どぎついタイトルで始まったが、今日はタイトル通りのお話をしたい。 近年、老若男女問わず脱毛を推奨されている。 理由として見た目の清潔感が得られることだったり、場合によっては菌の繁栄を阻止したり、ご年配の方になると介護のために脱毛を始めるケースも多いらしい。 おばあちゃんになったらどうせ脱毛することになるんだから、それなら若いうちにやっていた方が長い目で見てコスパがいいと考えて、親が子供に早いうちからさせるところもあると聞いた。 価格帯も年々価格競争によって安価で対応してく
帰り道、駅前でお父さんがお迎えに来たトラックに乗り込んだ女子高生がいた。 なぜかとてつもなくあたたかい風景のように思えた。 私はハイエースに乗ると何故か気分が高揚する。 理由は分からないが、初めて乗ったのは小学1年生の引越しの準備の時。 住んでいたアパートから徒歩5分程の場所に父は家を買った。 だから引越しの全てを自分たちでやろうということになって、ほとんどの荷物を父が会社から借りてきたハイエースで運んだ。 初めて乗ったハイエースはとても大きくて、地面を自分が走ってるのか
誰かから相談を受けたとき、 私は法律に違反していない限りは その人を肯定することにしている。 なぜなら、 その人にとっての今の幸せは、 その人にしか分からないからだ。 じゃあ今は幸せでも、 後々不幸になった場合見て見ぬふりするの? と思われる方もいるかもしれないけれど、 簡潔に言えばそうなってしまうこともあるだろうし、 弁解させてもらう時間があるならそうではない。 ただ、私が1番大切にしたいもの、 1番大切にしてほしいものは今の幸せであって、 その子がどうしたら今1番幸
子供の頃から「ちゃんと話聞いてる?」と怒られる事が多かった。 ちゃんと聞いてるのに、 なんで怒られているのか疑問だった。 ちゃんと聞こうとすると、 言っている事を頭の中で想像して 具体的に把握しないといけないから、 ぽかーんとした顔になって 聞いてないように思われるのだと気づいたのは 中学生の頃だ。 テニス部だった私は大会に出ていて、 試合の最中、顧問からの大事な話を聞いていた。 大事な話だから、 隅々まで想像した。 そして怒られた。 私は勝ちたくて話をちゃんと聞
小学生の頃によく母親が歌っていた 光GENJIのパラダイス銀河の中にある一節。 「大人には見えないしゃかりきコロンブス」 子供ながらにずっと しゃかりきコロンブスとは何だ? と思っていた。 母親なら知ってるだろうと思って 聞いてみたけれど そんなところ気にならないよと笑われた。 大人になってふと思い出して 考えてみたけれど しゃかりき→一生懸命な様 コロンブス→未開拓地を見つけた航海者 ということから コロンブスに例えられた子供達が 一生懸命探して見つけた 自分だけの
つくづく自分は 感情表現が下手だなと思うことがある。 例えば美味しいものを食べたとき。 心から美味しい!と思っても、 自分の喉を介して出てくる言葉は 「コレスゴクオイシイネ」という 平坦すぎるものでしかない。 だから、本当に思ってる? と言われる事も多々ある。 私は思っているのだけど、 そう言われてしまうのなら 私の表現する「おいしい」は 世界ランク648064618位くらいの 「おいしい」になるのだろう。 もはや世界基準の「おいしい」には 到達できていない可能性だっ
生まれてこの方、 一切の略語を使えずに苦しんでいた私ですが、 ついに略語を攻略しました。 なぜかは分からないけれど、 子供の頃から世間一般で 使われている略語が使えなかった。 1番分かりやすい例で言えば、自転車。 小学生くらいから、 友達がチャリと呼び始めたあいつを、 私はなぜか恥ずかしくてずっと言えず、 頑なに自転車と呼んでた。 なんとなく昨日まで自転車と呼んでた人が 次の日から我が物顔でチャリと呼んでいる なんて思われたらどうしようから始まり、 そうか、会話相手を
先週ドラえもんに出てきた道具が 衝撃的すぎて忘れられない。 お正月から、のび太が連続的に 不幸な出来事に見舞われたのを 見兼ねたドラえもんが、 不幸せと幸せのバランスを保つ 便利な道具をのび太に出したのだ。 例えば、不幸せが4回続いたとしたら、 その分幸せが4回訪れる。 合理的な道具ではあるのだけれど、 精神面を合理的に解決することは あまり望ましくはない。 と真っ当な事を言っているように見せかけて、 実際のところ私は、人間は皆ほぼ平等に、 同等分の不幸せと幸せが や
