うつ病日記 2025.2.19
またもや久しぶりの投稿。
最近は投稿間隔が空きがちだけれど、一応生きてる。一応。
前回の日記にも書いたような気がするけど、依然、生きてるだけ。
ただ日々が流れていくだけ。
そのなかで、なにも変わらず、存在するだけ。
生きてるだけ、だけど、日々体調は変わる。
薬のおかげか、目に見える・自身で感じる「メンタル面の変化」はあまりなく。感じないようにさせてるのが薬、ということなのだろう、たぶん。
ただ最近ちょっとばかり思うのが、やや「躁傾向」なのかなあ、と。
もともとわたしは、「わたし」を、インターネットという匿名空間の至るところに散らばらせている。
いわゆるペルソナとかシャドウとかってやつ?
昔の投稿を掘り起こすと↓みたいなことを書いているのだけど、この安心できる空間で多数の自己を分離させて、散らばらせて。意図的、意識的に。
でもそうでもしなければ、「ただ生きてるだけ」すら達成できないじぶんという存在を、改めて見つけ出すことになる。
匿名で存在していられるインターネット上は安心感がある
散らばらせた人格を統合しようと思ったら、少なくとも乗り越えるべき壁があるのも、感覚として理解できている。
わたしはこれまで、それを「後で、後で」と、見ないようにしてきた。
じぶんが辛いから。
そういやこれも、どっかで投稿したな、と改めて過去の投稿を掘り起こす。
とはいえ、自分を全肯定できるか、というとやっぱりまだまだ違う。
苦しみに蓋をしつつ、薬にも頼りつつ、で、人生の「根本解決」をしているわけではないのだろうし。
例えば、最近読んだ本で、途中でギブアップしたものがあった。そこに書かれていたのは、「自分を大切にしよう」という言葉。
わたしにとって、今いちばん苦手なワードかもしれない。元々「自分なんて大切に扱われるような人間ではない」と脳に深く深く刻み込まれている。
・・・と考え出すと、また脳が過活動して疲労しちゃいそう。えいっ。出てきかけたいろんな不快な記憶に蓋をする。本も閉じる。
そんな感じで、嫌なことはなんとか逃げながら、できることに着目しながら、生き直している。
今後、人生の「根本解決」に着手するかどうか。
それは今は考えない。考えるとしたとしても、今の病気が一旦落ち着いてから、でいい。根本解決しなくてもある程度快適に過ごせるなら、それでもいい。ま、後で、後で。
この「散らばらせた人格たち」を統合しようとする考えが、最近、脳に時々、ばあっと現れる。
これは上の投稿の「人生の根本解決」に他ならない。
冒頭の話に戻ると、最近躁傾向かも?とじぶんで気付けたのは、これがきっかけ。
人生でこんだけ後に回しといて、そんな簡単にできるわけないじゃん、ねえ。
冷静になればそうやって思い直せる。
だいたい、「蓋をした記憶」に真っ正面から向かい合う覚悟ができているのかも、相当あやしい。トラウマのフラッシュバック確実。
でもわたしの脳は、そんな「考え」を、勝手に思考している。
うーん、脳って実はドMなのかね?
いや、躁なんだろうな。脳が勇み足してんだろうな。
って。
そういえば、この1年ちょっとのうつ病闘病期間の中で、うつ病やその他精神疾患に関する本をそれなりに読んだのだけれど。
もしかしてわたしこれ?と疑っているものがある。
「複雑性PTSD」というやつ。
それがわたしの根本にあって、今回たまたま「うつ病」として表面化したのだとしたら、各種参考文献に書かれている病状とも合致するし、わたしの体感としても確かに納得がいく。
とはいえ、別に医師の診断を受けたわけではなく、これはわたしという素人の感覚判断にすぎない。
そしてたぶん今は、正式な診断すら、必要ない。
上に書いた「人生の根本解決」に着手するならば、きっと診断やそれに応じた治療は必須だとはおもう。
だけれども、どの参考文献を見ても、この複雑性PTSDというやつはまだ未知の多い発展途上の分野のようで。
どうやら専門とする人の人数もまだそんなには多くなさそう。
ましてや、わたしがいるようなド田舎で専門の方に出会えるとは思えない。
過去の投稿を掘り起こすのがだんだん面倒になってきたのでちょっと省略するけれども。
以前、わたしの主治医がこんなことを言っていて、どっかの日記に投稿した記憶。
「カウンセリングは精神疾患の患者さん全員に必要なものではない。むしろ、安易にカウンセリングを受けると、本来思い出さなくても良いはずの過去の記憶を引っ張り出して、却って症状が悪化することもある」
たぶん、そういうことなんだろうなあ、と心底納得できる。
実際、わたしが読んだ、誰だったかの精神科医の著書でも「自身のクリニックで当初はカウンセリングを実施していたが、7割の患者はそれで効果を得られるものの、残り3割は悪化してしまう。だからカウンセリングを辞めた」という主旨の文言を読んだ。(どの本だったか忘れた、あとで思い出したら出典追記する)
※世の中に既に存在する「カウンセリング」というものを否定したい意図は全くございません。実際にそれで救われる人は存在しますし、実は大昔にとあるカウンセリングで救われた経験もあります。その時々の症状や、専門分野、または個人、による相性あるということが言いたいだけです。そこだけは誤解されると辛いので明確に書き記しておきますね
そんなわけで、脳はちょっと勇み足らしい。
けれども実体として存在するわたしは、以前と変わらず、ただ生きている。たぶん外見上はなにも変わってない。
仕事も正直、まだ暇。やること探しがだんだん辛くなってきた。ので、産業医に相談したら「そこまでの状況なら、業務を増やしてもいいかもしれませんね」とのことだったので、上司の様子やタイミングを見計らって、先日「業務を増やしてください」と打診することができた。
最近変わったことと言えばそれくらいか。でも実際にはまだ目の前のタスクはほとんどないままだけど。
以上、そんなわけで、生きてます。
今後の人生がどういう方向に進むのか全くわからないけれども、とはいえ死なない限り変わらず生きていくのでしょう。
次の投稿がいつになるのかわかりませんが、超個人的にはなんだかんだ良い記録になっているので、不定期でも日記投稿は続けたいと思います。
ではまたいつか。