自分酔いが醒める本

気がつくと、イスラエルやパレスチナ、東欧や中欧、コーカサス、バルト諸国など、エリアや国別に初学者向けの本を読んでいた。

なぜか僕にとって特別な存在のアゴタ・クリストフはハンガリー出身で、小説の舞台もその辺りらしい。チェコスロバキアやユーゴスラビアだった地域は複雑で、僕にはまだ全体像がつかめない。それでも、こうした興味の始まりは、アルゼンチンにあったように思う。

アルゼンチンに興味を持ったのは、アメリカやグローバルからの離脱が進む20年代の世界情勢が気になったからだ。それに加えて、ハビエル・ミレイ大統領のインパクトも大きかった。アルゼンチンを知る中で、日本との関係や人情家的な国の性質が面白く感じられた。


その一方で、理由は自分でも明確ではないが、イタリア語を学び始めた。言語の習得には自信がないけれど、文字をゆっくり読めば少しずつ意味をつかめるようになるかもしれない。イタリアにはジョルジャ・メローニ首相のような特徴的な政治家が多いし、過去にはチチョリーナのような人物もいた。

子供じみた感想ながら「元気な人が多い国だな」と思う。さらに、グローバル化された情報の中でも、文学調のカルチャーがいまだに息づいているように見えるのも興味深い。イタリアという国は、文明が倒れても何度も立ち上がる、不思議な力を持った国だと感じる。


以前、ユダヤ人に関する本を何冊か読んだとき、土地を持つ者と持たない者の世界観の違いを考えた。それがホワイトカラーとブルーカラーの対立や、ブルシットジョブ、ピケティの「R>G」、マルサスの人口論が提起する問題とも結びついた。砂漠的な世界観が森的な世界観を押しつぶしている現状が、世界の歪みを生んでいると感じた。

人間にとっての益は虚と実に分けられ、どちらも必要だがバランスが狂いすぎている。テクノロジーを使うなどしたら結果は掛け算的に増え、果樹などは増えても足し算的にしか増やせない。ホワイトとブルーで上下に分かれるようになっている。人類が仕事で生み出せる命の富は、人類を満たすには足りない。だから日常生活で自然からの恵みが直接手に入るようでなければ、人類は地球上での生活に苦しむ。

こうした考えを深めるために、ティム・インゴルドなどの人類学が重要だと思う。


世界各地の本を読む中で気づいたのは、ニュースやネットで世界を知ろうとすると、偏見や固定観念が強化される現象だ。たとえば、ニュースだけ見ていると、ベラルーシが悪側に見えてしまう。もちろん問題のない国なんて地上にはない。しかし初学者向けの本を読むだけでも、そうした単純な結論がいかに愚かなのかがわかる。

ニュースを通して世界を捉えていたら、全面的な人類戦争への道を開くようなものに思える。報道が断言する「正義」は、むしろ人間にとって悪影響を及ぼす。未来のためには、単純化された正義ではなく、基礎をしっかりと学ぶことが必要だ。


東アジアについては、内側にいるから見えづらい。アメリカやアングロサクソン国家も、日本にいると同様だ。時間帯もそうで、過去になって離れてこないと見えてこない。

少し前にはよくAI時代やメタバース時代が語られていたけれど、そこを学んで想像することで、まだ既存のといえるネットスマホ時代がなんなのか、感じられた。現在を離れて、AI時代やメタバース時代を想像し、その視点から現在を捉え直してみたからだ。


当事者であると見えづらくなるもの。自分の可能性も、社会側から見ないと拾えるものがわからないのと同じだと思う。メディアから出てくる単純な答えの内側から出られなくなれば、誰だって、現実や開けた未来は手に入らないのではと思う。外側から見ることができないからだ。

未来を想像することで生きやすくなると言われることもあるが、今は違うと思う。多くの立場で、現在は明るい未来を想像できないからだ。

闘争/逃走/凍結の三段階でいえば、闘争モードにいる人だけに有効かもしれない。多くの場合、恐れるか現実理解を歪ませるかで生きるしかない。下手に未来を夢みない方がよかった場合も多数あるのではと思う。だから鬱を生みだすのではと疑うのは容易だ。

明るく歪んだ未来を想像することよりも、想像を慎重に行い、基礎に目を向けることが、結果として心理的な安定をもたらすのではないだろうか。僕が初学者向けの本を読み続けるのも、その一環だ。

選択に迷うなら、まずは学問系の新書をたくさん読むことをお勧めしたい。それは、基礎を固め、より広い視野で世界を見つめる助けになるはずだ。

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