変わり者遺伝説
私にとっては当たり前の事を話しているのに
「君は変わっているね」
と言われることがよくある。
今でこそ、そんな事を言われても
あまり気にならなくなったのだけれど、
小学生〜高校生の頃の私にとっては、
ものすごく嫌な一言で、
こんなん目の前悪口だと思っていた。
本当に言われたくなかった。
言われたくなさすぎて、
そのうち多数意見に身を潜めるようになった。
それでも些細なところで
マイノリティの自分が現れては
「変わっているね」を発動された。
その度に、どの辺りが変わっていると
判断されたのかを振り返り、
多数派の模範解答を頭の中に記憶し、
そして模範解答を自分の手札に加えた。
同じような問題が降りかかった時には
あたかも自分は常識人ですよと言わんばかりに
予め用意しておいた模範解答を振りかざした。
(今振り返れば、
このせいでいろんな自分を
作るハメになったのだけれど…)
なんで私は皆の言う普通になれないのか、
普通にはなれないことを知っていながら、
自分を出そうとするのではなくて
自分を普通に寄せていこうと努力した。
失敗する度に自分にはない
他の手札を増やして、
自分をどこかにカテゴライズする事で
安心感を得ていた。
結局のところ、小学生〜高校生は
狭い枠の中で常に選択をせばまれる
カテゴライズシステムの中にある。
まだ子供だからという大義名分のもとに、
ここの中に自由がありますと
鳥かごを差し出される。
その中にはたくさんのカテゴリーがあって、
好きなカテゴリーに移動できるのだけど、
好きなカテゴリーがない場合、
とりあえずどこかに属して
身を潜めなければいけない。
そしてそのカテゴリーの中に
相応しくないと判断された場合には、
異常者として扱われる。
私にはずっとこんな世界が見えていて
とにかく誰かと一緒でいる事で
自分は普通だと思いながら生きていたかった。
大学生になると選択の可能性は広がり、
鳥かごから突然大空に追い出される。
私には自分自身の正解が分からなかった。
カテゴリーも用意されていない。
そもそも自分から踏み出さないと
カテゴリーの選択まで辿り着けないのだ。
そんな時、私は母親に初めて
「自分は周りと何が違うのだろうか」
と聞いてみた。
(もしかしたら皆はこの儀式を
幼少期までに終えるのだろうか?)
「どうやら私は変わっているらしい、
でも私には何が人と違うのか、
全く分からない。」
その時に、一言であっさりと
「パパの子だから変わってて当たり前だね」
と言って笑われてしまった。
正直言って、私が言うのもなんだけど
父親はものすごく変わっていて、
子供の私には恥ずかしい対象だった。
(小学生の頃の父親参観日、休み時間に
同級生が廊下で円になって騒いでいたので
気になって見に行ったら
円の中心に父親がいた事がある)
自分の変わり者の根源が
もしも遺伝子にあるのだとしたら
この世に生を受けたからには、
今更文句なんて言えない。
そうか、私は一生変わり者かと落胆した。
しかし母は続けて楽しそうに
昔父がしでかした変人トークに
花を咲かせてきた。
相当楽しかったのかその日の食卓は、
いかに父親が変わった人間であるか、
更には父の母であるおばあちゃんが
どれだけ変わった人だったのかで
話は盛り上がり、
変わり者遺伝説は私の中で有力となった。
しかし、それを聞いている父が
何故か誇らしげに笑っているのを見た時、
私とは何かが違うことに気がついた。
ふと、こんな世界もあるのかと思った。
同時に、父と母は自分達で
カテゴリーを生み出しているんだと気付いた。
もし変わり者遺伝説が有説であったとして、
遺伝子単位で世界が
カテゴライズされているのなら話は簡単。
私は父と母が用意してくれた世界に
飛び込めば良いだけだった。
そこからは驚くくらいにスムーズで
「変わっているね」と言われた時には、
「え!みんなそうだと思ってた!」
とあたかも自分の世界では
これが普通ですよという
振舞いをするようになった。
"普通"なんて、結局多くの人が
正解を見つけられていないから
用意されている基準、
いわば寄り添い合える場所なだけであって、
それが世界共通の正解かなんて
誰にも分からない。
それに私の世界での"普通"が自分の概念なら
世間一般のいう"普通"こそ異常なのでは?
(強気に出ましたすみません。)
と新しい考えに辿り着いた。
今では、変わっていると言われた時、
その場では言葉を受け取るけれど、
自分の中の世界に属する人に対して、
"他の世界ではこれ異常だったようです
やっちゃいました話"に変えて
自分の世界に笑いを提供している。
父も母もそれを聞いてはよく笑ってくれる。
今思えば幼少期の頃から
「変わってるね」と言われる子供だったし、
それを両親は受け取ってくれたのだけれど、
それは成長していく過程で何があっても
私達が生きやすい世界を提供しようと思う
両親の思惑だったのではないかと思う。
両親は変わっている事を
長所として育ててくれた。
3歳児検診で、絵札を見て答える検査の際、
人間の絵が出て「人!」とか
「人間!」と答える場面で、
私は「他の人間」と答えて
先生を震えさせた話は、
未だに自分の誕生日会をしてくれた時に
語り継がれているし、
小学生の頃の道徳の時間に、
私の答えが周りと違うと
担任の先生に面談で報告された母親は、
家に帰ってきてから自慢げに語ってくれた
(私はゾッとしてそれ以来
道徳の時間での発言は控えたが…)。
恐らく相当昔から、
すでに両親の世界は生み出されていて、
いつでも私が向かうべきカテゴリーは
用意されていたのではないかと
今でこそ思う事ができる。
思えば、幼少期は
家族で毎週TSUTAYAに行って、
Mr.ビーンとアダムスファミリーを
借りて観てたから、
アダムスファミリーを観ると
家族団欒をイメージ出来るあたり、
多数派意見をまともに言えていた場合の方が、
家族にとっては異常者に
カテゴライズされていたかもしれない。
(この前アダムスファミリー2を見返して
子供が産まれるシーンで
「おばあちゃん」に性別を聞かれた
『アダムス父』が
「男の子?」『いいや』
「女の子?」『いいや』
『…アダムスだ』と答えた時に
我が家の教育方針を見つけた気がした)
また、大学生になってから
多文化理解という科目を受講したことで
私の世界は大きくひらけた。
勉強はいつだって世界を広げてくれる。
多文化理解の初回授業で教授が言った
「生物の数だけ文化がある」という言葉は、
今までの私の悩みを全て消し去ってくれた。
私の文化は確かに存在していて、
誰も否定できるものではない。
私も誰かの文化を否定することは出来ないし、
誰かからみた私は異常かもしれないけれど、
私からみたその人はまた異常である。
ただ私は変わっているという事を
今では長所だと受け取れるように
なったけれど、なかなか長所だと
すぐに受け入れられる人は少ないだろう。
だから私は
人に変わっているねとは言わないし、
それがその人の普通なんだと
思うようにしている。
生物の数だけ文化はある。
ただ、社会生活を営む上では
ある程度のカテゴリーにまとめる必要がある。
より多くのカテゴリーを
用意するに越したことはないけれど、
それぞれがバラバラに生きていたら
目的も秩序も乱れてしまって、
生きるとは。という新たな問題に
発展してしまいそうだし、
マザーテレサが言うところの
「心の飢餓」社会(自分だけが
良ければいいと思う世界)になって
人類滅亡に近づいていくのも悲しいので、
現世では文化を受け入れる事が
大事なんだろうなあと、
眠れぬ夜に犬を膝の上で
寝かしつけながら思うのです。
あなたの世界も大変やろなと思いながら笑
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