シュタイナー教育②【伊達】
信州から直江津まで車で行って、そこから夜中にフェリーに乗り込み、次の日の夕方、苫小牧に着き、さらに、札幌の実家には寄らず、伊達温泉までひたすら運転‥
翌日すぐに、私の方の、教員養成の受講の手続きを事務所で済ませ、続けて娘は、シュタイナー幼稚園の「子どもの園」へ入園手続き。
こちらの教員養成の「1年コース」は、午前中、シュタイナー教育のさまざまな理論、午後は実際の授業の仕方など。「2年コース」は午前のみ。私は時間がもったいなかったので、1年コースで申込みました。
次にすぐ、住むところを探さなけれならず、不動産屋に荷物がびっしり積んである車ごと、乗り付けて、伊達神社⛩の近くに、1LDKの部屋を借りました。
不動産屋さんが言うには、シュタイナー学校関係の人たちは、はじめの頃は、怪しまれていたそうです。
学生ではない、女性の一人暮らしや、母子家庭が多いので‥でも別に問題を起こすわけではないことが、知れ渡り、私の頃は、借りやすくなっていました‥20年弱前ですかねぇ
でも、家賃は札幌値段(ちょい高い)でした。翌日から入れるとのことで、伊達温泉を引き上げ、翌日車の荷物を運び込みました。
娘の幼稚園は始まるわ、私のクラスも始まるわ、朝ごはんにお昼の2人分のお弁当‥などなど、目一杯ながらも、なんせ、地獄から生還してきた心待ちだったので、なんでもどんとこいの勢いで、なんとか、慣れていきました。
ありがたかったのは、昔、サマーセミナーで一緒だったYさんが 、息子さんをこの伊達のシュタイナー学校(いずみの学校)に入れていたので、顔が広く、娘の幼稚園の後に、夕方まで預かってくれそうなお宅を探してくださいました。
私は午前中の授業が終わって、昼休みに、幼稚園に迎えに行って、Iさん宅に、娘を預けて、また午後の授業に戻ります。Iさん宅は3人の男のお子さん達が、いずみの学校に通っていました。
娘のシュタイナー幼稚園は、ちょうど6月のメイポールのお祭り、花の冠を作ったりして楽しかったようで、まぁどこの環境にも、私よりも慣れるのが早いくらいで、助かりました。
写真は別の幼稚園ですが、シュタイナー幼稚園はみんなこんな感じです。ピンク色を使っているのはお母さんの子宮の色と言われています。お腹の中にいるように心おだやかにゆったりと過ごすことができます。家庭ではTVやゲームは脳を激しく刺激するので、極力見せないように協力してもらいます。特にこの頃、どんな遊びをしていたかが、その後の人生に大きく影響します。幼稚園時代までが一番大切かもしれないです。
私は、教員養成クラスには、2ヶ月遅れの参加でしたが、クラスの皆さんが、良い方ばかりで、すぐに打ち解けて、けっこうズタボロになっていた心が癒されました…
大村先生の授業は、わかりやすいし、ベン先生という素晴らしい先生にも巡り合えて、とても充実した時間を過ごせました。
旦那も何回か様子を見にきてくれて、大村先生にも挨拶してくれて、順調に過ごしました。
矢板で夜逃げのお世話になったMさんも、あちらはやめていました。北海道にも遊びがてら、1度見学にきました。
しばらくして、同じくご主人が教員養成を受けていた4人家族のTさんも、あちらはやめて、見学にきました。途中から入れるとのことで、家族ごと引っ越してきました。
男の子2人のうち、下の子が娘と同い年なので、よく助けてくれていた奥さんのMさんもきてくれて、私は、ものすごく助かりました。
彼女のお陰で、その後もずっと教師をしながら、暮らしていけました。娘を毎日預かってもらえたからです…感謝し切れません…
6月から3月まであっという間でした。途中教育実習が3回あったり、とにかく、毎日ただただ、忙しかった‥
その後、シュタイナー学校(その頃はいずみの学校)のクラス担任にめでたくなれました。正規の担任の空きが1人しかなくて激戦でしたが‥ありがたいことでした‥
娘もシュタイナー幼稚園から、お友達も一緒に、シュタイナー学校の1年生に入学しました。
入学式には、信州から旦那もきてくれて、娘が念願のシュタイナー教育を受けられることになったことと、私がその学校で働けることになったことを喜んでくれました。
ここまで、かなり大変でしたが…
この学校は、そのころはまだプレハブの校舎でした。体育館ももちろんないし‥いろいろなことが、手探り状態でしたが、エネルギーに満ち溢れていました。
いくつか思い出に残っているものを‥
