「即」という名のアポリア 第26回
第25回はこちら
はじめに
さて、前回の投稿から約1年が経過しております。第21回でも似たようなことを申し上げておりますから、「まるで成長していない」というほかありません。すみませんでした。まず、なぜこんなに投稿が遅くなったかを手短に申し上げておきます。このたびインド仏教篇を最後まで書き終えたのですが、前回と同様、書いているうちにわかったつもりになっていたが実際はよくわかっていなかったことが次々に出てきたり、様々な疑問点が生じたり、調べながら書いているうちに字数が当初の予定以上に膨らんでいくといったことが起こりました。特に、インド仏教の歴史の最後に登場した密教については、当初はあまり字数を割いていなかったのですが、調べながら書いているうちに「この雑文が扱う問題に照らしても、これはサラッと流していいものではない」と思うようになり、分量が増えていきました。
さらに、書いているうちに「これまでの自分の仏教観を部分的に見直さなければならないのではないか?」と考えることも多くなってきました。そうしたことが重なり、問題があるままで出すわけにいかないと思って続きがなかなか出せませんでした(私が自分の仏教観をどう修正したのかは、第34回と第35回のあたりで詳しく述べる予定です)。
ともあれ、言い訳がましいことを言うのはこれくらいにして始めることにします。この雑文は第25回まで、『中論』と『荘子』という二つの書物についてあれこれと述べてきました。ここから先は、『中論』や『荘子』の時代以降、空の思想や荘子思想が歩んでいった道のほんの一部を、“試みに言語化”してみたいと思います。そのことを通じて、『中論』や『荘子』が後世にどんな問題を残したのか、『中論』や『荘子』の問題が現代の問題とどのようにつながっているのか、今まで述べてきたようなお話がほかならぬ我々にどのような形で関係してくるのかといったことを少しばかり探ってみようと思っています。
もちろん、人間の言葉で「思想史」と呼ばれる現象は複雑極まる迷宮のようなものであり、空の思想や荘子思想が辿った道のすべてを記すことは不可能です。この雑文にできることは、空の思想がどのように変容し、どのように受容されていったか、どんな傾向が目立つようになっていったのかといった問題のほんの一部を“試みに言語化”し、空の思想が歩んだ複雑な道程の一側面をラフスケッチすることだけです。それを通じて、私が第20回で「ここで話を終らせることが“できない”」などということを言ったのはなぜなのかも、明らかにしていきたいと考えております。
初期大乗・中期大乗・後期大乗
前置きはともかく始めるとしましょう。インド仏教では、釈迦が亡くなってから時代が下ると仏教世界が多くの部派に分裂するようになり、紀元前後には大乗経典も出てきたということは既に述べました。初期大乗の空の思想についてもあれこれと述べました。今回は、インド大乗仏教において空の思想がその後辿った道のほんの一部を述べてみたいと思います。まずインドの大乗仏教の歴史について大ざっぱなことを言うと、よくある分類では初期・中期・後期の三つの時期に分けられています。
①まず初期大乗は、西暦で言うと紀元前後ぐらいから始まるムーヴメントです。この時代には、空の思想が説かれている『般若経』(『八千頌般若』とか『二万五千頌般若』などいろいろ種類があります)や、日本で最も読まれたお経だと言われる『法華経』などが書かれ、ナーガールジュナ(150-250頃)が現れて空の思想を精緻に理論化しました。
②次に中期大乗は、如来蔵思想や唯識思想と呼ばれる新たな仏教思想が発展していく時代です(この如来蔵思想と唯識思想は相違点もあるけど、相性がいい面もあります)。如来蔵思想を説いた大乗経典に、『如来蔵経』や『不増不減経』や『勝鬘経』や『(大乗)涅槃経』などがあります。また、『解深密経』という唯識思想を説いた経典が書かれ、その唯識思想をアサンガやヴァスヴァンドゥ(この二人は兄弟です)が体系化し、唯識派という学派が成立します。これに対して、ナーガールジュナの『中論』の思想を受け継いだ学派を中観派と言います。こうして、インド大乗の二大哲学派である中観派と唯識派が成立します。
③さらに時代が下ると、本格的な密教の時代がやってきます。密教というのは、あえて一言で雑に言うと、インド大乗の最終段階において展開された、象徴主義的で儀礼主義的な傾向が強い仏教です。②の時代にはすでに『金光明経』や『陀羅尼集経』といった初期密教経典が登場していたのですが、7世紀頃になると『大日経』や『金剛頂経』のような本格的な密教経典が成立し、密教が大きな勢力となっていきます。そして8世紀以降になると、『秘密集会タントラ』や『ヘーヴァジュラ・タントラ』や『カーラチャクラ・タントラ』といった密教経典が成立していきます。なお、インド密教の歴史は初期・中期・後期の三つの分類されることがあります。この分類法では、『大日経』や『金剛頂経』のような本格的な密教経典が登場する時期を中期密教と呼び、それ以前を初期密教と呼び、中期密教以降の『秘密集会タントラ』などが成立していく時期を後期密教と呼びます。
ほかにも②の時代にはディグナーガやダルマキールティといった人が現われて仏教論理学を体系化したとか、中観派と唯識派が論争したとか、中観派には帰謬論証派と自立論証派があって互いに論争したとか、③の時代には中観派のシャーンタラクシタとカマラシーラがチベットに仏教を伝える上で大きな役割を果たしたとか、いろんなことがあったんですがここでは割愛します。
「すべては空である」から「空はすべてである」へ
ともあれこの雑文でみてきたように、①の初期大乗の時代に出てきた各種の『般若経』で説かれている空というのは、あらゆるものごとには実体がないということでした。ところが、時代が下ると空の思想は、「空はあらゆるものごとを貫いている真理である」と解釈される傾向が強まっていきます。初期大乗の空の思想は、いかなる「もの」も他の「もの」との関係(≒縁起)によって存在するようにみえている蜃気楼のような「もの」であり実体はないという話だったのですが、それを肯定的に解釈する傾向が強まっていったのです。「机や椅子やりんごやみかんといったあらゆる『もの』には実体がない」というよりもむしろ、「机や椅子やりんごやみかんといったあらゆる『もの』は空という法則に貫かれている。空はこの世のすべてを貫いているんだ」という方向で空の思想を解釈する傾向が強まっていきます。言わば、「すべては空である」という話が「空はすべてである」という話に横滑りしていくのです。
『中論』の空と『二万五千頌般若』の空
具体例をあげましょう。初期大乗経典の『二万五千頌般若』には、こんな一節があります。
ここでは眼は空であるという教えが説かれているんですが、重要なのは「それがこの本性だからである」という箇所です。原文ではprakṛtir asyaiṣāです。この雑文はサンスクリット語の授業ではないので詳しい説明は省略しますが、prakṛtiḥ(本性が)と、asya(この)と、eṣā(それ)という3つの語が外連声によってドッキングしてこういう形になっています(何を言っているのかわからなくても、この雑文を読むのに支障はないので心配しないで下さい)。この文では、asya(この)は眼を指しており、eṣā(それ)は空を指すと考えられます。ということはこの文は、眼の本性は空であると言っていることになります。
ここで少し復習してみましょう。第12回から第19回にかけて述べたように、ナーガールジュナが『中論』で説いた空の思想は、いかなる「もの」にも自性(本質)がないというものでした。いかなる「もの」にも本質や本体を認めないのが『中論』の思想です。『中論』では、自性(svabhāva)とか本性(prakṛti)といった概念は否定されるべきものです。ところが『二万五千頌般若』のこの一節は、「眼には空という本性が“ある”」と言っていると解釈可能です。『中論』が否定した本性という概念が、「眼には空という本性が“ある”」という形でポジティヴに語られているともとれるのです。『二万五千頌般若』には、これと似たような表現が多数見られます。
実際のところ『二万五千頌般若』では、自性や本性という概念をポジティヴに語る表現が散見されます。例えば『二万五千頌般若』には、「すべてのものは自性が非存在である(abhāvasvabhāvaḥ sarvadharmāḥ)」という表現が出てきます。問題はabhāvasvabhāva(自性が非存在である)という表現で、あの玄奘さん(『西遊記』の三蔵法師のモデルになった人ですね)はこれを「無性為性」と訳しています。要は「すべてのものは無を自性としている」と解釈したわけです。これは議論が別れるところでしょうけど、語学的にそういう解釈もありえます。
