2023年を振り返る
とてつもない災難に見舞われた2023年もあと少しで終わる。
私にとって2023年はたった一年の出来事ではなく、数十年の出来事の
ように長く感じられた。
自分を見失い、国の支援を受け、病院へも行き、
それでも生きようとしてしまった。
紆余曲折の中、何度も自問自答を繰り返しながら霧の中と暗闇を歩く毎日。
夏の暑さは地獄の業火にすら感じられて、数分を数時間に、
数日を幾百日に引き伸ばした。
そんな毎日の中で、私が自我や最低限の心を保っていけたのはおそらく
飼っている猫がいてくれたからだろう。
私は彼を生かすために生きるのだ、彼に何不自由ない生活を送らせたい、
その一心で立ち続けた。
そんな彼との生活も無事に一年が経ち、彼の誕生日を祝ったりもした。
そんな年もあと少しで終わる。
私の人生にはいつもひとつのパターンがある。
何かの最悪に見舞われたとき、いつもその時に必要なものが手に入ったり、必要な人と出会うというミラクルが私の人生ではパターンなのだ。
しかし今回は、その兆しがなかった。
私はすべてを失い、自分自身すら忘れて、
自分自身を手放していたことを知り、そしてただ立ち尽くしていた。
ただただ何もない荒野にひとり置き去りにされていた。
遠くの方に街の気配はすれども、そこまで行く気力もない。
今回ばかりはパターンであるミラクルは起きないのだと、
このまま私という人間はフェードアウトしていくのだろうと、
そう思った。
私はもう一度考えることにした。
自分が一体何者であるか、自分という存在をもう一度自分に問うた。
すると悲しき事実に気がついた。
ここ約十年ほどの私は私ではなかったのだ。
私は私でありたい、そうでありたいということに固執し、
自らの本当の名前を閉ざした。
心の中にいるもうひとりの自分の手を離した。
思えばこのもうひとりの自分はいつも矢面に立ってくれていた。
私のいい部分、魅力的な部分、人間らしい部分、
汚い部分、姑息な部分、卑怯な部分、いやらしい部分、
すべてをこのもうひとりの自分が担ってくれていた。
そのもうひとりの自分を私は約十年ほども、ほったらかしにしていた。
何もないはずの自分、からっぽの自分は図々しくも
もうひとりの自分のフリをしていた。
簡単に言えば自分自身であるために誰かや何かの期待に応えようとして
一般の社会から著しく逸脱したもうひとりの自分を手離した。
もうひとりの自分がいるからうまくいかないのだとそう思いたかった。
でも本当に何もできないのは、もうひとりの自分ではなく誰かや何かの期待に応えようとした自分であった。もうひとりの自分を手離すことは、
自分自身であることと真逆のことだったのだ。
その結果私は、自分と約十年ともに過ごした人間を傷つけた。
病院へ行くことにもなった。国の支援も受けた。
何よりもつらかったのは、警察にやっかいになった時に
被害者側として相談に行ったにもかかわらず、
通院歴があるということでまるでこちらが妄言妄想を話しているように
扱われたことだ。
だからこそ私はもうひとりの自分ともう一度対話を始めた。
彼は相当拗ねていた。
「どうしておれを捨てた?」
———暮らしていくには仕方なかったんだよ———
「暮らしていくってお前、普通の暮らしなんてできるはずないだろ?」
———それでも私は何かをしなければいけなかった———
「お前は何もできない。ずっとずっとおれがやってきただろ?今さら
なんでも自分でなんてできるはずないだろ」
———できると思ったんだよ。二人でなら。理解もしてくれたしサポートもしてくれていた———
「そうかい。じゃあおれは今までお前を理解してこなかったか?サポートしてこなかったか?結果そいつは今はもういない。でもおれは未だここにいる。お前は乗る船を間違えたんだよ」
———それでも暮らしていかなければいけなかったんだ———
「お前はおれを捨ててうまくいったことがあるか?ここ十年、
お前は何も残していない。残していないどころか誰の記憶にも
記録にも残ってはいない。
それが望んだことか?お前は何者だよ。言ってみろよ」
——私は、芸人だ———
「違う。それはおれだ。お前が捨てたおれだ。お前は何者でもない」
——私は、誰?——
「お前は、おれだよ」
——もう一度、手をつないでくれるかい?——
そうやって私は自分の名前を取り戻すことができた。
もう一度、自分の本質を感じることができた。
自分ともうひとりの自分はまたひとつの体とひとつの心の中で生きることになった。私が彼を受け入れ、彼もまた私を許してくれた。
その途端、すべてがまた動き出した。ミラクルが起こり始めた。
私は人間関係や自分の特性のせいでバイトもままならなかったが、
やっとよいバイト先に恵まれた。
その給料で徐々に必要なものも新調したり、新しく買ったりした。
個人事業の方もだんだんとまた稼働できるようになった。
ミラクルはまだ続いた。
同じく何かを創ることを生きがいとしている人物に会えた。
私が音楽に挑戦したいと言うと、使っていないキーボードをくれた。
私の人生初の楽器、人生で初めて鍵盤を触ることができた。
そして人生で初めて曲を作った。ほとんど知識ゼロのまま。
タイトルは《F/A2023》。
私の2023年、2月から8月をイメージした。
ミラクルはまだまだ続いた。
もうひとりの自分と和解したのはいいが、何をどうすればいいかや
今さらどういう気持ち、モチベーションでやればいいかと悩んでいた。
とりあえず、なんとなく映像を撮っていたので映画を撮ろうと思った。
セルフドキュメンタリー。自分自身を被写体に、自分の人生の振り子が振れる様を本格的に撮ってみようと思った。
動き出そうとしていた矢先、すばらしい人間たちに出会うことができた。
彼女らは、さまざまな事情を抱えながらも自らの足で、好きなことで生きていこうと必死に動いている者たちだった。
私のモチベーションの方向性が決まった瞬間だった。
彼女らのうちのひとりは私にこう言った。
「私たちはライバルです。どちらがより理想に近づけるか勝負です」
私に人生初のライバルができた。相手にとって不足なし。強敵だ。
もうひとりの自分を受けいれた途端、ミラクルは起こりはじめた。
そうだ。
今まで起こっていたミラクルは私に対して起こったことではなかったのだ。そのミラクルはもうひとりの自分に対して起こったものなのだ。
立ち尽くすだけしかできない何もない私には何も起こるはずがないのだ。
自分の中のもうひとりの自分。
ずっと一緒に過ごしていたはずの彼を私は一度捨てた。
もう一度彼と手をつなごうと、夏から動き始めた。
彼は、また手を伸ばしてくれた。私の手をとってくれた。
私は戻ってきた。
もうひとりの私は戻ってきた。
ただいま。
そしておかえり。
2023年は人生でいちばん最悪で、いちばん素敵な年でした。
2024年、できる限り生きていきます。限界をこえて動きます。
狂楽亭ヒトリ