組体操での一考察
小学校の運動会。出演側から二十年以上の時を経て、見学側として初めての参加。
引っ越して間もない地域新参者。そして娘は出番の少ない一年生。
トラックの周りに準備された町別指定テント内にシートを広げるほどの図々しさはまだ発揮できず、少しだけ早く行って運動場の隅にテントを張る。運動会の様子は見えないが、リクライニングチェアも置けるし、考えようによっては快適な環境。
娘のチンタラ感全開の準備運動や、余所見しまくりで走る徒競走に苦笑しつつ(小1でこの気怠い感はやばいな・・・)、お昼ご飯もピクニック気分で頂き、リクライニングでウトウトしてた頃、耳に飛び込んできた放送。
「これから六年生による組体操です」
組体操を否定的に書くネットニュースを目にすることは多い。そんなご時世なのに。
なのに・・・やるんだ。
どうしてするの?
興味に駆り出され演武の見える位置まで移動すると、同じようにマイテント持参で参加中の低学年の保護者もトラック周辺に集まっていた。
大音量で鳴る音楽。舞う砂ぼこり。
笛の音に合わせてピッと揃う扇や倒立。
食い入るように見つめる保護者。
土埃りで汚れていく体操服。
児童の必死の表情。
常に全体を見まわし、補助に走りまわる数名の先生。
予め苦手な児童を予測しているのか、技が変わるごとに小走りで先回りする先生。
別にやらなくてもいいのに。危険を冒してまでやらなくてもいいのに。胸がざわつく。
もしケガでもしたら、こぞってメディアが殺到するだろう。そして兎にも角にも否定的な記事を書かれ、校長や担当の先生はひたすら非難され、なんなら拍手をしている保護者すら手のひらを返してクレームをあげるかもしれないのに。
組体操の目的が体を鍛えることだったり、チームワークを学ぶことだったら他に代替えできる方法はいくらでもあるはずだ。
トラック一杯に広がる児童の大きなウェーブ。左右の膝に真ん中の子がのって腕を横に広げたり。中腰の背中に膝を置いて立ったり。
はきはきと動く姿、力を合わせる姿、必死な表情。ピンと伸びた姿勢。あーすごいなって、技のひとつひとつに、思わず拍手する。緊迫した空気と大きな拍手が繰り返される会場。
高いピラミッドはなくて、なんなら途中にダンスとか入れて、補助の先生もついて、安全への配慮を感じられるものだった。しかし、ケガをすればどんなに配慮しようとも”組体操による事故”としてメディアやSNSで扱われるだろう。
それなのに・・・。なのに、どうしてするんだろう。
ある工場を見学したときに、工場長は「工場を止めれば絶対安全だけど。それはできないからね」と苦笑してたことを思い出す。
安全を求めるなら何もしない。そんな風潮も増えているように思う。
それがいいのか、悪いのか。ただ色々と難しくなってきている時代だなと思う。おおらかさが希薄になっている時代。雁字搦めな不自由の中で多様な価値観をどうぞ自由にとか尊重しようとか言われる時代。
それがいいのか、悪いのか。いいこともあれば悪いこともある。いいと感じる人もいれば悪く感じる人もいる。同じ人でもいいと感じる時もあれば悪いと感じる時もある。
それがいいのか、悪いのか。僕にはよくわからない。先生の指導者的自己満(という言葉があるのかどうかは知らないが)でなければいいように思うけど、その線引きは難しいだろう。
とりあえず組体操は無事に終わってほっとした。大きな拍手と観客から漏れ聞こえる「すごかったね」の言葉が児童に届いていればいいなとは思う。