以上のように『二万五千頌般若』には、「すべての『もの』には空という本質が“ある”」と語っているととれるフレーズが散見されるのです。ここでは自性とか本性といった概念がポジティヴに語られています。自性や本性を徹底的に斥ける『中論』の思想とは微妙に距離があるわけです。その後のインド大乗では、この「すべての『もの』に空という本質がある」という考え方からさらに一歩を踏み出し、「すべての『もの』は空という法則に貫かれており、“本来的に”清らかである」という思想も見られるようになっていきます。こうなってくるとだいぶ現世肯定感が強まっているし、現世否定的な傾向が(相対的に)強い『中論』の思想とは隔たりがあると言わざるをえません。
仏の身体という問題
このような空の思想の変容の背景には、仏の身体の問題があります。これは現代人の我々には少し感覚的に理解しがたいところがありますが、インドでは仏教徒が仏の身体について様々な議論や考察を行ったので、そういった議論のことを仏身論と言います。仏身論は大乗が登場する以前にすでに存在していましたが、それが急速に発展するようになるのは大乗以降のことです。
なんで仏身(仏の身体)なんぞが問題になるのかがわからないと思う方もおられるでしょう。仏身論が発展していく背景にあるのは、釈迦の死という事態です。当時の仏教徒にとって、釈迦の死という事態は極めて重いものだったのです。
この雑文の第3回でも申し上げましたが、仏・法・僧の三宝は仏教の根幹となる極めて重要な要素です。仏教とは一体何なのかというと、仏を信頼して、法(仏の教え)に従って暮らす比丘(尼)たちが、僧団を守りながら修行に励んでいる状態だと言うことが“一応は”できます。ということは、仏・法・僧のどれか一つでも欠けてしまったら、仏教の存続にかかわる大問題だということになりかねません。釈迦が80歳で亡くなったという伝承は、仏教の存亡にまでかかわってくるような大事件だと考えられるわけです。釈迦という仏様は80歳で亡くなっており、もうこの世にはいない。第11回でも申し上げたように、釈迦の次の仏様である弥勒仏が現われるのは、ニンゲンの感覚からすれば気が遠くなるような未来のことだということになっています。もう仏様に会うことはできないという事態は、当時の仏教徒にとっては、現代人には想像できないぐらい深刻なものだったのです。
パーリ経典の長部(ディーガ・ニカーヤ)には、『涅槃経』(次回取り上げる予定の中期大乗経典の『涅槃経』とは別物です)という、釈迦の死を描いた経典があります。『涅槃経』によれば、釈迦の最後のことばは次のようなものだったそうです。
「もろもろの事象」は無常である。釈迦は最後にそう言い残したと伝えられているわけです。ですが、釈迦のあとに残された人々は、無常に縁起する「もろもろの事象」を見据えて「怠ることなく修行を完成」させるというところにとどまってはいられませんでした。「もろもろの事象」が無常であっても、仏様だけは永遠に変わることなくそばにいてほしいと望んだのです。
部派仏教の遺骨・ストゥーパ信仰
釈迦の死後に残された仏教徒たちは、仏が永遠であることを確認するための方法を、無常の教えに反するようにして確立していくことになります。まず部派仏教では、仏の遺骨を信仰するということが行われていくようになります。ストゥーパ(仏塔)と呼ばれる建造物を建てて、そこに仏の遺骨を納めて(そこに祀られているのがほんものの釈迦の骨なのかという野暮な話はともかく)、それを信仰するという文化が成立していったのです。百聞は一見に如かずということでストゥーパの例をひとつあげると、インド中部のサーンチーにこんなストゥーパがあります。
『涅槃経』では、釈迦は死の直前にストゥーパについて次のように言っています(「修行完成者」というのは釈迦のことです)。
ストゥーパを建てて、釈迦の遺骨を納めて信仰する文化の背景には、このことばがあるわけです。
ところで、釈迦の遺骨のことをサンスクリット語ではシャリーラ(śarīra)とかダートゥ(dhātu)と言います。中国ではśarīraは「舎利」と漢訳され、dhātuは「駄都」と訳されました。そして後者のdhātuという語は、この雑文がこれから扱う問題に深く絡んでくるキーワードです。
dhātuというのは非常に多義的な語で扱いが難しいところがあるのですが、まず指摘しておきたいのは、dhātuには「本質」という意味があるということです。これは、釈迦の遺骨(dhātu)には、釈迦の「本質」が宿っているとみなされているということです。そうするとストゥーパ信仰という文化においては、釈迦の遺骨を納めたストゥーパが生前の釈迦そのもののようにみなされていることになります。釈迦牟尼仏の「本質」は、遺骨を通じて死後もこの世にとどまり続けているのだとみなされているわけです。よって、仏教徒にとってはストゥーパは、釈迦が亡くなった後でもいつでもアクセスすることができる釈迦牟尼仏の身体そのものなのです。
このように、ストゥーパが生前の釈迦牟尼仏の「本質」が宿っているというのであれば、ストゥーパを拝むことは釈迦牟尼仏を拝むこととほぼ同義です。そうすると、ストゥーパを拝むことには大きな功徳があるということになります。だからこそ、先ほど見たように『涅槃経』には、ストゥーパに「花輪または香料または顔料をささげて礼拝し、また心を浄らかにして信ずる人々には、長いあいだ利益と幸せとが起るであろう」と説かれているのです。
このようにして仏教徒は、遺骨という仏の物質的な身体を通じて、仏が現存し続けていることを確認するようになったわけです。ストゥーパ(仏塔)信仰は、仏身の問題と密接に関係する文化なのです。
ところで、仏教に何の興味もないという人でも、修学旅行なんかで京都や奈良に行った際に、五重塔を見たことがあるという方は多いでしょう。また、お寺の敷地に、卒塔婆と呼ばれる縦長の木の板が立っているのを見たことがあるという方も多いでしょう。この五重塔も卒塔婆も、ストゥーパです。
どういうことかというと、そもそも「卒塔婆」という語は、サンスクリットのストゥーパ(stūpa)を漢訳したものなんです。卒塔婆を略して「塔婆」とも言います。さらに略すと「塔」になります。ですから、ストゥーパと塔は同じものです(ちなみに、「塔」というのは中国に仏教が入ってくる以前は存在しなかった漢字です。仏教の概念を翻訳するために、新しく「塔」という字をつくったんです)。
「でも、さっき見たインドのストゥーパと日本の五重塔は全然形が違うじゃないか」と思う方もおられるかもしれませんが、先ほどのサーンチーのストゥーパのように半球形のドーム状のものは古いタイプで、時代が下ると標高が高いものや装飾的な要素が多いものも出てくるようになったんです(ざっくり言うと)。そしてお寺に立っている卒塔婆は、ストゥーパの簡略形態だということになります。
その後日本では近代になってから、西洋語のtowerに「塔」という訳語を当てました。そのため、東京スカイツリーとか通天閣のように、標高が高い建造物は何でもかんでも塔と呼ぶようになりました。ですが元々は塔というのはストゥーパのことであり、聖者の骨を納めたものだったわけです。日本では現在も仏塔や卒塔婆に合掌するということが行われていますが、それは仏の物質的身体にアクセスしようとする行為なのだということになるわけです。
色身から法身へ
さて、仏の永遠性を確認するために仏教徒が生み出していったのは、ストゥーパ崇拝だけではありませんでした。遺骨という物質的な身体ではなく、仏が説いた法(真理)という身体に、仏の永遠性を見い出していこうとする思想も生まれました。と言っても意味がわからないという方も多いと思うので、順を追ってみていきましょう。先ほどから見ている『涅槃経』には、釈迦の次のようなことばも出てきます。
私の死後は、私が説いた法(教え)と律(教団の運営規則)を頼りにせよ。釈迦はそう言い残したことになっているわけです。ここで問題になるのは法(教え)です。この「法」というのは、サンスクリットで言うとダルマ(dharma)、パーリ語だとダンマ(dhamma)です。dharmaというのは非常に多義的で扱いに困るところがあることばですが、もともとはサンスクリットのdhṛという、「保つ」という意味の動詞からできたことばです。そしてdharmaは名詞ですから、「保つもの」というイメージのことばだということになります。例えば、dharmaには法律という意味があります。法律は社会の秩序を「保つもの」だからです。また、「法則」という意味もあります。自然法則は宇宙の進行を「保つもの」だからです。また、「教え」や「真理」という意味もあります。「教え」や「真理」というのは、自然の法則や宇宙の法則を言語化して説いたものであり、「真理」であるからには、昨日も今日も明日もずっと変わることなく保たれていくものだからです。また、dharmaは仏教では「存在なり現象なりの最小の単位となる構成要素」を意味することもあります。この場合のダルマは、「固有の性質を維持するもの」を意味します。この意味でのダルマについては、第9回で有部のアビダルマを扱った際にあれこれと述べました。
