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食日記 - 1月2-4日「好きが高じて気を使いすぎる」

すっかり通常運転です。日常が好きです。小学生の頃とかも、4月初めのいつもと違う感じが苦手で早く6時間授業とかにならないかなーって思ってたのを思い出しました。特別って苦手。

2日 昼

写真は無いが朝はミスドを食べたんだけど、夜ごはん何食べたか本当に思い出せない。何をしていたかも思い出せない。ここにきて食日記に意味があることを実感している。食べたものの記録って大切なのかもしれない。私はもう2025年1月2日の夜の自分に会うことができない。
ところでこのどん兵衛のかき揚げうどんが大好き。インフルエンザに罹っていた時に同僚が「体調悪い時はカロリー高いものを食べた方が治りやすいみたいですよ」と教えてくれたので食欲なくてもこれだけは無心で食べてた。カップ麺の添加物は中毒性があるよねぇ。作られた出汁の匂いなのにこれこそが日本の出汁だ!!って思って食べたくなっちゃう。ジャンキーな味の濃さも好き。好きだから特盛を買って食べて胸焼けするってところまでがセット。

3日 昼

この日から仕事だったのでお弁当持って行きました。いつも通りの、普通の。これを準備して「あぁ日常に戻ったなぁー」と嬉しく思った。
インフルエンザで仕事を休んでいたから余計に日常を欲していたところある。

3日 夜

仕事中に中華が食べたいムーブに襲われてローソンで冷凍の豚肉焼売(だったかな?)を買って帰った。これお気に入り。チンするだけでなかなかクオリティの高い焼売が食べられるのでおすすめ。ちなみに味噌汁はお味噌と顆粒だしとわかめをお椀に入れてウォーターサーバーのお湯入れただけ。お麩とかネギとかも入れたらもうこれで立派な汁物ですよね。味噌汁大好き。疲れた時こそ味噌汁を飲むべきだと気づいた33歳の冬。味噌は私を救う。

4日 昼

この日(ってゆうかこれ書いている今日の話)は12時半に美容院を予約していたのだけど、ランチはパスタを食べると前日から決めていた。パスタを食べる時間を逆算してアラームをセットして起きて、久しぶりに五右衛門に行った。いつも五右衛門ではベーコンのカルボナーラか、たらこと湯葉のカルボナーラにするんだけど今日はわざわざ時間を逆算して出かけてきたわけだし(?)カニとホタテのクリームパスタにしてみた。上品なソースだったし海鮮は贅沢な気持ちになるのでまぁまぁ満足したけれど、ガツンとしたパスタが食べたかったのでカルボナーラにするべきだったかも。上品な気分になりたい方にはおすすめ。あと五右衛門でも箸でパスタ食べられないのでフォークとスプーンをいつもお借りする派です。すみません。

パスタ欲を満たした状態で向かった美容院、アシスタントの子が「前回教えてもらった本、やっとこの間買って、まだ読めてないんですけど読むの楽しみです!」って言ってくれた。

この時の。まだ読んでないとしても実際に買ってくれるとは思っていなかったからすごく嬉しかった。てゆうかその時の会話を覚えてくれていて胸キュン。相変わらず「この選書で合っていただろうか」という気持ちは拭えないけれど。笑顔の可愛い子です。どうか良い読書のきっかけになりますように。

