みぎわを見つめて
長いものがほどけてみると、今まで締め付けられていた部分は確かに温かかった。
2023年は、怒涛のようだけど北斎の波のように泡立って艶やかな一年だった。面白いけど見るたびにくたくたに疲れる映画みたいな感じだった。
水の方から眺めてみても、年の瀬は瀬戸際なのか。年の瀬にみぎわがあるなら去年は陸だったのかな、とかそんなことを考えていると香川が揺れた。その後すぐに緊急地震速報が入って、新潟か石川県の方で大きな地震があったことが分かった。nhkのニュースキャスターの切迫した声が「逃げなさい」と繰り返し訴えていて、まさかと思いながらテレビに食いついた。中継されていた石川県のある町が再度の揺れで砂ぼこりにまみれてしまった。道の端によせてあった雪の白さが際立った。
今日の地震が、2023年を過去にした。それは取り戻せないほど遠いものという意味で。海に線は引けないけれど、線を強く意識することならいくらでもできた。
大学生のころ、よく面倒を見てくれていた先生を中心に自由な大人たちと交流する機会がたくさんあった。みんな自由でどこか頭がおかしかった、鹿児島のごったんという伝統楽器をバチバチに電子化している人や芸術祭を主催している人、塩で絵を描く人など…
自由な人たちに必ず共通していることがあって、それは海を見ていることだった。空よりも海、同じ地平線の先に何かしらの想いを馳せていることだった。自分も同じで、僕は特に橋を見ていた。瀬戸大橋が大きいから。
海の先に何があるのか、漕いでゆくのか沈んでゆくのか陸から眺めるのかは人それぞれ。それはそうとして、海を見ている人の笑顔はみんな軽かった。風が吹いたらまた別の場所でその場所のために笑えるような、フットワークの軽さとは何かが違う、新しい爽やかさだった。
新しいとは言っても、この反しが着いたような感じの良さはもう10年以上も前から感じている。震災の少し後から。一番はじめにこういうものを見たのは親戚のおじちゃんの結婚式だった。
高校生の時の人生ではじめてのバイトでも、副店長が口癖のように「何が起きるかわからん」と僕の進路に口出しするときに言っていた。自由になれと、色んな大人が身振り手振りで好き勝手に吹き込んだ。島でもそうだった、若い移住者も中年の移住者も人生に目覚めていた。どこかへ行きたいと。
命には過去と未来の二つの永遠があって、その境界線に現在がある。そう思うのだけれど、実は今まさに触ることができる現在以外は存在しなくて、見渡せる限りの時間の地平線を手が届くところとそうでないところかつ前か後かで強く意識すると二つの永遠が生まれるんじゃないか。もしも、時間を区切るとしたらそのロープは体で、どうみてもこれは線じゃなくて膜。体は昨日食べたものや中学生の時の交通事故で出来ていて、かつ寒さも温かさも酸素の濃度すら敏感に感じる、膜なんて分厚いものじゃなくてもっと帳みたいな軽やかなものなのかも。手が届くというよりは、根が伸びるなのかも。
インターネットを通して、人の痛みがリアルタイムで伝わってくる。身代になるほどではなくても、今晩眠れなかったりお腹が痛くなったり気の毒に思う気持ちが自分に効いてくる。
この無力感はいつぶりだろう。
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