さて、仏教徒にとっては仏が説いた法(教え)は、文字通り真理です。そして法は真理であるというのであれば、法というのはいつでもどこでも真理であり、遠い過去から現在までずっと真理であり続けてきたし、これからもずっと真理であり続けるということになります。「Aという真理は1984年7月3日までは真理だったけど、1984年7月4日からは真理ではなくなった」などということがあったら、Aは最初から真理ではなかったということです。そうすると仏教徒にとっては仏が説いた法というのは、それが真理である以上は、永遠に滅びない「もの」なんじゃないかという話になってきます。つまり、そのへんにある机とか椅子とか犬とか猫とか人間とかデンキウナギとかは無常だけれども、「一切のつくられたものは無常である」(『ダンマパダ』第276偈より)という真理“それ自体”は無常ではなく永遠に変わらないんじゃないかという話になってきます。インドに生まれて80歳で亡くなった釈迦という仏の肉体は無常な「もの」でありもう滅んでしまったが、仏が説いた法=真理は変わることなく“ある”。そういう発想が出てくるわけです。
ところで、仏教には古くから、法を説く仏と、仏が説いた法を同一視しようとする思想が見られます。パーリ相応部には、釈迦がヴァッカリという比丘に対して次のように説く経典があります。
「法を見る者は仏を見る。仏を見る者は法を見る」というのは仏教でよく説かれる有名な決まり文句ですが、この一節で言われているのはまさにそういうことです。ここでは法と仏が同一視されているわけです。
以上のような、「釈迦という仏の肉体は無常な『もの』でありもう滅んでしまったが、仏が説いた法=真理は変わることなく“ある”」という考え方や、仏と法を同一視する考え方が発展していくと、この世界のすべてを貫いている変わることのない真理=法こそが仏身だという思想が出てくることになります。法“それ自体”が、永遠不変の仏の身体だということになっていったのです。我々一般人の目に見える、形のある仏身は無常でありいつかは滅ぶ(実際に釈迦牟尼仏は80歳でこの世を去った)が、目に見えない法という仏身は無常ではなく、宇宙の法則のような「もの」として変化することなくこの世のすべてを貫いている。そういう思想が生まれてくることになるわけです。このような、形を持たず目に見えない法という仏身のことを、法身と言います。それに対して、インドで生まれて35歳で「覚り」をひらいて80歳で亡くなった釈迦の身体や、釈迦の死後に遺された、ストゥーパに納められている遺骨のように、我々一般人の目に見える物質的な形を持った仏身のことを色身と言います。
話の抽象度が高くて難しいでしょうか。どうしてもピンとこなければ、第22回や第25回などで、「道」や「天」や「理」といった中国思想の概念を説明した際に用いた、『魔法少女まどか☆マギカ』のアルティメットまどかのたとえを思い出して下さい。世界に遍在する目に見えない円環の理が法身で、我々一般人の目にも見える中学生のまどかちゃんが色身です。また、『涼宮ハルヒの憂鬱』でたとえると、「この銀河を統括する情報統合思念体」が法身であり、その情報統合思念体が派遣した対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースである、長門有希や朝倉涼子や喜緑江美里が化身です(どうでもいいことですが、これらのたとえはもはや若い人には通じなくなりつつある気はします。諸行は無常でありドゥッカであります)。
さて、このような法身に関する思想は、大乗の世界で大きく発展していくことになります。大乗では、釈迦の遺骨という色身に見切りをつけて、法身に仏の永遠性を見い出そうとする思想が様々な形をとって展開されていくことになるのです。
般若波羅蜜という名の仏身
ここで思い出していただきたいのは、大乗で説かれる般若波羅蜜です。第11回で申し上げたように、一般に大乗経典では、波羅蜜と呼ばれる修行を実践しなさいと説かれています。その波羅蜜のうちの一つが般若波羅蜜で、これはサンスクリット語のプラジュニャー・パーラミター(prajñāpāramitā)ということばを漢訳したものです。プラジュニャー・パーラミターというのは「般若(智慧)という完成」「知慧の完成」を意味することばで、「般若」と呼ばれる智慧を体得することです。
初期大乗経典の『八千頌般若』をはじめとする『般若経』では、釈迦をはじめとする仏たちは、この般若と呼ばれる智慧を完全に覚ることで仏になったとされています。般若波羅蜜によって仏になったのだというわけです。そして『八千頌般若』では、般若波羅蜜が法身と同一視されているのです。『八千頌般若』第4章には次のような一節があります。ここで「知恵の完成」と訳されているのことばが般若波羅蜜に当たります(ジャムブドゥヴィーパというのは、我々人間が住んでいる大陸のことです。後ほどまた触れます)。
ここには、私が野暮な解説を加える必要などないくらいに、色身と法身の関係が明確に説かれています。まとめると、
①般若波羅蜜と法身はイコールであり、般若波羅蜜こそが真の仏身である。
②仏の色身は般若波羅蜜という法身からあらわれたものである。
③目に見える釈迦の遺骨という色身を軽視するわけではないが、色身は般若波羅蜜=法身から生じたものだから、目に見えない般若波羅蜜を供養すれば目に見える釈迦の遺骨も供養されることになる。
というわけです。釈迦をはじめとする仏たちは、般若という智慧を完全に覚ることで仏になった。般若波羅蜜という目に見えない智慧が基盤になって、我々一般人にも見える「具体的存在としての身体」(=色身)をそなえた仏が生じる。ゆえに、般若波羅蜜というのは仏を生み出す母親のようなものである。ここで言われているのはそういうことです。
ここでは、釈迦の遺骨(=色身)を重視する従来の仏教を暗に批判しているとも考えられます。遺骨やストゥーパの価値を完全に否定しているわけではありませんが、色身よりも法身を重視しているとは言えるでしょう。大乗経典には、色身を重視する従来のストゥーパ崇拝の立場から、法身を重視する立場へと移行しようとする志向が明確に認められるわけです。「色身から法身へ」という方向性を打ち出したのです。目に見えるまどかちゃんではなく、その基盤である目に見えない円環の理の方が大事だという話になっていったわけです。[注1]
『法華経』と仏身
このような流れで、大乗仏教では仏の法身をめぐる思想が発展していくことになります。そうすると、29歳で出家し35歳で「覚り」をひらき、多くの人に教えを説いて80歳で亡くなった釈迦の人生はどのように解釈されるのかというと、こうなります。先ほど引用した『八千頌般若』では、仏の色身は般若波羅蜜という法身から現れたものであると説かれていました。すると、過去・現在・未来を通じて永遠不変である目に見えない法身が、衆生(生きとし生ける者)を救うべく、80年の間だけ衆生の目にも見える色身の姿で我々の前にあらわれて教えを説いたのが釈迦だということになってきます。実際、『八千頌般若』第3章には、「如来が具体的存在としての身体を得ているということは、知恵の完成の巧みな手だて(善巧方便)として生じている」(前掲書)という一節があります。釈迦の時代の遥か昔に現れたとされる過去七仏(第11回で触れました)や、遠い未来に出現するとされる弥勒仏といった仏たちもすべて、法身が我々の目に見える色身の姿で我々の前にあらわれたものであり、釈迦もそのうちの一人だということになりそうです。
でも、そのように考えるのであれば、29歳で出家し35歳で「覚り」をひらき、多くの人に教えを説いて80歳で亡くなったという釈迦の一生はすべて、衆生を導くために、法身が言わば“見せかけ”で方便として色身の姿をとったものだということになってきそうです。釈迦牟尼仏の身体が滅んだというのは実は“見せかけ”で、真の仏身は今も存在し続けている。真の仏身は過去・現在・未来を通じて永遠不滅である以上、釈迦は35歳ではじめて「覚り」をひらいたというのも実は“見せかけ”であり、実は遠い昔にすでに覚っていたのだ……といったような話にもなっていきそうです。
このような問題と絡んでくるのが、『法華経』という初期大乗経典です。『法華経』は、インド仏教やチベット仏教では重視されていませんが、東アジア仏教では非常に重んじられた経典です。中国では法華経信仰が一時期大いに栄えましたし、特に日本では最も広く読まれたお経だと言われており、法華経信仰は日本仏教のみならず、日本の文藝や藝術に至るまで非常に広い範囲に大きな影響を及ぼしました。そのため、日本仏教について考えるうえでは最も重要なお経の一つです。