そしていつもお世話になっている美容師さんとは大人の恋愛について話していたのだけど、「今はもうマッチングアプリでしか出会えない、それに適応していかなきゃ」って話になり、「それなら私はもう無理なのかもしれない」って思ってしまった。彼氏彼女を欲しいと思う気持ち自体がどうのとかではないんだけど、どうしてもあの「さぁさぁ!恋愛を始めましょうか!!みんな恋愛がしたいんでしょう?!ねぇ、したいよねぇ、恋愛!結婚!!」ってゆう空間が苦手すぎる。見方によればロマンチストでプライドが高いということになってしまうのかもしれない。というか、なります。本当に傲慢ですね。(読んだ本の影響)
20代半ばのころは飲み会の誘いがひっきりなし(ちょっと盛ってます)だったけど今思えば当時の私でさえ恋愛目的ではなかったなぁと思う。というのも、単純に酒という飲みものが好きだった。本当に字の如く、酒に溺れていた(やばすぎ)。あと恋愛どうのというよりは知らない人と喋らなきゃいけない場所っていうのがエンタメ的に面白かった。二次会のカラオケは百発百中で生産性が無かった。それも経験。あの頃から私は人と行くカラオケが苦手なのである。
思えば今まで親密な関係になった人たちとは恋愛をするつもりはなかったけれど気づいたらそうなっていた、みたいな感じだったし、条件云々とかではなくて気づいたら恋してた、そう、恋に 落ちていた というのがさぁ(うざ)いいじゃん?(うざ)ついでに思い出すと中学生の頃、周りが色めきたつ頃でさえ「恋愛ってそんなに必要?もっと楽しいことあるでしょ」って交換ノートに書いていた気がする。強すぎるだろ。何様だよ。

てゆうか気づいたけど、私はそもそも特別感が苦手なので誰かと特別な関係になることも苦手な気がしてきた。誰かの特別、私の特別。特別という呪縛。

3日 夜
心のこり(串の名前です)

夜は行きつけの焼き鳥屋へ。オフィス街にあるし混んでないだろうと思ったら混んでいて申し訳なくなりできるだけ迷惑にならないように気をつけてダッシュで焼き鳥を頬張った。

万ネギ豚巻き

ごぼう茶をがぶ飲みしてから嗅覚障害が良くなったのもあって元々美味しいご飯がもっとおいしくて至福。

つくね

ここは何を食べても美味しいのだけど、行きすぎて頼むものは大体決まっている。だから悩む時間さえなく、大変スピーディな滞在となった。これは軟骨入りのつくね。ここのつくねは練り物みたいなぺっとりした食感じゃないところが好き。歯応えが良い。プリッとしている。

レタス豚巻き(左)と辛子蓮根豚巻き(右)

全部美味しい中で最近のお気に入りはこの右の辛子蓮根豚巻きで、これが意味わからんウマさ。意味わからんウマさで賞!(何?)

しそチーズ豚巻き

しそ豚巻き、今までは確かチーズ入ってなかったと思うんだけどアップデートされてチーズも巻かれてた。こちらも意味わからんウマさ。
次の予約のお客様も入っていたし、1人だったので食べることに集中してサッと帰ってきた。お忙しそうで迷惑かけたくなかったから、気を使いすぎて「手伝いましょうか?」って声かけそうだった。今度は行くタイミングを見計らってもっとゆっくり行きたいな。


…やれやれ、今日も食日記を超えて余計なことを綴ってしまった。あーだこーだ言っていてもやっぱりキュンとしたいとか子どもを産み育てる人生ってどんなものか経験してみたいとかは少しは思うわけで、でもそれなら市場に出なければならず、市場に出るのであればそれなりに戦闘体制を整える必要があり、それはビジュアルの話ではなく何よりも腹を括るというメンタルの話なのである。そして結局のとこを私は何においても腹を括ることができない中途半端な人間なのだろうと思うしそれに目を背けているだけなのである。わかっちゃいるけどこうやって書いて満足、しちゃうんだよねー。
でも私の人生の捉え方として「今うまくいかないことは、未来の正解のための通り道」だと思っているので、うまくいかない願望については別の正解があると信じている。そして自己肯定感が低い割には「私は幸せな人生を送ることができる」という自信だけはある。不幸せになんてなるわけがない。それはもしかしたら生涯独身で得られる幸福なのかもしれないし、それが不自然だともちっとも思わない。
ま、つべこべ言ったけど。ご機嫌で生きてればずっと楽しいじゃないか。誰になんと言われようと自分の人生の責任は自分で取るしかないのだし。

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