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ものがたりは家の中に

社会人7年目、都内ひとり暮らし、コロナ禍での外出自粛。

やることがない。

正確には、やることはあるがやりたいことが出来ない。略して「やることがない」。電車に乗って桜の写真を撮りに出かけ思いっきり深呼吸をする、友人とのピクニックを写真に収め見返してはニヤニヤする、ずっと挑戦したかったカップルポートレートの練習をする…そんな企ては遥か遠く、家の中で毎日を乗り越えるのに必死な2020年の春。

段々と堪らなくなってきて、でも外で写真を楽しむ気分にも(もちろんそんな状況でも)なくて、床でゴロゴロ。起き上がってポテチをつまんで、再びゴロゴロ。あまりに手持無沙汰で、視界に入ったカメラのファインダーを覗いてみた。

ファインダーを構えて、半径3mの範囲をくまなくサーチする。もちろん床に寝っ転がったままだ。気になるものを見つけては、キリリとピントを合わせてみる。ちょっと違うな。この角度よりこっちの角度かな。相変わらずゴロゴロしてはいるが、さっきのゴロゴロとは訳が違う。これは能動的ゴロゴロだ。ゴロゴロ、キョロキョロ、ジーッ、キリリ。気が付けば夢中になって部屋中を探索していた。

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そして気が付いた。ああ、春だ。春だったんだ。

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写真を撮る予定はなかったのに、いつの間にかシャッターを切ることに夢中になっていた。光さえあれば、写真を撮ることが出来るんだ。家の中でも。

不思議なことに、はたから見れば何でもない写真でも、撮った本人としては見れば見るほど愛着が湧いてしまう。撮った時の出来事や気分がきゅっと詰まっているから。だからきっと、私が撮った写真を見て感じることは、私とあなたでは全然違うだろう。

自分の為に撮った写真だから、私の思い通りに伝わらなくてもそれでいい!撮っていた瞬間も、写真を見返す瞬間も、誰より私が楽しかった。それだけで100点。撮れてよかった。でも、もし私が表現したかったことが誰かにも伝わったのであれば、それはとても嬉しい。反対に、私が想像もしなかったような感想が聞けたならとんでもなくワクワクする。自分の手を離れた作品(作品と呼ぶ!)が、誰かの感情を動かすかもしれないなんて、それがたとえ1mmの揺れであっても、それってすごい。すごくて、有難くて、勇気をもらえる。言葉で伝えるのが苦手な私でも、自分の表現で誰かに何かを届けられる可能性があるのだから。写真っていいなあ。

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ファインダーを覗くと、童心に帰ってしまう。短い通学路を何十分も何時間もかけて遊びながら帰ったあの頃の、新しくはない遊具で何度でも遊んだあの頃の自分と重なる部分がある。傍から見れば何でもないものに夢中になって、終わったら気持ちがスッキリしている。平気でひとつの被写体を数10アングルで撮っている。ものすごい体勢でカメラを構えている。そうしているうちに、強張っていた身も心も開放されている。

カメラひとつで。

いつもの家の中に、何でもないものの中に、ごちゃごちゃとした雑然の中に、ものがたりを見つけることが出来る。たとえその瞬間、カメラが手元になくても「ああ、この光をこう撮ったら美しいだろうな」なんて考えながら過ごしてしまう。家にいても、半径3mの間にものがたりはちゃんとあった。

私はこれからも「自分の為に撮る写真」を大切にしたい。誰かの為に撮る写真も撮りがいがあって大好きだけど、同じくらい、完全な自己満足で写真を撮るのも純粋なワクワクを味わえて大好きなのだ!だから、私以外の人には何の価値もなかったとしても、私の半径3mにあるシャッターチャンスを見逃さずに過ごしていきたい。

やりたいことは出来なかった春だったけど、きっといつかスランプに陥った時、この時に撮った写真を見返して「ああそうだ、もう一度、自分の為に撮ってみよう」と思い立てることを願っている。

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