ちなみに、日本で法華経が重要視されるようになったのには、天台宗という宗派の影響も大きいです。天台宗というのは、中国で生まれた大乗の学派の一つです。この天台宗の理論体系を築きあげたのが、南北朝時代の終わり頃から隋の時代にかけて生きた智顗という人で、智顗は『法華経』の説く教えこそが最も優れていると主張しました。そして智顗の時代から200年あまりが過ぎた頃に、あの最澄が日本から唐に留学して天台の教えを学び、日本に持って帰ってくることになります。その最澄によって開かれた延暦寺は日本天台宗の本山として、その後長い時代を通じて日本仏教にとどまらず、日本文化に大きな影響を及ぼしていくことになります。法然や親鸞や栄西や道元や日蓮といった、鎌倉時代の新たな仏教の開祖たちもみんな、元々は延暦寺で修行した人々です。そういうこともあって、日本仏教のほとんどの宗派は多かれ少なかれみんな何らかの形で『法華経』の影響を受けており、『法華経』は日本に非常に大きな影響を与えているわけです。
現在の日本仏教で有力な宗派は、臨済宗や曹洞宗などの禅宗や、浄土宗や浄土真宗などの浄土教だという漠然としたイメージを抱いている方もおられるかもしれません。確かに、現在の日本にあるお寺の数を単純に数えてみると、禅や浄土のお寺が多数を占めています。禅や浄土に比べると、『法華経』を重んじる日蓮宗のお寺はだいぶ少ない。話を伝統宗派に限ればそうです。しかし、伝統宗派だけでなく新宗教も視野に入れると、話は全く変わってきます。創価学会・顕正会・立正佼成会・霊友会・佛所護念会教団など、仏教系の新宗教団体の多くは日蓮宗系で、これらを全部あわせると巨大な勢力になります。近年はこれらの新宗教団体にも昔ほどの勢いはないとはいえ、近現代の日本で法華系の新宗教が大きな勢力を誇ったことは周知のとおりです。
日本で法華経信仰が根強い理由を、天台思想の影響力の大きさだけで説明することはおそらくできないでしょう。『法華経』はインド仏教やチベット仏教では特に重要視されず、中国では一時期法華信仰が栄えたものの、やがて廃れていきました(中国仏教では、乱暴に言えば最終的に禅と浄土教が生き残っていくことになります)。日本人が『法華経』を好んで読み継いできたのはなぜなのかについては、いろんな人がいろんなことを言っていますが、よくわかっていません。
一乗思想
話を戻して、『法華経』について少し見ていきましょう。『法華経』はどんなお経かというと、「一乗思想」と「久遠実成の釈迦牟尼仏」を重要な主題としているということが言えます。
このうち、仏の身体の問題に絡んでくるのは「久遠実成の釈迦牟尼仏」なのですが、ひとまず「一乗思想」からみていきましょう。何度も申し上げたことですが、インド仏教は釈迦の死後時代が下ると多くの部派へと分裂し、その後大乗経典も出てきました。新たに登場した大乗経典の一部は、従来の部派による仏教を「小乗」と呼んで非難し、自分たちの方が優れていると主張しました。
このような状況もあってか、この頃に書かれた部派の論書や大乗経典では、仏教の修行者を声聞乗・独覚乗・菩薩乗の3種類に分類するということが広く行われています(独覚乗は縁覚乗とも言います)。仏教の修行者が歩む道は、声聞・独覚・菩薩の3種類があると考えられたのです。
まず声聞というのは、釈迦の教えを聞き、阿羅漢になることを目指して修行をする出家者のことです。独覚というのは、誰にも頼らず一人で修行して覚る人のことで、自分が「覚り」をひらいても他人に教えを説くことはないとされます。菩薩というのは、大乗の教えに従って、阿羅漢ではなく仏を目指す人のことです(阿羅漢や菩薩については第11回で述べたので忘れてしまった方はそちらをみてください)。
声聞乗と独覚乗(この2つをあわせて二乗といいます)というのは、大乗以前からあった従来の「覚り」への道です。まず、声聞というのは具体的に言うと、部派の修行者のことを指しています。次に、独覚というものの実態はよくわかりません。仏教経典や論書をひもといても、独覚乗という道があるということが名目的に記されてはいるものの、具体的にどういう人たちなのかはほとんど書かれていないからです。また、菩薩乗について申し上げると、大乗経典のなかには、二乗は「小乗」であり劣った修行方法にすぎず、自分たちの菩薩乗のほうが優れていると主張するものがあります。二乗は自分が「覚り」をひらくことだけを目指すもので、自分以外の衆生を救済する利他行を行わない。それに、声聞乗では阿羅漢にはなれても仏にはなれないが、菩薩乗では仏になることができる。よって声聞乗や独覚乗といった道よりも、大乗が打ち出す菩薩乗というコースを歩んだ方がいい。仏教世界に新たに登場した大乗経典の一部はそのように言って、二乗よりも大乗の方が優れている主張したわけです。
ただし実際は、声聞と呼ばれる部派の修行者たちが、他人を無視して自分だけが涅槃に入ることを目指したのかというと、もちろんそんなことはありません。第11回でも申し上げたように、仏教は釈迦が梵天勧請を受け入れることから始まったことになっています。ということは、世俗の世界から脱して「覚り」をひらくという「向上」のベクトルだけでなく、「覚り」をひらいたあとで世俗の世界に戻ってきて、自分以外の他人に教えを説いたり救済しようとしたりする「向下」のベクトルも仏教は最初から備えていたわけです。そして実際に、部派が自分以外の他人に教えを説いたり救済しようとしてきたからこそ、部派の教団は存続していったわけです。大乗では、「向下」のベクトルがそれ以前の仏教より大幅に拡張されているとは言えますが、それ以前の部派の仏教が利他行を行わなかったというわけではありません。そういうわけで、菩薩乗の方が二乗よりも優れているという、大乗経典の主張を無批判に丸吞みにするわけにはいきません。
ともあれ、菩薩乗が優れていて二乗は劣っているという考え方でいくと、すべての人が平等に仏になれるわけではないことになります。声聞乗を選ぶ人は、阿羅漢にはなれても仏にはなれないことになるからです。このように、声聞乗・独覚乗・菩薩乗の三乗のあいだには優劣があり、それぞれ違った「覚り」への道があるのだという考え方を三乗思想と言います。
この三乗思想に対して『法華経』は、二乗と菩薩乗の違いは本質的なものではなく、声聞乗でも独覚乗でも菩薩乗でも最終的には仏になることができると主張したのです。これを一乗思想と言います。これでいくと、すべての人が平等に仏になれることになります。『法華経』の第2章にあたる「方便品」で、釈迦は次のように説いています(ちなみに、「方便品」の「品」というのは、現代の日本語で言うと「章」のことです。今後この雑文で何度も登場しますので、知らなかったという方はここで覚えていただければと思います)。
三乗思想では、仏教の修行者にはそれぞれ能力の違いがあって、教えもそれぞれのために声聞と独覚と菩薩の三つに分かれており、最終的にたどり着くゴールもそれぞれ違うことになります。それに対して一乗思想では、声聞も独覚も菩薩も、すべて最終的に大乗に適合することになります。声聞と独覚と菩薩という「三つの乗り物(三乗)」を説いたのあくまでも「方便」であって、実際には一乗という乗り物しか存在しないのだというのです。一乗思想では、誰もが菩薩として修行して仏になれることになります。ほかならぬあなたも仏になれるというわけです。
この「方便」ということでちょっと思い出していただきたいのは、第6回で紹介したキサーゴータミーのエピソードです。釈迦が我が子を失って半狂乱になったキサーゴータミーという女性に対して、ド直球で無常やドゥッカや無我などの教えを説かずに、誰も死者を出したことのない家から白カラシの種をもらってきなさいと言ったという有名な伝承です。白カラシの種を用意すれば、釈迦が縁起をねじ曲げるようなミラクルパワーを使って子供を蘇らせてくれるのかというと、もちろんそういう話ではない。しかし、釈迦が「方便」で発した「白カラシの種を持ってきなさい」ということばを聞いたキサーゴータミーは、悲しみのままに多くの家を訪ね歩いて彷徨うという過程を経て、結果的に仏教で無常やドゥッカと呼ばれている事態に気づいたわけです。原因があって生じたものはすべて無常でありドゥッカであり、すべては無我だから執着するなといった教えがたとえどんなに妥当なものであったとしても、悲嘆にくれ半狂乱になっているキサーゴータミーに向かってそれをド直球で言うのは、言うなれば外科手術が必要な患者に、麻酔もかけずにいきなりメスを入れるような行為である。ゆえに釈迦は、いきなり無常やドゥッカや無我などの教えを説くなどということはしなかったというお話でした。対機説法とか応病与薬とも言われる話です。
先ほど見た、「種々の信順の傾向を持ち、種々の素質と考えを持った衆生たちの意向を理解して、種々の[教化のやり方の]遂行による教説、[すなわち]多種多様な因縁、原因、例証、根拠、語源的説明などの巧みなる方便によって法を説い」たという一節が言っているのは、そういうことです。つまり、一乗思想は深淵であり、何も知らない一般人にそんなことを言っても理解されなかったり、戸惑って混乱してしまうだろうから、これまで一乗思想は説かなかった。キサーゴータミーに「白カラシの種を持ってきなさい」と言うのと同じように、まず阿羅漢になることを目指す声聞乗を説いた。だが三乗(声聞・独覚・菩薩という三つの道)はあくまでも「方便」として説いたものであって、真実は一乗である。このような『法華経』の思想を「三乗方便・一乗真実」と言います。
