2024年をちゃんと捨てることができただろうか。
Look back in anger —2024年を振り返る—
《SECOND VOICE》
Fall out
2024年もだいぶ後半に差し掛かってきた。
年始に考えた計画はほとんどが水の泡となった。
残された計画は片手の指で足りるほどだ。
いや、おおまかに言うとひとつふたつかもしれない。
まず、思うように資金がプールできなかった。
それゆえできることがかなり狭まってしまった。
生活をするということはやはり私にはかなり難易度が高かった。
生活というのは、飯だけ食えればいいというわけではない。
電気などの生活インフラ、トイレットペーパー、洗濯用洗剤などの消耗品。
さらに風邪などで体調を崩したときの薬代など。
人が生きて何か行動しようとしたときと、実際に行動するとき、行動した結果すべてに支払いが存在すると言っても過言ではないだろう。
そういった一般人にとっては当たり前なことが、私にとってはすこぶる新鮮で鬱陶しく、私の計画をことごとく引き裂いていった。
それも仕方がないと割り切るしかないし、そもそも私はどれだけ綿密で具体的で現実的な計画をしてもその通りにいかないという星の下、言うなればカルマのようなものを背負っているのだ。
例えば、バイトを二つ掛け持ちし始めたときに起こった事件は悲惨だった。
朝のバイトから次のバイトへ移動するときに、車のタイヤがバーストした。
ただバーストしたならまだよかった。しかし事はもっと重大だった。
バーストしたタイヤはホイールから今にも外れてしまいそうだったのだ。
私は車にはめっぽう疎く、タイヤがバーストしていることに気がつくのもかなり遅かった。なんだかスピードが出ないな、という自覚が芽生えて
なんだかガタガタするなぁ、と不安が押し寄せてきて最終的には焦げ臭い匂いが車内に充満し始めてようやく私は異変に気がつくのだ。
不幸中の幸いで、異変に気がついたときにいた道が前職の店の近くだった。
とりあえず前職の店の駐車場に停めさせてもらいタイヤを確認すると、
タイヤがホイールから今にも外れてしまいそうだったのだ。
あと十数メートル、いや数メートル走り続けていたらタイヤはホイールから外れホイールで道路を走ることになっただろう。
JAFをよび、車検をしたところに持っていき事なきを得た。
この一連の流れも紆余曲折あったが割愛する。
ギリギリ事故を起こすことはなかったし、車自体も無事であった。
しかし私の車は中古で買ったもので、タイヤが少し特殊らしい。
そのタイヤを見つけるのに時間がかかったし、金額も驚くほどだった。
これがタイヤ一個の値段かよ、と愕然となって土下座でもして安くしてもらえるだろうかと考えたがなんとか支払うことができた。
何が言いたいかというと、私は大事な局面においてこそ《不運のカルマ》がピンポイントで発動するような仕様になっているのだ。
だから資金がある程度プールされるとなにかしらで、そのプール金を使わなければならない状況に追い込まれる。
まさに水前寺清子の《3歩進んで2歩下がる》である。
そして迎えた10月。
私は年始に一つの計画というか目標をたてた。
しかしこの目標は実現不可能であるとの決断をした。
実現不可能は言い過ぎだから厳密に言うと、
《2024年内に絶対にやるべきこと》という優先事項トップだったものが
《生きている間のいつかどこかで》という劣後事項トップになった。
そもそもこの計画は、少し遠出をしなければならない計画だった。
どのくらいの遠出かというと飛行機を使い、いくつかの県を飛び越えて
発生するイベントだった。日帰りで帰れればいいが、下手をすると宿泊しなければならないおそれもあった。
それでもイケると思ったのだ、年始は。
結局優先順位は真っ逆さまになってしまった。
理由は主に2つあった。
まず一緒に暮らしている猫。
猫に関しては、“猫がいるから”とか“猫のせいで”と言いたいわけではない。
私が離れたくないのだ。私が猫といたいのだ。
年始には、一泊ぐらいだったらペットを預かってくれるところに預けようと思っていた。一泊になるとは限らないしむしろ万が一、一泊になったときのために預けて日帰りで帰ることができれば一泊分の料金を支払ってでも連れて帰ろうと思ったのだ。しかしそれは机上の空論でしかなかった。
交通費、万が一の宿泊費、雑費に加えペットホテルの料金を加算してもなんとかなる金額であるという数字だけの話だ。
私がその勘定に入れ忘れていたのが感情。
ダジャレみたいで恥ずかしいが、これはほんと。
私といっしょに暮らしている猫はうちに来てからひとりで夜を過ごす事が今まで一度もない。なかったというか、そうならないように私自身の生活スタイルを大きく変えた。もちろん仕事やバイト、買い物の時は留守番はする。
しかしあくまでも留守番であって私の外泊のために夜をひとりで過ごすことはない。