レモンて英語だと欠陥品とか 不良品ていう意味も持つらしいですね。 フォルクスワーゲン社の 昔の広告を見て知りました。 アメリカでは酸っぱいものを あまり好ましく思われないことから スラング的な要素で使われるらしいです (恐らく諸説あり)。 とはいえ、レモンは電池にもなり得たり、 日本では甘酸っぱい淡いイメージや、 キリッとしたイメージがあるから面白い。 ここ最近、自分の内面を掘り起こして 見定める機会が多くあって、 要所要所でもしかして私HSPなんか?と思い、 入門書
あけましておめでとうございます! 本年も宜しくお願い申し上げます。 もう令和も3年目突入なんですね。 びっくりです。 昨今はコロナの問題もあるので、 人が多いところはできるだけ控えようと思い、 家に引きこもっておりましたが、 例年この時期には旅行をかましていたので 家にいるとあまり年越し感がなくて 本当に2021年はやってくるのだろうかと 不安に駆られました。 けれど、不安に駆られた時間にも慣れ テレビ見ていたら静かに2021年に突入。 何もしなくても年は越せるよ
現在小学5年生の妹2と 「この恋あたためますか」 を見ていた時のこと。 中村倫也扮する浅羽拓実が 石橋静河扮する北川里保に 「小さい頃はスイーツ好きだったのに、 どうして嫌いになっちゃったの?」 という問いに対して 「食べすぎちゃったから」 と答えた場面。 作中では、適当にとってつけた理由として 持ち上げられた一言だったのだけど、 私は「あるある!」と全力同意した。 私も小さい頃は甘いものが大好きで、 昔の写真を見ると大抵あんぱんか、 カプリコ(いちご味)を手に持ってい
クリスマス、 クリスマス、、 クリスマス、、、 正直クリスマスの思い出はあまりない。 挙げるとしたら、 小学校6年生までサンタさんを 完全に信じきっていて、 都内で撮影したサンタさんとのチェキを 証拠品として学校へ持って行って、 サンタいる派のリーダーを張っていたくらい。 ごめんなさい実はサンタさんの代わりに パパがプレゼント用意していたのと 母から謝罪を貰った中学1年生の冬。 パパはサンタさんとは友達だと 最後まで言い切ってくれて 今では素敵な思い出になった。
私にとっては当たり前の事を話しているのに 「君は変わっているね」 と言われることがよくある。 今でこそ、そんな事を言われても あまり気にならなくなったのだけれど、 小学生〜高校生の頃の私にとっては、 ものすごく嫌な一言で、 こんなん目の前悪口だと思っていた。 本当に言われたくなかった。 言われたくなさすぎて、 そのうち多数意見に身を潜めるようになった。 それでも些細なところで マイノリティの自分が現れては 「変わっているね」を発動された。 その度に、どの辺りが変わっ
幼少期から外ヅラが良かった私は、 よく優しいねと言ってもらえる機会が多かった。 そして実はそれが少し苦手だったりする。 多分それは、自分自身、自分の行動の本質が 優しさだとは思えないからだ。 行動の本質が本当に優しさから きているものだとしたら、 きっと受け入れられる言葉なんだけれど、 決してそうではないのだから 私如きにそんな言葉を かけてやらないで下さいと、 罪悪感を感じずにはいられない。 相手を思いやった上での 行動や発言が優しさだとしたら、 私が普段とっている
コロナウイルスが 世界中に猛威を振るっている今、 多くの当たり前が当たり前でなくなり、 昨日まで普通に感じていたものが 実は幸せだったと知り、 一人一人が日々起こる様々な変化に、 工夫を凝らして適応し、 新しい毎日を迎えている事だと思う。 いつになれば日常に戻れるのかと考えれば 暗くなってしまう時もあるけれど、 日常といえば日々の積み重ねであって、 今ある状況も繰り返し繰り返し生きていけば きっといつか日常になるんだと 自分に言い聞かせたりする。 最近では映画を観ていて
死ぬ間際の描写で 過去の思い出が走馬灯のように駆け巡ったとかよく聞くけれど、 この走馬灯の映像って絶対名作だと思うのは私だけでしょうか。 きっと誰の映像でも傑作だと思う。 やっぱり人生のターニングポイントや、 思い出に残る名場面集になっていると思うし、 その人の一生の思い出が詰まった人柄も現れる唯一無二のものだと思うんだよね。 もしこの先技術が発展して、 死ぬ直前の走馬灯のように駆け巡った記憶が 一枚のディスクにまとめられて映像化できるとしたら。 私の1枚はどんなもの