アニメなどのストーリーが、視聴者が全く予想しないようなとんでもないものになっていくことをネットでは「超展開」などと呼んだりしますが、『法華経』が言っていることもなかなかの「超展開」です。現在の上座部仏教圏に伝わっているパーリ経典や、漢訳された阿含経典などには、釈迦の教えを聞いて修行した人は阿羅漢になったと書いてあります。大乗以前に成立した経典にはそのように説かれているわけです。でも、その後新たに書かれた『法華経』では、阿羅漢になる教えは「方便」であり、声聞の道を歩む人も本当は菩薩であって、最終的には仏になれるのだとされるわけです。
久遠実成の釈迦牟尼仏
一乗思想についてはいったんこれくらいにして、同じく『法華経』が説く「久遠実成の釈迦牟尼仏」についてもみてみましょう。「久遠」というのは「遠い昔」という意味なんですが、これも一乗思想と同じく「超展開」と言っていい内容です。これまでに何度も申し上げましたが、仏伝によれば釈迦は35歳で「覚り」をひらき、人々に教えを説き、80歳で亡くなったことになっていました。ところが『法華経』は、釈迦が35歳で「覚り」をひらいたのも80歳で亡くなったのも、実は「方便」だったのだと言うのです。本当は釈迦は、人間の感覚では気が遠くなるようなはるか昔に「覚り」をひらいて釈迦牟尼仏になっており、今も存在し続けている。そして釈迦牟尼仏の寿命は今後も、遠い昔に釈迦が仏になってから現在(釈迦が『法華経』を説いている時点)に至るまでの時間の2倍も続くのだと言うのです。釈迦が80歳で亡くなったというのは実は「釣り」であり“見せかけ”である。本当は人間の感覚では気が遠くなるほど昔に仏になって以来、衆生を救うために法を説き続けており、今後もずっとそうしていく。釈迦牟尼仏は今も我々を見守ってくれている。そのように言うのです。そして今でも、信仰のある者は釈迦を見ることができるとも言っています。『法華経』の「如来寿良品」という章には次のようにあります(ここに出てくる「幾百・千・コーティ・ナユタ」というのは、とんでもなく巨大な数だと思っていただいてひとまずは大丈夫です)。
要するに、釈迦という仏は本当は死んでいないし、人間の感覚では「永遠」に近い寿命があるんだと言うのです。でも、釈迦がそう明言してしまったら、仏教徒は「お釈迦様はこの世にいつまでもおられるし、いつでも指導してもらえる。それなら今すぐに修行することはないし、そのうち気が向いたときにすればいいや」と思ってダレてしまうだろう。そこで、80歳の時点でいったん「方便」でこの世から姿を消すことにしたのだ。ここで言われているのはそういうことです。
私は先ほどから何度か『涅槃経』という、釈迦の死を描いたパーリ長部の経典を紹介してきました。『涅槃経』では、釈迦はスーカラマッダヴァという料理(これがどんな料理なのかはよくわかっていないのですが)を食べて、食あたりを起こして亡くなったことになっています。イエスのように、凄惨で劇的な死を遂げてから三日後に復活したなどということはなく、食あたりで我々一般人のように死んでいったと伝えられているのです。このエピソードは、古い時代の仏教が「普通の」人によって作られた「普通の」人のための教えだったことをよく示しています。四諦八正道や戒定慧の教えを実践することで、我々も釈迦と同じように生老病死の苦しみから脱して解脱することができる。そういう話だったわけです。
しかし釈迦の死後、時代が下るにつれて釈迦は神格化され、超人的な性格を与えられるようになっていきます(この点は多くの宗教が辿った道と共通していると言えるでしょう)。またこれまで述べてきたように、釈迦の死によって仏・法・僧のうちの一つが消えるという深刻な事態を前にした仏教徒たちは、ストゥーパ信仰や般若波羅蜜多信仰などの形で、仏身が今も存在し続けていることを確認するすべを生み出そうともしてきました。『法華経』が説く「久遠実成の釈迦牟尼仏」の思想も、このような釈迦の神格化の流れや、仏身の永遠性を探求していく流れのなかで出てきたものだと捉えることができます。
ともあれ、元々釈迦は、「普通の」人のための教えを説き、80歳で食あたりで亡くなったと伝えられていました。ところがその後釈迦は神格化され、ついに人間の感覚では「永遠」と言っていいような寿命を持つ者として描かれるに至ったわけです。久遠実成の釈迦牟尼仏は、啓典宗教で説かれる全知全能の唯一の神とはやはり異なるし、世界創造も最後の審判ももちろん行わないのですが、超人化され救済神に近い性格を帯びるようになったとは言えるでしょう。
多様な仏たちを統合
ところで、第11回で述べたように仏教では、釈迦の死後時代が下ると、過去仏や未来仏などの多くの仏が創作されていきました。また、我々が住む世界に、釈迦の次の仏である弥勒仏があらわれるのは気が遠くなるような未来のことだけれど、我々が住む世界の外に存在する無数のパラレルワールドのなかには、現在進行形で仏が存在していて教えを説いている世界もあるという宇宙観も形成されていきました。『法華経』は、このような多くの仏たちは実は、久遠実成の釈迦牟尼仏がパラレルワールドに派遣した分身なのだという思想も説いています。『法華経』の「見宝塔品」には、釈迦がいろんなパラレルワールドから分身仏を集合させるシーンがあります。
久遠実成の釈迦牟尼仏は、人間の感覚では「永遠」と言っていいような寿命があるだけではない。いろんなパラレルワールドで法を説いている多くの仏たちは、実は久遠実成の釈迦牟尼仏の分身だと言うのです。パラレルワールドで法を説いている多くの仏たちは、アルティメットまどかが派遣した美樹さやかや百江なぎさのようなものだということになります。パラレルワールドにいる仏たちはサブであり、釈迦牟尼仏こそがメインとなる仏様である。久遠実成の釈迦牟尼仏こそがいろんな仏たちの本体である。そう言っているかのようです。また、『法華経』の「如来寿量品」には次のようにあります。
これも第11回で述べたことですが、仏教世界ではある人が仏になるためには、仏と出会って「自分も将来は仏になりたい」という決意を示さなければならないという決まりがありました。その決意に対して、仏は「お前は将来必ず仏になるであろう」というお墨付きを与えます。このお墨付きのことを授記と言います。この手続きを踏んだ者だけが、仏を目指す修行を実践することができ、将来仏になることができる。これは大乗の出現以前から言われていた約束事です。
そして、釈迦は遠い昔の前世で、ここに登場するディーパンカラ仏(燃燈仏)という過去仏に出会い、「お前は将来必ず仏になるであろう」という授記を受けたのだと伝承されていました(これも大乗以前から言われていた伝説です)。釈迦が35歳で「覚り」をひらいたり、80歳で亡くなったりしたのが「方便」であり“見せかけ”であったのと同じように、燃燈仏が釈迦に授記を授けたという伝説さえもが、本当は久遠実成の釈迦牟尼仏が「方便」でそう「見せかけ」たものだったのだと、『法華経』は言ってのけていることになるわけです。
『法華経』はなにゆえこんなことを言うのでしょうか。仏教では時代が下るにつれて、釈迦牟尼仏以外の多くの仏が新たに創作されていきました。そうすると、仏の数が増えていろんな救いの道が存在するようになるのはありがたいことではあるんでしょうけど、その反面で個々の仏の重要性は低下せざるをえない面もあります。多様な仏が多様な異世界で多様な教えを説いているとなると、タヨーセーが増し選択肢が増えるのは結構なことではあるんでしょうけど、一体どの仏の言うことを聞けばいいのかわからんという話にもなりかねません。
そこで『法華経』は、そういった多くの仏たちは釈迦が派遣した分身であり、釈迦こそがその本体なのだとみなすことで、釈迦牟尼仏を本体に多くの仏たちを統合しようとしたのだと解釈することができます。パラレルワールドにいるいろんな仏たちは、久遠実成の釈迦牟尼仏に統合されることになりますから、『法華経』はあらゆる仏たちを空間的に統合したのだと解釈できます。また、久遠実成の釈迦牟尼仏は、人間の感覚で「永遠」と言っていいような寿命を持っていて、遠い昔に釈迦に授記を授けたとされる燃燈仏さえもが、久遠実成の釈迦牟尼仏が作り出したものだと言うのですから、多くの仏たちを空間的に統合するだけでなく、時間的にも統合したと解釈できます。