私のクラスがシュタイナー学校の3〜4年生で行われる家づくりの授業の時、アイヌの住居のチセという建物(小さいものですが)を建てました。(父兄の協力を得て)それまで、アイヌのお話を授業でもずっとしてきていました。
お祈りをしてから屋根を上げました。
アイヌの伝統的な住居の「チセ」。大きさはいろいろあります
シュタイナー学校には、4大行事があるのですが、一番好きだったのは、「アドベント」でした。クリスマスの到来を待つ4週間を1週間づつ、鉱物に感謝、植物に感謝、動物に感謝、そして人間まできて、イエス様が誕生…みたいなお話を毎日していきます。
そして、冬休みに入る前に、「アドベントガーデン」をやります。
針葉樹の枝葉で大きな渦を作り、、中心に大きなろうそくを置き、子供達は「りんごろうそく」(作ります)を手に持ち、渦の中心まで、真っ暗な中を歩いていき、中心のろうそくから火をもらって、戻ります。
その途中に星の台が置いてあり、そこに自分のりんごろうそくをおいて戻ってきます。(終わってからうちに持って帰りますが)
アドベントガーデン
りんごろうそく
この厳粛な雰囲気を子供の時に、娘に味あわせることができる幸せを、私は毎年この時期、感じていました。
娘は「あずみのシュタイナーの会」で小さい時に、体験して以来、あれから何年もやっていますが、年とともに感じ方が変わっていくようで、その変化も興味深かったです。
冬休みに入る前日の夜は、なんと子供達や親御さんに、毎年。教師たちの「生誕劇」のプレゼントがありました。
どの先生が「マリア」と「ヨセフ」をするかお楽しみだったようです。最初の頃は、小さい子供がいて手が回らない教師は、楽隊に回してもらえて、助かりました…
シュタイナー学校は、「キリスト教ですか?」とよく聞かれます。シュタイナーが西洋の方なので、行事に取り入れているのでそう見えるのですが…別にキリスト教の学校ではありません。ある意味、シュタイナーはキリスト教側からも異端児扱いですから…
その辺がまた私には、すごーく面白い。出口王仁三郎との共通点を探る本があったり、キリスト教の福音書についても独特の理解があって、面白すぎです…健康、農業、占星術、建築、教育…まだ色々…興味のあるところから、のぞいて見てくださいませ。
矢板に行く前の数ヶ月でしたが、娘がめっちゃ面白いキリスト教の幼稚園に行っていました。(親友の娘さんと一緒)私も大好きだったその牧師先生に、シュタイナーの本を、見せようかどうしようか悩みましたが、やめました…幽体離脱したことがある牧師様だったらよかったのですが…
シュタイナー学校の「青空教室」では、娘が一番大好きだったダグラス先生が、よくみんなを海に連れて行ってくれていました。英語の先生でした。
よくいろんなものを作っていました(手前は由加里の2年生だった時かなぁ)オイリュトミーの先生と。
シュタイナー学校には、メインレッスンという独特の授業があるのですが、午前中に3週間くらい、毎日同じ教科を学びます。そのおかげで、子供達は深〜くかかわれます。
シュタイナー学校では、教科書を使いませんので、担任教師が、黒板に描く絵や文字を、スケッチブックのような、メインレッスンノートに、書き取って、写したものが、自分の教科書になります‥
全世界共通の学年別の内容の表もあります。義務教育の普通の学校のカリキュラムはだいたい網羅されています。
黒板絵は、こんな感じです。全てのクラスの黒板絵を見れば、今どんな科目をやっているかわかります。
これは、5年生のクラスの「古代インド」の時に美術の先生の助けを借りました。私の得意な「シヴァ神」と「ハヌマーン」のお話は自分が楽しかった…
何年間か、5年生の古代史の「インド」の時は、そのクラスの担任の先生に声をかけていただいて、インド古典舞踊をちょっと踊っていました。衣装だけでも、ビックリモノですから。
そのクラスだけに披露なので、私のクラスの子達も5年生になるのを楽しみにしてくれていて、とても嬉しかったです‥
こちらは、幾何学の最初の頃に描きました。定規がないから大変でした‥
こちらは他の先生たちの絵です。植物学の時だと思います。
3週間で授業が変わるたび、(あるいは、途中でも)描かないといけないので、土曜日とか日曜日に学校に行っていました。
そんなこんなで、慌ただしく毎日が過ぎていた頃、娘がちょうど2年生でしたが、旦那に癌が見つかりました‥続く
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