歳をとるということ
「人を想う」のはJTだけではない。そんなことにふと気づいた。
知り合いにお薦めの本を貸すという話。
お薦めを聞かれるという経験は多くの人にあると思う。僕もこれまで何度か、映画や音楽、飲食店、服、車・・・とお薦めを聞かれては答えてきたのだけど、今回はこれまでと違った気がする。
本を読まない職場の後輩。その子に小説を貸すことになった。
先輩にすすめられて、嫌だけど、読まなきゃ。みたいになるのは嫌。だけど、これを機に本が好きになってくれたらいいなと、本棚の前で、頭を捻る。どんな本を渡せばいいんだろう。
これまでなら、相手のことを考えているようで、実は自分がどう思われるか考えていたような気がする。明確に意識はしていないけど、お洒落感だったり、こなれた感だったり、頭いい風だったり。そんな風に見られたらいいなが見え隠れしていたような気がする。
だけど、歳を経て、若者から中年に差し掛かっているからか、本を好きになってくれたらいいな、どんな本だったら読みやすいかなと、相手のことを純粋に考えた。JTに負けず劣らず、その人を想いながら、僕は、ある小説を手にした。
それは映像化されていて、軽めな文章で、万人受けしそうで、ほんのりと心温まる話。たいそうに書いているが、選ぶのに割いた時間は割と短めなのは内緒のお話し(時間は長さではなく、密度です)。
さて、どうなることか。
そんなに厚い小説ではないのだが、渡してから1週間経っても、2週間経っても、3週間経っても、音沙汰はない。
だけど歳を重ねた僕は、一度だってフォローはしなかった。焦らせたくなかったし、気長に待つことも覚えていた。もしかしたら不思議と続いているマインドフルネスの効果かもしれない。
そして一カ月と半分が経ったある日。若干、本を貸したことすら、忘れかけていた頃、その後輩から、「面白かったです。最後は泣きました」と報告があった。
そうか。そうか。良かった。良かった。と僕は胸を撫でおろした。本を読む習慣のない人が数百頁の活字に触れて、最後まで読み切ったのだ。更に嬉しかったのは、「また他の本も貸して欲しい」と。
次の本は何にしようかと、再び本棚に向かう。
いくつかの背表紙を眺めながら、内容を思い返す。そして、少し重ためだけど、切なさの中に優しさがある。そんな本を選んだ。少し上級者向けだろうかと、そんな心配をしつつも。
そして、半年が過ぎる今、まだその本は返ってこない。
書きながら想う。若干、お洒落感とこなれた感が出たチョイスだったなと。
まだまだ僕は若いし、道半ばらしい。