これまで述べてきた一乗思想や久遠実成の釈迦牟尼仏の思想を踏まえると『法華経』は、分断された仏教世界を統合しようとする志向を持った経典だということが言えます。釈迦が亡くなってから時代が下ると、仏教世界は多くの部派へと分裂し、さらに大乗も登場しました。そうやって仏教世界は多くのグループへと分裂するようになっていたわけです。そこで『法華経』は、「三乗(声聞・独覚・菩薩という三つの道)はあくまでも『方便』として説いたものであって、真実は一乗である。声聞の道も独覚の道も菩薩の道も、すべて最終的に大乗に適合することになるし、最終的に仏になれるのだ」と宣言することで、分断された仏教世界を統合しようとしたのだと言えます。さらに、時代が下るにつれて創作されていった多くの仏たちも、久遠実成の釈迦牟尼仏が派遣した分身であるとみなすことで、多様な仏たちを釈迦を本体にして統合しようとしたのだとも解釈できます。『法華経』という初期大乗経典の重要な特色は、多様な教えと多様な仏を統合しようとしたことにあるわけです。
そのために『法華経』は、「声聞たちは釈迦の教えを聞いて、それを実践して阿羅漢になった」という元々の話を書き換えて、「お釈迦様がそのような教えを説いたのは『方便』でそうしたのだ。本当は声聞たちも菩薩であって、最終的に大乗に適合して仏になれる」という話へと改変したのです。さらに釈迦が80歳で「普通の」人が寿命で死ぬのと同じように亡くなったという話も書き換えて、本当は釈迦牟尼仏は今も我々を見守っているのだという話へと改変したわけです。
こう思う方もおられるかもしれません。「なんだかずいぶんと大乗の側に都合がいい話だ。仏教は元々『普通の』人によって作られた『普通の』人のための教えで、四諦八正道や戒定慧の教えを実践することで、我々も釈迦と同じように生老病死の苦しみから脱して解脱することができるという話だったんでしょ? 『法華経』は、実はそれは『方便』であって釈迦の真意は本当は違ったのだと言ってることになるわけだけど、『法華経』は紀元後の人々が新たに作ったんだよね。釈迦はおおよそ2500~2400年前の人物なんだし、歴史上の釈迦の真意が『法華経』が説くような内容のわけがないじゃないか。大乗の側が自分たちに都合がいいように仏教を改変しようとしてるだけじゃないか」と。
大乗の徒でない人からすればそのように見えるのは無理もないことだと思いますし、文献的には歴史上の釈迦が『法華経』を説いたと言うことはできないのもそのとおりです。しかし、『法華経』は中国や日本で広く読まれ、多くの人を救ってきたことも間違いありません。『法華経』を書いた人も編集した人も、仏教をねじ曲げてやろうなどという意図はなく、これこそがお釈迦様の真意だと思って『法華経』を作り、読む側もこれこそがお釈迦様の真意だと思って読んだわけです。そうやって多くの人が救われたのです。さらに言えば、そうやって『法華経』を読んだ人たちの手によって新たに経典や論書が作られ、それまでになかった仏教思想が生まれていったことも事実です。そうやって仏教史に新たな地平が次々と切り開かれていったのです。仏教と呼ばれる複雑極まる現象は、そういう新たな創作や「スピンオフ」や「メディアミックス」すべてを含んだものであり、そこに安易に善いとか悪いとかいった価値判断を安易に持ちこむことは危険だと言わざるをえません。
大乗経典は紀元前後になって出現し始めたわけで、そこに書かれていることは歴史上の釈迦が説いたことだとは文献学的には言えません。大乗の徒でない人からすれば、大乗はそういう出自のあやしさを孕んでいるように映るであろうことは否めません。しかし、だからといって古いタイプの仏教の方が宗教として優れており、新しいタイプは宗教として劣っているなどということは言えません。古いタイプの仏教も新しいタイプの仏教も、いずれも長きにわたって多くの人々を救い続けてきたことは間違いないですし、そこに優劣というものさしを安易に持ち込むべきではないと私は考えます。
経典という名の仏身
さて、仏教徒が仏身をめぐる思索をどのように展開させてきたかを探るために、初期大乗経典の『八千頌般若』や『法華経』を見てきましたが、それに関連してもう一点指摘しておきたいことがあります。これらの大乗経典には、経典それ自体を仏身だと捉える傾向があるということです。
既に述べたように、初期大乗経典には、「色身から法身へ」という方向性が強く見られます。法身という思想は、法(教え・真理)と仏身を同一視しようとする発想から出てくるものです。ところで、仏教経典というのは言うまでもなく法を説いた書物です。ということは、法を仏身と同一視するのであれば、法が記されている仏教経典それ自体が仏身だという発想が生まれてくることになります。
そのため、『八千頌般若』や『法華経』をはじめとする大乗経典では、経典それ自体を覚えたり読んだり唱えたり説いたり書き写したりすることには非常に大きな功徳があると説かれています。『八千頌般若』第32章にはこうあります。
また、『法華経』の「法師品」という章にはこうあります。
さらに、『法華経』の「分別功徳品」にはこうあります。
『法華経』を書き写され暗誦された場所には、如来の身体がすでにまるごと安置されていることになる。『法華経』を書き写して肩に担う者は如来を肩に担っていることになるし、仏の遺骨を供養したことになる。『法華経』は、釈迦の遺骨=色身と経典の価値は等しいと言っていることになります。大乗仏教には、色身を重視する従来の立場から脱却しようとする方向性がみられることはすでに見てきたとおりですが、ここにも従来の遺骨・ストゥーパ信仰を反省し批判しようとする志向が見てとれます。
ちなみに、ストゥーパには釈迦の遺骨(とされるもの)だけでなく、経典が納められることがあります。そのような文化は、経典を仏身と同一視する思考に基づいたものです。また、21世紀の現在でも日本では、写経(仏教経典を紙に書き写すこと)が行われ続けていることは、仏教に何の興味もない方もご存知でしょう。これも以上のような思想と密接に関係する文化です。写経を行う者は、経典に説かれている法という名の仏身にまみえようとしているのだということになります。このように、仏の身体の問題は21世紀の日本を生きる我々にまでつながっているのです。インドから遠く離れた日本で、仏に出会おうとする営為が21世紀になっても行われ続けているという事実は、感動的ですらあります。
『華厳経』――毘盧遮那仏の智慧という身体
『法華経』には他にもいろんな問題はあるのですがひとまずこれくらいにします。大乗経典に見られる「色身から法身へ」という流れをさらに追いかけていきましょう。法身の問題を考えるために次にとりあげてみたいのが、『華厳経』という大乗経典です。この経典は、先ほどあげた初期大乗・中期大乗・後期大乗という大ざっぱな時代区分でいうと、初期大乗経典に分類されます。ただ、『華厳経』はもともと一つの経典として存在していたのではなく、複数のお経を集めて作られたもので、全体が集大成されたのはやや時代が下ってからだと言われています。また、最終的に中央アジアで一つの経典にまとめられたとも言われており、インドの外でいろんな人の手が加わっています。この『華厳経』は、後世の密教とも関連してくる経典です(密教とは何なのかについては後ほど述べます)。というのも、『華厳経』には毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)という仏が出てくるのですが、毘盧遮那はサンスクリット語ではvairocana(ヴァイローチャナ)と言います。一方、密教で重要視される大日如来という仏も、サンスクリット語だとmahāvairocana(マハーヴァイローチャナ)です。両者には深い関係があると考えられています。ちなみに、修学旅行なんかで奈良の東大寺に行ったことがある方は多いかと思いますが、東大寺にあるあのでっかい仏像は毘盧遮那仏です。
「一即多」「一即一切」
さて、『華厳経』はぶあつい経典ですので、その内容すべてをここで取り扱うことはできませんが、この雑文の問題に深く絡んでくる点に絞って中身を少しだけのぞいてみることにします。まず注目してみたいのは、『華厳経』の「如来性起品」という章です。「如来性起品」では壮大な宇宙観が説かれており、毘盧遮那仏は、宇宙全体に遍在する真理だとされています。毘盧遮那仏の身体はこの世のすべてに浸透しており、その智慧はこの世のすべての衆生に行き渡っている。宇宙の真理そのものが展開しているのがこの世界だというのです。
「虚空界」というのは「空間」のことだと思って頂いて大丈夫です。仏の身体は目に見えず形もなく、空間と同じようにしてこの世界の全領域に浸透している。仏の身体はアルティメットまどかの円環の理のごとく、この宇宙のすべてに遍在しているのだというのです。先ほど申し上げたように、このように宇宙の法則のような「もの」としてこの世のすべてを貫いている、目に見えない法としての仏の身体が法身です。釈迦をはじめとする仏たちは、この法身が衆生を救うために「方便」で、我々一般人の目に見える色身の姿で(中学生のまどかや長門有希のように)あらわれたものだということになるわけです(「教化のためには主の姿が見られないわけではない」という一節が言わんとするのはそういうことです)。『華厳経』が語る毘盧遮那仏の身体は宇宙の真理そのものであり、この世のすべてを貫く真理を具現化した「もの」として描かれているわけです。ということは『華厳経』は、宇宙に存在する釈迦をはじめとするいろんな仏たちはすべて、元を辿れば毘盧遮那仏という仏に収束するのだと語っていることにもなります。
