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田舎出身の純ジャパが清華大学に入学した話①
こんにちは!你好!Bonjour!
清華の期末課題の締め切りに追われつつ記事を書いています、プラギャです。
本日は私の半生について少しお話しさせていただきたいと思います。
田舎町で過ごしていた私がある日突然中国に渡ってから、清華大学に入学するまで。
少々波乱万丈な学生時代を送って参りました。
一度ではとても話しきれないので、いくつかの記事に分けながらお話を共有できればと思います🙇♀️
当時の記録に基づいた備忘録です。
日記等を見返しつつ言葉にしてみました。
こんな学生生活もあるものか…と参考程度に読んでいただければとっても嬉しいです。
突然決まった中国移住
父親の仕事の都合で中国への移住が決まったのは、15歳の時でした。
田舎町で生まれ育ち、地元の公立小中学校にのんびり通っていたプラギャ。
やんちゃ、無鉄砲で好奇心旺盛な性格。
父親が海外での仕事が多かったことから、家には多言語の参考書がたくさんあり、その影響を受けて語学の勉強が大好きでした。
幼少期に英語より先にスペイン語で数字を覚えてみたり、中学生のころから大学英語を勉強してみたり。
卒業後は地元の公立高校に進学するか、県外の国立高校を受験するか迷っていました。
14歳の時に20歳の自分にあてて書いた手紙には、地元の国立大学に合格して卒業後は地方公務員になる、と書かれており現実的な将来を想像していたものです。
大きな病気もなく、成績も悪くなく、仲のいい友達もいる。穏やかで平凡な毎日。
こんな日々がずっと続くのかな、と当時は思っていました。
そんな中学3年生の初夏。
学校から帰り、突然両親に言われた一言。
「中国に転勤になった」
これが私のその後10年の未来を、大きく変えるきっかけになるとは、この時の私はまだ気づいていませんでした。
ゼロから言語を勉強すること
移住が決まった先は、中国の上海市。
上海は外国人が多く滞在する都市のひとつで、日本人学校があり、インターナショナルスクールも多くあります。街中では英語も問題なく通じるため、中国語に触れたことがなかった私が短期間の準備で移住するにはとてもありがたい環境でした。
が、しかし。語学好きで無鉄砲な私は敢えていばらの道を選びます。
中国の学生とほとんど同じカリキュラムを学ぶ現地校に入学することを決めたのです。
移住まで中国語を勉強する時間はあまりなく、新学期開始前の3カ月弱、現地で学校の語学教室に通いました。語学教室についた1日目は"我"の文字を書くところから。当時は漢字がそもそも得意じゃなかった…(笑)
余談ですが中国語の勉強法についてはいつかまた別の記事を書ければと思います。
そんな中で高校生活がスタート。
中国語がまだ完全じゃない状態で現地の普通科目(数学、物理、化学、歴史等)を勉強するので、最初は頭が爆発寸前でした。
おまけに日本の高校範囲が現地では中学で既習の内容だったり、大学範囲を扱っている部分があったりするから毎日がはてなモードの連続。
それでも必死に食らいつこうともがきました。
中国語ができないのは自分だけ。まずはついていくために毎日が勉強漬けの日々。
でも振り返ると大変だけれど楽しかったんです。
少しずつ言葉がわかっていくことが、周りと意思疎通できるようになっていくことが。
そして新しい言語で新たな知識を学んでいくことが。
語学教室に通いつつHSKの受験を始め、1年生のうちに当時最上級であった6級に合格できました。
学校の成績も入学当初は下から数えた方が早かったのが、徐々に上位の成績を保てるようになりました。
地元とは全く異なる刺激的な国際都市で、帰る家があって、学校の先生と友人にも恵まれ、大好きな勉強のことだけを考えさせてもらえる。
そんなありがたい環境の中、1年間で主要な言葉の壁を乗り越え、順調な生活を送っていたんです。
コロナ禍が始まるまでは。
コロナ禍の始まり
2019年末。
新型コロナウイルスの感染が拡大していきます。
学校の授業は全てオンラインに変更。
そして学校に行けないどころか、数カ月間、家の敷地の外に出られない生活を送ることになりました。
外に出られない、そのストレスともどかしさは耐えがたいものでした。
正直、今では当時の記憶がぼんやりとしているのですが、日記を見返すと、やりきれない思いが綴られていました。
この文章を読まれた誰かが、コロナ禍のことを思い出して嫌な思いをしてほしくないため、詳細な描写は避けたいと思いますが、見えない先への不安から、パニックを起こしたこともありました。
そして、薄々覚悟していた撤退が正式に決まり、
家族は現地から引き上げることになりました。
移住して1年が経ち、やっと生活に慣れてきたころのことでした。
どうしてこんな思いをしないといけないのだろう。
眠って朝目が覚めても、現実と向き合うつらさに、体がずっと重く感じているようでした。
しかし悩んでいる時間はありませんでした。
私は、高校を卒業しないといけない。
あともう少したてば、きっと状況はよくなる。
そう信じ、私は一人コロナ禍の中国に残ることを決意しました。
撤退により支援が受けられなくなった私は、
当時の住居から退去させられ、
出入国管理局に向かい居留許可の手続きをし、
家族と別れ、現地のとある夫婦に引き取られることになります…
と長くなってしまいましたが、①巻はここまでにしようと思います。
次回は新しい生活、当時進路について考えていたことと、中国の大学受験を決めるにあたるまでのお話を共有させていただきます。
後半は少々重い話でしたが…
コロナの時代は、世界中の誰もが困難に陥った時期だと思います。
言葉に書き出していくことが、当時のもやもやを整理することにも繋がればいいな、と感じているプラギャです。
ご興味を持っていただけた方はぜひぜひ②巻以降もお読みいただけたら嬉しいです。
それでは本日はこの辺で失礼します🙇♀️