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soeji
自己防衛とかいう自意識の解体
今回は自戒を投下
自己防衛の為の卑下は良いことを何も生まない。
例えば、「私って飽き性なんだ」だとか、「友達少ないんだよね(笑)」、「会話苦手だしコミュ障なの」といったような類いの自己の開示。
それを聞いて評価が上がることは決して無いような、そんな自己紹介。
これは自己防衛から来るものだろう。
ありのままの自分を受け入れて貰うための準備であり、予め伝えることで、露呈した際の相手からの幻滅度を軽くさせようと無意識に保険をかけるのだ。
だがそれは自分の成長を妨げる。
伝えた時点で評価は下がるのだから、これらは意図して伝えないべきだ。
ネガティブな発言が多い人を好む人は少数だろう。大抵の人は、自己卑下を聞かされてもいい気持ちにはならない。
上述の通り、自己卑下は成長としての転換点になりうる。当然そうだ、自分で良くないと思っている点なのだから。簡単にはいかずとも、ひとつずつ治していくことで、人間としての成長に繋がる。
まず自分がどんな自己卑下をしているかを改めて認知し、リストアップすること。
そして、解決策を考える。
時にはどうにもならないと感じる課題もあるだろう。そうしたら、他者の視点を借りよう。第三者の視点は凝り固まった自意識から逸脱したアイデアをもたらす。
こういった特別でもなんでもない、傾向と対策を繰り返してほんの少しでも変わることが出来ればいい。
成長というのは崇高なものじゃなく、選ばれた人間だけが出来るものでもない。
まとめると、
成長という強迫観念に迫られることなく、淡々と私を磨くために、自己卑下をするのは辞めよう、という話。
弱みは結束に繋がることもあるから、そこは見極めつつね。