『華厳経』「如来性起品」が語る宇宙観をもう少し見てみましょう。
まず、用語について。「ジナ」というのは「勝者」を意味することばです。「煩悩に打ち勝った者」のことだと理解して頂いてひとまず大丈夫です。三千大千世界というのは何かというと、それを説明するためには仏教の宇宙観について触れねばなりませんので、簡単に述べます。
仏教の世界観では、我々が住む世界は円柱のような形をしています。我々はその円柱の上に住んでいることになるわけですが、この円柱の上には水がたまっています。これが海です。この海がなぜ円柱の外側にこぼれたりしないかというと、円柱の周りを鉄囲山という山が縁どっていて、丸いお盆に水を入れたような状態になっているからです。そしてこの海の中央に、スメール山(漢訳だと須弥山と言います)という大きな山があって、そのスメール山の周りを七つの山がとり囲んでいます。スメール山には天という神々が住んでおり、人間が住むところではありません(この雑文で何度か申し上げたように、仏教の天という神々は仏に比べるとあまりたいした存在ではありません。一応人間よりは寿命が長いけれど、生老病死からは逃れられないという点では人間と同じです)。
このスメール山の東西南北に、それぞれ大陸が浮かんでいます。これら四つの大陸のことを四洲と言います。この四洲のうち、南にある大陸を贍部洲と言って、我々人間はここに住んでいます。先ほど『八千頌般若』に出てきたジャムブドゥヴィーパというのは、贍部洲のことです(ちなみに贍部洲に住んでいる天もいます)。ちなみに、贍部洲の地下には地獄があって、悪業を積んだ衆生がその報いを受けており、下に行けば行くほど苦しくなるのだそうです。以上のような構造をした世界を一世界と言います。一世界を上から見た図はこんな具合になります(真ん中の黒く塗りつぶした部分が須弥山です)。
そして、この一世界の外側には別の一世界がたくさんあります。パラレルワールドがいっぱいあるわけです。これら多数の一世界を千個合わせたものを小千世界と言い、小千世界を千個合わせたものを中千世界と言い、中千世界をさらに千個合わせたものを大千世界と言います。大千世界のことを、三千大千世界とか三千世界とも言います。つまり、三千大千世界というのは、世界が1000×1000×1000で10億個集まったものだということになります。世界が3000個集まったものではなく、1000³個の世界が集まったものを意味することばなわけです。そして、この三千大千世界の外側には、さらに別の三千大千世界があるとされます。宇宙は無数の三千大千世界から成り立っているというわけです。
気が遠くなるようですが、話を『華厳経』に戻しましょう。その三千大千世界が実物大で描かれた、巨大なんていうレベルじゃないキャンバスが、一個の原子のなかにつめこまれているというのです。それと同じで、「如来の知恵もまた、すべての衆生の意識の流れのなかにあまねく浸透している」。仏の智慧は、円環の理みたいに宇宙全体に遍在しており、広大な宇宙からみればちっぽけな一人ひとりの衆生のなかに入り込んでいるというわけです。円環の理、もとい毘盧遮那仏の真理は、宇宙のすべてに浸透しているというわけです。
これは、部分(一個の原子)のなかに全体(全宇宙)が含まれており、全体のなかに部分が映し出されるという世界観です。ニンゲンの感覚ではちっぽけに思える「もの」すべてに、この世のすべてが含まれているのだというのです。このような『華厳経』の思想を、「一即多」とか「一即一切」と呼ぶこともあります。「そんなこと言われても、あまりにも常識からかけ離れて過ぎてて全くピンとこない」と思われる方も多いでしょう。そこでここはひとつ、インターネットでたとえてみようと思います。
インターネットにはネットワークの中心というものがありません。この中心のないネットワーク全体が毘盧遮那仏です。このネットワークのあちこちに仏たちが存在していて、それぞれの仏は別の世界の仏たちに放射状につながっている。個々の仏の世界は一見すると独立しているように見えるけど、すべての仏は毘盧遮那仏とつながっており、ネットワーク全体が毘盧遮那仏に貫かれている。このようにして無限の仏の世界が宇宙に広がっている。そうすると、ネットワークに遍在する個々の仏たちは、毘盧遮那仏に「即」して顕現していると言える。
わかりにくいでしょうか。別なたとえも用いてみましょう。日本ではあまり食べられていないようですが、ロマネスコというカリフラワーの一種があります。ロマネスコのつぼみは1つ1つが円錐状になっており、1つ1つの円錐が螺旋を描きながら規則正しく並んで、大きな円錐を形成します。その大きな円錐がさらに規則正しく並んでさらに大きな円錐を形成するという具合に、小さな円錐の繰り返しで大きな円錐が作られています。
ロマネスコには、幾何学的パターンが何度も繰り返される構造をしており、自分を次々に複製する「自己相似」の構造が見られるわけです。なぜこんなことが起きるのか。ロマネスコは自由にどんな形にでもなれるわけではなく、遺伝子の「設計図」に逆らうことはできません。生物のDNAはA(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)の四種類の塩基でできていますから、生物の複雑な組織はたった4つの単純な暗号の組み合わせから作られています。この制約のなかで複雑なものを生み出そうとすれば、一度作った組織をもう一度使うことを繰り返していくしかありません。自分のなかに自分を取り込んだり、自分の一部を外に押し出したりということを繰り反すことで、複雑な構造を生み出すわけです。このような構造はロマネスコやカリフラワーやブロッコリーに限った話ではなく、巻貝とかシマウマの模様とかシダの葉脈とか肺の気管支とか脳のシナプスなど、この世界にいくらでも見られるものです。
こういうのは何も生物に限った話ではありません。例えば、雪の結晶は六角形を組み合わせた自己相似の構造をしています。これは、水蒸気が結晶を形作るときに、1つの酸素のまわりに3つの水素が120度の角度で結合するからです。これが集まって六角形を形作り(六角形の内角の和は720度ですからね)、それがさらに集まって自己相似の構造をした結晶ができるわけです。
一つの「もの」のなかに無限の繰り返しが含まれていて、細かく見ていくとそこには無限に相似形の個体が出てくるけど、遠くから全体を眺めれば一体に見える。これは我々人間にも言えることで、例えば人間の身体も、それを構成する無数の細胞の一つ一つも同様の構造をしている。このような構造と同様に、部分(一個の原子)のなかに全体(全宇宙)が含まれており、全体のなかに部分が映し出される。ざっくり言うと以上のような話なんですが、「一即多」「一即一切」の世界観が多少はイメージしやすくなったでしょうか。『華厳経』の宇宙観をどうにか説明しようとすると、どうも“ふわっとした”話になってしまってしまったり、うさんくさい感じになってしまって非常にもどかしいのですが。
ともあれここで確認しておきたいのは、『華厳経』が説く毘盧遮那仏の法身は円環の理のような「もの」で、宇宙の法則そのものだということです。この法則はこの世のすべてを貫いており、毘盧遮那仏の智慧はこの世のすべてに浸透している。一神教の神のように世界創造を行ったりはもちろんしないものの、これまで見てきた経典と比べても、仏の神格化がさらに進んでいるとは言えそうです。
三界唯心
さて、『華厳経』をもう少しだけ別な角度から見てみましょう。『華厳経』には「十地品」という章があります(元々は『十地経』という独立した経典だったのですが、『華厳経』のなかに組み込まれて「十地品」になりました)。「十地品」には、「三界唯心」と呼ばれる非常に有名な教えが出てきます。
まず「三界」というのは何かというと、これも先ほど述べた仏教の世界観と関わりがあることばです。仏教の宇宙観では、この世で一番高い場所はスメール山の頂上で、スメール山には天が住んでいます。そのスメール山の上空にも多くの天がふわふわと浮かんで生きていたりします。先ほど、贍部洲の地下にある地獄は下に行けば行くほど苦しい場所だとされていると言いましたが、逆にスメール山の上空は上に行けば行くほど高級な場所だということになっています。天の居住区にもランク分けがあって、上空に行くほどいい場所だというわけです。
