読書と旅、学びの原点を考える
自然な学びは、無目標の状態から始まり、広く物事を探求しながら次第に全体像をつかんでいくプロセスだと思う。
これは読書や旅、プロの指導を受けながらの体験にも共通している。これらの活動を通じて、自分の中に「半他者」の視点を取り込み、自己理解と他者理解を統合することが可能になる。
僕にとって、勉強はとても面白いものだ。読書が中心で、旅に出て見聞を広め、自分の力で物事を理解する過程も、非常に読書と似ている。
読書では、ただ文字を暗記するのではなく、全体を空間のように捉える視点が必要なことがある。例えば、小説では形容詞や動詞が名詞を動かし、時間や空気を流す感覚がある。しかし、具体的な識別子が多すぎると、空間的なイメージが妨げられるように感じることもある。
人から教わりながら何かを作る体験も好きだ。例えば、プロの指導のもとで行う陶芸では、能動と受動が交じり合う。素材の反応とプロのアドバイスを織り交ぜながら、自分の手で作品を仕上げるプロセスを楽しむ。
こうした読書、旅、プロ体験には共通して、自分が「半他者」となる感覚がある。小説を読むことはわかりやすく、半他者や半プロの体験と言える。つまり、自分自身でありながら、他者の視点を取り込む経験。これらの活動は、比較的少ない費用で実現でき、他者の経験を追体験しつつ、自分の感性と負荷を加えることで、学びを深めることができる。
学びのプロセスは、以下のような段階を経るものだと思う。
1、無設定の状態から始める。
2、案内や指導を通じて、すべきことを発見する。
3、自分で取り組みながら調整を加えていく。
4、「半自分」で成し遂げる感覚を得る。
「ホリスティック」とは、物事を部分ではなく全体として捉える心構えだと思う。目標を設定するのではなく、まず無目標で「やる気の湧くもの」に取り組んでみる。遊び心を持ちながら挑戦することだ。こうして範囲を定めずに物事を広く収集していくと、自然と全体像が見えてくる。それが研究であり、欲求としての学問だと思う。
逆に、初めから理由を求めたり、やる前の好き嫌いで選別してしまうと、それは恣意的で実用的な何かになり、学問としての広がりを失うだろう。
自然に寄り添うアプローチでは、抽象的だったものが次第に具体化し、全体を見渡しながら理解を深めることができる。そして、自分の適性を発見するには、ホリスティックな態度が不可欠だと思う。興味を持って取り組む活動を積み重ね、全体を俯瞰してみると、自分に向いていることが自然と見えてくる。その頃には、適当にサッとやりこなせる力も備わっているはずだ。そしてそれが、自分らしい学びの形として、次の新たな挑戦を支える基盤になるのだろう。