蝶々夫人と演劇の灯
朗読歌劇「マダム・バタフライ」。
声優さんによる朗読劇とオペラのコラボレーションという、新たな試み。
予断を許さない状況の中、万全の対策を講じ開催された。
1月9日、神奈川県は杉田劇場。
まず手指消毒、検温の後に通知アプリのインストールや連絡先の提出。
入場時もチケットはセルフもぎり、かなり徹底した対策がなされている。
入場すると、もともと小さな劇場なのに加え、そして観客数も相当絞ったようで、実質最前列ほぼセンター。
こんな至近距離で推しの演技を浴びて、
私もう生きて帰れないんじゃないか。
そんな阿呆なことを言いつつ、いざ観劇。
物語への導入は、ピンカートンと蝶々夫人との間に生まれた子の独白から。
成人後に自らの出自を知り逡巡する彼のもとに、両親を知るスズキが送った手紙を辿る形で物語は展開する。
我が推し・浪川大輔氏は、冒頭で息子の役を演じつつ、その数分後にはピンカートンとして副主演に早変わり。
お衣装は海軍士官の上着を1枚羽織っただけなのに、声も話し方も立ち居振る舞いもがらっと変わって、まるで別人になっていた。
これが役者さんの技か、と唸った。
そして、海軍の制服がたいへんにお似合いでハートを撃ち抜かれた。
なんて美男子なんだ、おのれ浪川大輔。
このピンカートンなら、後半の展開がどれほどひどくても許してしまう気がする。うろ覚えのあらすじだと、たしか彼はこの後、本国で妻を娶るわ、上司と一緒になって子供を寄越せとか言い始めるわ、ほんとろくでもないんじゃなかったかな。でも好き。
早見沙織さんの蝶々夫人も、楚々としてイメージぴったりだった。
このお二方が恋に落ち結婚する前半は、もう幸せいっぱいで微笑ましい。
蝶々さんが花嫁としてくる直前、そわそわと上着の埃を払う仕草をなさっていた場面、私は見逃していない。
この初々しいところから、愛の二重唱「可愛がってくださいね」。
プロの厚みある歌声に圧倒されつつ、一気に大人の世界へ。
急転直下の後半、役者さんの演技の妙もあり、ストーリーを知っていても心が痛い。
蝶々夫人役の早見さんは、前半のふわっふわ幸せいっぱいなオーラだったのに、後半は急に鋭利な空気を纏う。
そして実は語り手たるスズキ役の小山さんが、場の空気を醸成なさって射たかと思う。
いわば観客の代弁者として、劇中に存在していたような気がする。
そして全人類がたぶん知ってるあの曲がついにきた!
アリア「ある晴れた日に」。
フィギュアスケートでは定番曲、数々の名作が生まれている。
たとえば浅田真央さんのマダム・バタフライ。
ちなみに浅田真央さんは現在サンクスツアーで、アイスショー用に再構成したプロを滑ってらっしゃるのでそれもまた必見。
閑話休題、その慣れ親しんだ曲を、ついに、生でオペラ歌手が歌い上げる場に居合わせることとなった。
美の暴力の前に、自分が無になった。
紛うことなく美しい声、情感たっぷりな歌い方。
もっと味わいたいはずなのに、圧倒されすぎて「自分」という存在が霞んだような気がした。
日頃「推しにとって空気みたいな存在になりたい」(※)とよく言っているが、推し相手ではないとはいえ、ここまで空気になれる日がくるとは。
フィギュアスケートで、技術の究極としての表現に圧倒され、自分の存在を知覚できなくなることは何度かあった。
他のジャンルでも、極めた人はこの領域まで辿り着くのだと実感した。
※「何言ってるかよくわからん」と言われることが多いので補足。
推しを応援し力になりたいが、個として認識されるのは畏れ多すぎる。
向こうに認知されず、でも役立つ存在として私のオタ活の理想は「空気」なのだ。
後半の話の展開が、(私が知っているあらすじとは)大きく異なっていた。ピンカートンがアメリカで妻を娶った理由に、情状酌量の余地がある。
そして「アメリカで育てるから子供を渡せ」と言われることもない。
脚本の妙により、悲劇性がより強くなっていた。
早見さんの純真そのもの蝶々夫人と、浪川さんのまっすぐピンカートンの組合せ、そしてあの脚本だからこそ、彼が家から逃げ出すシーンがあれほど心打つ場面になったのだろう。
(少なくとも、己の感情に非常に忠実という点で、ピンカートンの人物造型はそう大きく変わらない気もしている。)
「おのれピンカートン! ろくでもない男め! でも好き!」
……という展開も浪川さんであれば十分演じきれそうだが、そこはそれ。
「シャープレスさんよ、そこでそれ言う!?」ともならないし、登場人物にもやもやせず、物語に没入するうえでよい改変だったと思う。
このように深読みしたものの、今回は限られた演者さんで構成された舞台のため、「子供を渡せ」の場面を入れるのが不可能だったのかもしれない。
何にせよ、話の運びがより明確になり、物語として締まったのでよきかな。
そしてラストの場面で、スズキの手紙の締めとして語られた記述。
混沌とした世界情勢で、心に灯をともして進むこと。
これは、まさに今この瞬間に、必要なことだ。
文化は我々のアイデンティティに大きく関わる要素だが、緊急時には真っ先に切り捨てられる。
そのとき、我々に何ができるか、何をなすべきか。
文化を愛し、それに救われてきた一人の人間として、そんなことを考えながら帰路につくのだった。
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