとしている人に会いました。
こちらの記事も紹介した、私の友人であるドイツ人ママの急逝。
先日、彼女が亡くなってからはじめて、彼女の旦那さんと2人の子どものお宅を訪ねました。
彼女の旦那さんとは、これまで何回も顔を合わせたことはありましたが、今まで深い話をするような相手ではなく。
彼女が意識不明の危篤状態(なんの前触れもなく、突然自宅で夜倒れ、すぐに救急車で搬送されたものの、心肺停止時間が長すぎて、脳死状態に陥ってしまいました・・・)であったときから亡くなるまで、電話やWhatsAppで毎日のようにやりとりをしていました。
そこから感じとれるのは、ただただ深い悲しみと絶望感。
電話口でもいつも泣いていて(愛する人が突然亡くなったので当然ですが・・・)、送られてくるWhatsAppのメッセージも悲しみが溢れているものばかり。
残された子ども2人のために、自分は何とか頑張ると何度も言うのですが、やはり一人になったり、夜になると、悲観的な感情に呑み込まれているようでした。
お葬式も一応終わり(感染拡大防止対策のため、家族だけでの式でした)、そろそろ直接お悔やみを・・・と家族で訪ねにいきました。
旦那さんは、ひと回りもふた回り小さく痩せていて、毎日泣きはらしているであろう顔は、見ているだけでも痛ましいものでした。
話している中で、何度も泣いていて、こちらも心がはちきれそうでしたが、そんな中でも私は気付くことがありました。
子ども2人(7歳と2歳)の世話をしながら、愛するパートナーの意識不明・脳死・臓器提供・死去・葬儀の荒波に耐え、そして日常の生活も何とか維持しようとするその姿。
旦那さん自身は近くにご両親がおらず、助けは彼女のご両親から受けていたようですが、それでも何とか自分で生活を回そうとしているのがひしひしと伝わってきました。
彼女が倒れたのは12月の頭で、12月半ば前には他界してしまったのですが、そんな状況の中、旦那さんはきちんとクリスマスのデコレーションを家に施し、そして大きな生もみの木も用意して、飾り付けをしていました。
彼自身はトルコ系ドイツ人の方で、イスラム教徒ですが(奥さんである友達は、所謂ドイツ人でした)、彼の子どもたちのために、人生で最も辛い経験をしている真っ只中に、歯を食いしばってクリスマス準備をしたかと思うと、心が痛むと同時に、彼の中にあるしなやかな強さ、何とか状況に打ち勝とうとするその意思を強く感じたのでした。
家のことをたくさんやっていたのは、彼女の方だと言っていましたが、それでも家の中はきれいに整頓され、掃除もされ、デコレーション用のキャンドルにも火を灯すなど、自分たちのお城を必死に守っているという印象を受けました。
こういった一連の行動は、グリーフケアとして無意識に行っていたのかもしれませんが、一方で、彼の中にあるレジリエンスを強く感じる一面でした。
彼の場合は、子どもの存在が、生きる理由となって今、耐え忍んで前に進もうとしているのかもしれません。
いずれにせよ、このような突然訪れた不幸の真っ只中で垣間見たレジリエンスの一例でした。
もう決して、彼らが元通りの家族4人の生活に戻ることはありませんが、残された3人がどうにかして、新しい日常を築き上げ、この暗黒の中でも光を見つけて進んでいけますように。