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『ペンギン・ハイウェイ』森見登美彦【読後脳内】
この作品に日本SF大賞を与えた人の髪の毛をわしゃわしゃしてやりたい。えらいぞ!!
僕は特別ドラえもんが好きなわけではありませんが、藤子・F・不二雄がSF(science fiction)に対してSF(すこし ふしぎ)とあてた話がとても好きです。
そして僕の大好きな森見登美彦は「すこし」の加減も、「ふしぎ」の加減も、非常に秀逸な作品を書く人だと思います。
読後としていますが、この作品は小説が良すぎて映画も観てしまいました。というより、この文章は映画を観たあとに書いています。
大学のゼミで辻村深月の『ハケンアニメ』を題材に、映画版と原作を比較して研究を行いました。大学の学びが即座に私生活に影響を与えることが、メディアやコンテンツを学ぶ面白さですね。
映像化は成功と言って差し支えないのではないでしょうか。ストーリーの改変もすこしありましたし、出来事と出来事の行間が描かれなかったのは残念ではありますが、映像化によって得られたものの方が多分にあったように思います。
いわゆる地の文のウィットに富んだ筆致が森見登美彦の魅力のひとつです。それが映画で表現しにくかったことは当然です。残念ですけども。代わりに非常に対象年齢の広い、良いエンタメであったと思います。
こんなことは本筋ではないのです。失敬。
この作品の主題としては「おとな」と「こども」です。象徴的に苦いチョコレートやコーヒーが登場しますね。
僕が幼少期のころは、自分が学校でいちばんの天才だと思っていましたし、苦いチョコレートも、コーヒーも食べられました。
僕は21歳で、法律上は一応大人にあたります。
チョコは食べませんが、コーヒーはブラック派です。
そして、僕は学校でいちばんの天才でないことを知っていますし、苦いものがきらいな大人がいることも知っています。
おとなになるということは知ってしまうことのような気がします。
お姉さんが人間ではないと知ってしまうこと。
お姉さんがいなくなると知ってしまうこと。
大好きな人との別れを知ってしまうこと。
母にいつか訪れる死を想い、泣いた妹との対比が綺麗です。
僕が特に印象的だったのは、断食実験です。
断食実験の合理的必要性に関しては、かなり疑問があります。にもかかわらず、合理的でみあげたところのある少年はそれを行います。
その動機として僕には2つの仮説があります。
①
お姉さんが人間の理から外れた存在であることを薄々認識しながらも、それを否定するため。
②
人は3日何も食べなくても普通に生きていける可能性があったため。(主人公には3日何も食べなかった経験はなかったために可能性を否定できない)
①の方が、小説の心情描写としての必要性も感じられ、ステキです。十中八九①でしょう。
ですが、僕の脳内に②の仮説が浮かんだとき、おもろい!!と思いました。
僕たち大人は様々な「常識」を内面化して生きています。
純粋な疑問に対する解答だけを認識し、それを「常識」というフォルダにしまっています。途中式もなしに。
3日も人が食事を取らなければ、およそ正常な状態ではないことは知っています。実証はしていません。
僕の学校でいちばんの天才は僕ではないと知っています。実証はしていません。
こどもが大人になること。
様々なことを知ること、または、知ってしまうこと。
それと同時に、純粋な知的好奇心を少しずつ失うことなのかも知れません。
また、幼少期のように、公園の草花をすり潰したらどんな液体ができるか研究したいな。
幼少期の僕にとっての、すこしふしぎなことへの研究を。