私の今の生活スタイルは夜8時には家にいる。
猫といっしょに夜ごはんを食べ、二人で遊んだりじゃれたりして、きちんと個人の時間も過ごす。
この猫は私がいちばんつらかった時期にいっしょにいた猫だ。
そりゃ飼ってるんだからいっしょにはいるだろ、
家猫なんだから当たり前だろって言うヤツは足の指全部折れろ。
そういうことじゃないのだ。
私がつらそうにしていれば寄ってきて心配するし、嫌なことは精一杯嫌だと言う。私がうんこするときだって目の前でうんこスタイルを見つめてくれる。未だかつてこんなに正直でまっすぐな友達はいない。
未だかつてこんなにまっすぐな優しい友達はいない。
そんな彼を私だけの理由で、たった一泊でもひとりで夜を過ごさせてはならない、安全だからといって他所に預けてホイホイと飛行機に乗って飛んではいけないという気持ちが込み上げてきた。
私は猫に対する感情を計画の中で考えることをしていなかった。
もちろんそれまでも大事に思っていたし、適当に扱っていたわけではない。
ただ、こういう計画をすることが今までなかったのだ。
いわゆる《長期的な計画》やある種の《ライフプラン》と言ってもいいだろう。そういうことは私にとっては意味がないことだったのだ。
なぜなら私には大事な局面において発動する《不運のカルマ》があるからだ。長期的であればあるほど、局地的な災難がいくつもいくつも降りかかり結局何事も燃え尽きて灰になり何もできないままになってしまう。
そういう経験則から私は《長期的な計画》を避け続けてきた。
慣れていないからこそ計画自体に具体性と現実性はあるものの、そこにある人間としての感情をまったく考慮していなかったのだ。
私が猫と離れたくない。
安全な他所に預けるなんてことはできない。
猫を飼っているからできませんでした、ではなくただただ単純に私自身の計画の甘さのせいである。
もうひとつの理由は冒頭にも書いた資金面のことである。
2024年を《捨て年》として2025年に何かが変わるような準備をしようと、必要なものを揃えたりしようと計画したのだ。
飛行機を使う案件と、細々とした備品や大きな金額の備品購入費この3つが主なプール金の目的だ。
先に書いた通り、飛行機を使う案件の交通費、万が一の宿泊費、雑費などはプールできた。
《不運のカルマ》の災難をくぐり抜けなんとかなる金額にはなった。
しかし問題があるのだ。
実は2024年につくった《計画》はひとつではないのだ。
《大きな金額の備品購入》は飛行機を使う案件と同じぐらい重要であった。
おいおい、と思うかもしれないがこの《計画》に必要な金額も合わせてプールできると考えていたのだ。
実際に飛行機を使う計画の金額は捻出できているわけだ。
問題というのは、“そこまでの余裕がない”ということだ。
“そこまでの”とはどういうことか?となるだろう。
正直に言うと、飛行機を使う案件でプール金のほとんどを失うのだ。
要するに、飛行機を使い発生する案件に関しては十分足りるが、
もうひとつの《計画》、備品の購入には今現在ほぼ足りないうえ、飛行機で発生する案件で使いってしまえばほぼ0になってしまい、大きな金額の備品購入は振り出しへと戻る。
当初の予定通り思うように資金がプールできなかったのだ。
私の明るい計画では、今現在(10月時点)では大きな金額の備品購入に使う金額のプールも終盤で、飛行機で発生する案件用に流用してもリカバー可能な金額になっているだろうと考えていたのだ。
絵に描いたような計画倒れだ。
10月になって、本格的にどうするか考えた。
単純にどっちをとるかという問題だ。
私は飛行機には乗らないことにした。
それは猫といっしょにいたいから。
猫にひとりの夜を過ごさせたくないから。
飛行機に乗って発生する案件は高確率で来年もある。
もしなくても類似イベントはある。それは再来年も同じ。
そもそも冷静になって考えると私が目指すべき場所はそこではない気もする。
しかし大きな金額の備品の方は、早いこと決着を付けなければいけないことなのだ。リスケをかまして遅くとも来年の夏までと計画を修正した。
飛行機で発生する案件よりも個人的には《長期的》に有効な《計画》である。実は私はこっちの《長期的》に有効な《計画》の方に気持ちが寄っているのかもしれないとさえ思う。
正直、《計画倒れで紆余曲折、回り道や寄り道、落とし穴に落ちる》という
計画にはなかったおもしろさを存分に味わうことができた。
イライラしたり、うまくいかずヘコんだり、投げ出したくなったりするけど
それでもこの道しかないからと結局ボチボチ歩く自分を客観的に見たら
それはそれで滑稽でとてもいいと思った。2025年だってたぶん同じ。
不運のカルマを背負って、仲良く共存しながら生きていくのだ。
Fall outな人生こそ私の歩く道であるからだ。
2024年もあと少し。
ちゃんと捨てきってやろうと思う。