三界というのは、「欲界」「色界」「無色界」という三つの領域のことで、世界全体を、下は地獄から上は天の住む場所まで三つに分けたものです。まず欲界というのは、「目に見える身体と欲望にまみれた心を持った生き物が暮らしている世界」のことです。具体的に言うと、地獄や贍部洲やスメール山はすべて欲界です。ここには、人間や犬や猫といった、身体と欲望を持った生き物たちが住んでいます。そしてスメール山の上空も、ある程度までは欲界に属しているのですが、そこからさらに上空に行くと色界になります。色界に住む天たちは、身体はあるものの欲望をもたず、ストレスフリーに暮らしているのだそうです。色界は「身体はあるけど欲望はもたない生き物が暮らしている世界」だということになります。この欲界や色界のさらに上位の世界が無色界です。ここに住む天たちは、もはや物質を超越していて目に見える身体を持っておらず、心だけの存在となっているのだそうです。物質を超越しており身体もありませんから、居場所を特定することはできません。とりあえずこの世のどこかにいるということになるのでしょう。そういうわけで三界というのは、人間や天などの衆生がさまよう迷いの世界全体を指すことばです。
三界について理解したところで、「三界唯心」を説いているとされる『華厳経』「十地品」の有名な一節を見てみましょう。
まず、「十二種のまよいの存在の構成要素(十二有支)」というのは、この雑文の第4回で紹介した十二支縁起の、
①無明 ②行 ③識 ④名色 ⑤六処 ⑥触 ⑦受 ⑧愛 ⑨取 ⑩有 ⑪生 ⑫老死
という十二の要素のことです。第4回で述べたように、十二支縁起は仏教で古くから説かれていた教えで、無明によって行が生じ、行によって識が生じるという具合にどんどん連鎖していき、最終的に生によって老死が生じるというものです。逆に言えば、無明を消すことができれば行が滅び、行が滅びれば識が滅ぶといった具合に、ドミノ倒し式に各要素が消えていく。そういう教えでした。そういうわけで『華厳経』「十地品」のこの一節は、三界に属する存在はすべて「心」のみであり、十二支縁起の十二の要素もすべて、一つの「心」のうちにあると言っていることになります。
それでは、ここで言う「心」(サンスクリット語ではcittaです)というのは一体何を意味しているのでしょうか。この問題についてはいろんな人がいろんなことを言っているし、素人の私は安直なことは言えません。ともあれ、「十地品」のこの箇所のすぐあとにはこう書いてあります。
十二の要素が連鎖的に生じるという現象も、十二の要素が連鎖的に滅ぶという現象も、すべて「ただ一つの心の内」のことであるというのです。この一節を書いたり編集したりした人がどういうつもりだったのかはわかりません。ただ、その後の仏教史においてこの一節は、「現象世界を成立させる根拠となり基盤となっているのが心である」「心はすべての現象を成立させる根本である」という方向で解釈される傾向が出てきます。
ちなみに、『華厳経』の「夜摩天宮菩薩偈品」という章には次のようにもあります。
『華厳経』は、仏の智慧がアルティメットまどかの円環の理みたいに宇宙全体に遍在しており、それが一人ひとりの衆生のなかに入り込んでいると説いているわけですから、このような考え方も生み出しうるわけです。仏というと、いかにも「自分」から完全に隔絶した遠い世界にいるように思うかもしれないが、そうではない。本来的には仏と衆生には区別はない。仏が迷うと衆生になり、衆生が覚ると仏になるだけだ。一つの「もの」が迷いに向かうと衆生になり、逆に「覚り」に向かうと仏になる。では、その衆生にもなるし仏にもなる「もの」は何なのかというと、それは人の心である。心が迷えば衆生になり、心が「覚り」に向かえば仏になる。よって究極的・本来的には心と仏と衆生の三つに区別はない。
この一節も、書いたり編集したりした人がどういうつもりだったのかはわかりませんが、少なくとも、これを読んだ人にそのように解釈されうる一節だとは言えるでしょう(なお、先ほど申し上げたように『華厳経』はもともと一つの経典ではなく、いろんな人の手で書かれ編集された複数のお経を集めて作られたものですし、この「夜摩天宮菩薩偈品」はサンスクリット原典も見つかっていません。ですので、「十地品」の三界唯心の「心」と、この「夜摩天宮菩薩偈品」の「心」を同じ文脈のものとして扱っていいのかというとやや問題はあるかもしれません)。
いずれにせよ、ここで申し上げておきたいのは、『華厳経』のこれらの箇所は後世において、「『心』はすべての現象を成立させる根本である」という方向で解釈される傾向が出てくるということです。この点について考えるためにちょっと時計の針を戻してみましょう。第8回でも申しあげたようにいわゆる「初期仏教」では、戒定慧の三学が説かれていました。戒を守り身心を調整して落ち着いて修行を行うための準備を行ない、そのうえで定を通じて深い瞑想に入り、目の前で縁起によって継起している流動的なプロセスとしての現象を如実に観察し、智慧を獲得するという話です。これは心を深く観察していく営為でもあります。第2回で述べた正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定という八正道にしても、心が大きく関係してくる問題です。よって心というのは、古い時代から仏教において非常に重要な問題の一つだったとは言えます。古い経典の『ダンマパダ』には、「七仏通戒偈」と呼ばれる次の有名な詩があります。
心に気をつけよというのは古い時代から仏教にあった重要な教えです(ちなみに、ここに出てくる「心」もパーリ語の原文ではcittaです)。『ダンマパダ』には次のようにも説かれています。
古い経典においては、「心は、動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い」からそれを制御するように説かれているわけです。こういった「心に気をつけよ」「心が肝心だ」という教えに基づいて、仏教徒たちは修行を通じて「心」を見つめ、「心」を巡る思索を発展させていくことになります。その過程で「心に気をつけよ」「心が肝心だ」というところからいささか飛躍が生じ、「すべては心から始まるのだ」「根本にあるのは心だ」という思想が生まれてくることになります。しかし、「心は制御されるべき現象である」という思想と、「三界はすべて心だけである」「心と仏と衆生とに区別はない」「心はすべての根本である」といった思想を比較すると、結構距離があると言わざるをえません(それが悪いと言っているわけではありません)。
ともあれ『華厳経』では、一切は空であるという大乗仏教の前提は一応保たれてはいるのですが、「すべては空であり実体はない」とする古い時代の空の思想と違い、「空はすべてである、すべてに浸透している真理である」として、世界を肯定的にとらえる傾向が生まれています。同時に『華厳経』には、「三界唯心」や「心と仏と衆生とに区別はない」といった、後世において「心がすべての現象を成立させる根本である」と解釈されていくテーゼが出現しています。
こういった『華厳経』の発想はその後、如来蔵思想や唯識思想と呼ばれる新たな仏教思想へと受け継がれていくことになります。具体的に言うと、「如来性起品」の「仏の智慧や身体がすべてに浸透している」という発想は如来蔵思想へと受け継がれ、「十地品」の「三界唯心」の発想は唯識思想に受け継がれていくことになります。如来蔵思想と唯識思想は、いずれもインド中期大乗の時代に発展していった新たな仏教思想です。
そういうわけで、『八千頌般若』や『法華経』や『華厳経』などの初期大乗の話はこれくらいにして、次回は中期大乗経典で説かれている如来蔵思想や唯識思想を見ていくことにしましょう。
今回はこれくらいにします。
第27回はこちら
注
[注1]ただし厳密に言うと、「法身」(dharmakāya)という語は『八千頌般若』のサンスクリット写本に数回あらわれるが、『八千頌般若』の最古の漢訳である『道行般若経』『大明度経』『摩訶般若鈔経』のいずれにも見られない。ここで引用した「仏陀世尊たちは真理を身体とするもの(法身)たちである。そして、比丘たちよ、けっしてこの物理的に存在する身体を(仏陀の)身体と考えてはいけない。比丘たちよ、私のことを、法身によって完成されているのだと見なさい」という一節も、これら三種の漢訳には見られない。すなわち、「法身」という語やこの一節は、やや後代になって『八千頌般若』に挿入されたものと考えられる。よって、色身と法身の観念を前提とした二身説が、『八千頌般若』の成立当初から存在していたとは言えない。しかしながら、般若波羅蜜がすべての如来を生み出すという思想は『道行般若経』にも見られる。それに加えて、仏の遺骨で満たされたジャムブドゥヴィーパよりも、般若波羅蜜(の写本一部)を選びとるというストーリーも、古い漢訳三種にも登場する。ゆえに、古い形態の『八千頌般若』においても、色身・法身という概念は用いられてはいないものの、仏の物質的身体と目に見えない身体とを区別する思想自体は存在していたと考えられる。
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