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読書 「ごん狐」 新美南吉

1932年に発表された。30年代は経済恐慌や政治不安。日本のラジオ放送が始まったのが1925年だそうだ。

この物語は「利他」や「相互扶助」の世界ではどうすればいいのかがわかる。また、「思弁的実在論」や「アクターネットワーク」なども体感できる。メディア史を踏まえたメディア論と重ねることもできる。「主導権」を欲しがるようになった日本人がどう駄目なのかも示唆している。


話の舞台は城があって殿がいた時代なので、江戸時代だろう。山の近くの村での出来事だ。日常生活にキツネが現れて、驚くのではなくイタズラするな、あっちにいけ、と思うほど日常的な存在だった。また、ごんの心理と、兵十との関係が描かれている。

様々な江戸時代の暮らしの様子も描かれている。ただし学問的な話ではなく、おじいさんから聞いた話だ。江戸時代にはこんな生活があって、昭和初期でもまだその時代の暮らしが理解できたのだろう。この間に、狐との距離が変わったのだろうか?


物語では、狐はどう理解できないのかではなく、どう理解できるかという目線がある。狐だって同じで、見ればわかるものはある。人間目線での関係ではない。ごんも人間も対等に描かれている。

この話には、「利他」や「相互扶助」の構成がある。ごんは自分の行為の意味をあとで知る。しかし利他ではなくなるとなにかよくないことが起きた。

ものを盗んでそれをあげても相手の利益にはならない。リターンを期待していると、関係が壊れてしまう。

また自然と共存の時代が終わって、人間が主導権を手に入れようとしはじめたことを示唆しているのかもしれない。まずそれ以前の生き方が描かれている。

山が飢饉で熊が飢えているといいながら、ホタテが余っているという話が入ってくる現代の分裂とどこかつながるような気がした。商業が玄関を越えて、ポケットにまで付いてくるようになる過程も遡れる気がした。自然だった。他者との交流や世界との接点は、外に出れる時に外に出て、それで得られるものだった。

新美南吉は結界の終わりを感じていたのかもしれない。


筋(注意)



雨が降れば、人間も狐も鳥も隠れる。空が晴れたら心も晴れて、すぐに住処から出てくる。家の外に生きる居場所が広がっていた。

ごんは兵十の仕事をみて、わなにかかった魚を川下に放てば逃げられるのを理解して、いたずらをした。うなぎを放とうとして失敗し見つかって、逃げた。

10日ほどして、兵十の母親の葬式が、彼の家で行われた。兵十もごんと同じくひとりぼっちになった。兵十はあの時、母親にうなぎを食べさせようと思っていたのだろうとごんは考え、後悔した。

イワシ売りが離れた隙にイワシを盗んで、兵十の家の裏口から放り投げた。いいことをしたと思ったが、兵十は盗んだと疑われて殴られた。

ごんは山ぐりや松茸などを、物置の入り口に置くようにした。

兵十はこのことを村人に話した。神様のおかげだろうと言われた。ごんはがっかりした。そのせいかごんは次の日、栗を持って家の中に入っていった。そのせいで兵十に撃たれてしまった。

しかしそれで、食べ物を持ってきていたのはごんだったと兵十は知った。

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