2024年映画『蛇の道』感想
2024年映画『蛇の道』(脚本・監督/黒沢清、原案/高橋洋)鑑賞。
この作品は1998年に公開された映画のオリジナルストーリーのリメイクです。98年版の主演、新島役は哀川翔さん。リメイク版では同じ役を新島小夜子(サヨコ)として柴咲コウさんが演じて話題になりました。舞台を日本からフランス、パリに移し、映像は昼間の明るさがありながらしっかりと不穏で、黒沢監督の色がそこかしこに散りばめられています。柴咲コウさんは普通のパリ在住の女性を演じるため、一か月前から実際にパリのアパルトマンで生活し、フランス語もかなり勉強したそう。よく響く硬質な柴咲さんの声とフランス語、とても良かったです。
哀川翔さん版は、おさらいしてしまうと過剰に比較してしまいそうだったので観直さずに鑑賞。ストーリー展開はラスト以外ほぼ同じ。ただ男性の役が女性になっただけでこれほどまでに「共犯」として動く人間の感情に変化があるものなんだな、と実感。パリの風景は意外にも黒沢監督作品に似合っている。荒んだレトロな建物、どこを走っているのか全く外が見えない車内、いつもの曇天は健在。24年版でサヨコとして蘇った新島は結婚しているが、夫、宗一郎(青木崇高さん)は日本にいてビデオ通話のみのやり取りしかしていない。決して仲の良い夫婦には見えないが宗一郎は何とかやり直したがっており、サヨコの前では明るい態度で接している。
アルベールは復讐の実践中なのに常にどこか怯え、その弱さから常軌を逸した行動を取ってしまいそうな危うさがある。サヨコはそんな彼に寄り添いつつ、拘束した男たち、ラヴァル(マチュー・アマルリックさん)、ゲラン(グレゴワール・コランさん)に対し、逃げられる方法を提案したりと策士の顔を見せる。絶対ねじ伏せられたらサヨコの方が弱いはずなのに、物理的に届かないという距離こそあれど、サヨコのまっすぐな瞳と抑揚のない口ぶりに射竦められてしまう犯人の男たち。アルベールはサヨコの後ろにくっつき、どこかへらへらしていて頼りない。やがてサヨコの策に翻弄された3番目の男、クリスチャン(スリマヌ・ダジさん)は呆気なくサヨコの言葉に乗せられ本性がバレてアルベールに撃ち殺される。
98年版で出て来た組織内の女性で、杖をついて歩く強烈な個性のコメットさんは登場しないが、音もなくアルベールの後ろに立つサヨコが既にその役割も担っているようだった。もうひとつのサヨコの顔である精神科の医師としてのサヨコは患者である吉村(西島秀俊さん)の診察をする。吉村は望んでパリに来た訳ではないらしく、言葉も通じない世界でかなりの鬱状態に陥っている。物語の大筋には関わらない24年版のオリジナルキャストである吉村は、それほど登場シーンは多くなくてもサヨコの闇の部分を鏡のように見せているようで奇妙な存在で面白かった。
処方された薬を毒と疑ったり、どんなに安定剤を飲んでも効かないと話す吉村に対し、サヨコは一時帰国を促す。すると、いよいよ僕はもう終わりです、と返す吉村。サヨコは言う。
" 本当に苦しいのは終わらないことでしょう? もう判っているはずです、吉村さん。あなたならできます。"
一見、心に寄り添うような言葉だがもうひとつの意味も隠されている。このシーンでサヨコが吉村に対し、親身になって言っているのか、冷酷な感情なのかは判らない。けれど、サヨコからまっすぐに投げかけられた言葉は吉村の耳にはどこか催眠のように浸透してしまったのだろう。サヨコと吉村のシーンはサヨコ自身が隠している深く、消してしまいたい闇が露わになる印象的なシーンだった。
本筋に戻って。
何とか拘束から逃げようとする男たちの滑稽なまでのやり取りが続く。財団にいた、という以外何も判らない男から次から次へと知らない名前を出され、観ているこちら側からしたら誰? としか思わない男たちに一切共感できない(褒めてますw)サヨコとアルベールは盥回しにされた挙句、大きな鍵を握っているはずの人物がアルベールの妻、ローラだと知り、彼女がいる場所に向かう。そのローラも後半ほんの少し登場するだけだった。
その名前を聞き、アルベールが動揺していたのはカリスマ的存在である財団創設者の元外科医であったデボラ・ミナールという人物。デボラにローラは心酔していた。でもデボラのようにはなれない、だから自分はやめた、と話すローラ。デボラがやったことは「外科医と言う技術を生かした少女たちの臓器売買」という恐ろしい罪だが、肝心のデボラは数年前に死んでいて顔すら登場しない。サヨコとアルベールの元に残ったのは拘束していた「犯行に加担していた下っ端」の男たちの屍と、少女たちの解体を撮影したビデオのみだった。
98年版でもそうであるように、サヨコがなぜアルベールに協力していたのかサヨコ本人の口から事実が語られ、アルベールは自分の娘が解体される映像を見ることになる。98年版ではそこで終わっているが、24年版ではその先がある。サヨコの哀しい復讐はそこで終わっていなかった。
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とても面白かったです!
どれだけ比較しないように書いたつもりでもやはりどちらも強烈なので、両方のシーンを思い出してしまいます。98年版アルベール、宮下を演じた香川照之さんがものすごく不気味で、その不気味さはアルベールではなく、どちらかと言うとサヨコに掴まり、命乞いをする男たちの方に感じた。ダミアン・ボナールさん演じるアルベールは深く優しい瞳をしており、サヨコに対して女性として好意を持ってしまったり、サヨコの謎が明かされた時にも涙ぐんだりして少し優し過ぎる印象がありました。もちろんそれは全く悪い意味ではなく。むしろ人間臭くてとても良かった。こういう人がいてこそ、サヨコの哀しみや罪の冷酷さが映えるように思います。
そして、少しばかりネタバレになりますが、後半、殺されて施設の隅っこに纏められた男たちの遺体の顔が……特に最初に拘束された男、ラヴァルを演じたマチュー・アマルリックさんの表情の作り方が完全にこちらを笑かしに来ていて、笑う場面ではないけど、いやそんな顔わろてまうやろ、と思いました(笑)マチューさん、本来はすごくイケオジなのに。
98年版の印象と同様に、新島=サヨコが完全な復讐の鬼と化していて冷静なキャラクターですが、登場する男たちは揃いも揃ってクズばかりでした。それとはまた違うけれど、吉村も来たくて来た訳ではないパリであったとしても医師と患者という間柄であるだけの他人なのに、サヨコに毒づくあの態度は完全に利己的だと思った。ただ複雑な人のようで常にヘルプは出していた訳で、そんなことから素直にサヨコの言葉を受け止めてしまった。精神的に不安定な人は時として誰よりも感情が研ぎ澄まされてしまう。彼にはサヨコの言葉が何を表しているのか瞬時に理解できたのだろう。
それを思うと、サヨコ自身も常にヘルプを出していた。だからこそ、その感情は鮮明過ぎて無表情を貫くことでしか自分を保てなかったのだろう。あの表情は声のない叫びだ。サヨコが暮らすパリの部屋ではロボット型の掃除機が常に這い回る。障害物があれば方向を変え、別の場所を掃除する。永遠に続く動き。壊さなければ終わらない。本当に苦しいのは終わらないこと。吉村に投げかけた言葉はサヨコの本質的な想い。パソコン越しに夫と対峙する本当のラストシーンは戦慄が際立った。
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こちらは1998年版DVD。こちらもトチ狂っててとても良いです(褒めてる)
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