【転生】地獄⇨事故⇨蘇り。
深夜2時に終わりウルフと住んでいる家に約一時間かけて徒歩で帰る。
私は朝7時から夜中2時まで子猫サイズのリゾットしか食べていない。
普通の人であれば耐えられないかもしれないが、
私はもともと夜一食生活が長かったせいで
お腹は空くが耐えられないほどではなかった。
私は空腹に耐えかねて、開店中のレストランで
客が残した食べかけのバケットや残飯をポッケに詰め込んだ。
タッパーや容器はもちろんなかったし、
他のスタッフバレると何を言われるかわからないので
直にポッケに詰め込んだ。
パンは大丈夫だがライスは厳しかった。
ポッケにお米がこびりついて大変なことになる。早々にお米は諦めた。
付け合わせの野菜、漬物、ポッケに入るものならなんでもぶち込んだ。
一時間の帰路でそれを食べる。
深夜の2時にお店が閉まり、3時過ぎまで片付けをして
一時間かけて歩いて帰る。
家に着くのは朝方の4時ごろ。
朝7時にはお店にいないといけないので、家は朝6時前に出る。
結局家には1時間居れればよいほうで、
だんだんと家まで歩いて帰ることが馬鹿馬鹿しくなった。
しょうがないから帰り道にあるコンビニで夜勤のバイトを始めた。
夜中の3時半から朝6時半まで。
結果睡眠時間がほぼない状態になったが、人間やればできるものである。
ちょっとした空き時間に立って何かに寄りかかった状態で短い時間だけでも睡眠を取れるようになった。
そんな生活がしばらく続いたが、
耐えられなかった。
耐えられなかったのはリゾットのせいでもポッケに詰め込んだバケットのせいでもない。
単純に爆発したのだ。
なぜこのような待遇なのか、
私が要らないのならはっきり言ってくれればいいのに。
自主的に辞めることだってできる。
邪魔をするためにわざわざ朝の7時から大掃除をしているわけではない。
私は言いたいことを言い、レストランを辞めた。
と同時にコンビニの夜勤も辞めた。
また無職になり、悪いことは続く。
いよいよ体に変調が現れる。
ここ何ヶ月かろくにちゃんとしたものを食べていなかった。
食べたものと言えばレストランの残飯ぐらい。
それも頻繁に食べれる物ではない。
ちょうどレストランとコンビニを辞めたぐらいの時は
不思議と空腹感はなかった。
だから何も食べなくなっていた。
それがいけなかった。
まず急激な腹痛を催した。
お腹いたーいとかではなく、痛すぎて動けなくなった。
これは普通の腹痛ではない、と感じて とりあえず救急車をよんだ。
近くの病院に搬送された。
診断の結果、栄養失調だった。
この豊かな日本で栄養失調。
お医者さんもびっくりしていた。
検便を取ろうとしたけど便のカスすらもない状態で、
お医者さんから
「あなたの胃と腸は今ただの飾りです。」
と言われるぐらいだった。
処置室のベットに寝かされ点滴で栄養を補給してもらった。
自分でも鏡を見た時、顔が白いと思っていた肌に血色が戻った。
点滴は半日受けて、帰ってからは急に普通の食事はとるな、
お粥さんから始まり、うどんなどの消化の良いものや流動食から慣らして
一ヶ月後ぐらいから普通食に戻しても大丈夫だと説明を受けた。
そして不幸なことに家の存在がウルフの親にバレて
ウルフがもう家賃を入れることが困難になり引き払うことになった。
仕方がないからとりあえずまた仕事を探す。
もうこれは仕事を探す仕事をしているようなものだった。
個人的な感想というか見解だけど、
ハローワークで仕事を見つけようとしている人の
ほとんどが陥る現象ではないだろうか。
失業保険の手続きをして、
求職活動さえしていればある程度の給付がある。
朝からハローワークへ行き、パソコンの前に座り、
決められた時間をめいいっぱい使い、 受付でハンコをもらう。
たまに可もなく不可もないような募集を印刷し面接を受ける。
すると月に幾らかもらえる。
期間はあるのだがハローワークで仕事探すという仕事をしている
という謎の感覚に陥ればその期間まではまぁいいか、と麻痺してくる。
面接に行った先で受かろうが落ちようが何も思わなくなる。
むしろハローワークでパソコンを見つめる仕事があるので
そっちの方が楽でいいから受かってもねぇ、という負のスパイラル。
しかもハローワークのパソコンの前に座っている求職者たちは
揃いも揃って目が死んでいる。
中にはいつ行ってもいる、どの時間にもいるような奴もいた。
それはもう求職者というより
ハローワークの備品の一つとさして変わらなかった。
そしてそんなスパイラルから抜け出し、
私の人生の軌道修正とバージョンアップを担うお店に
やっとたどり着いたのだ。
たどり着いたはいいが、なんと出勤し始めて3日後ぐらいに
交通事故にあった。
新しい職場に原付で出勤途中、車と衝突したのだ。
この事故に関しては、長くなるので割愛する。
交通事故の諸手続きや、ウルフとの賃貸も引き払うことになっていたため
また実家へ引き戻された。
反抗することもできたが、私も事故で少しではあるが体はもちろん、
若干の精神的なダメージを受けており無駄な争いやメンタルを
削るようなことはしたくなかったのでしぶしぶ実家へ戻ることを了承した。
交通事故に遭いながらも、せっかく受かった仕事なのでとりあえず
治ってからも行き続けた。
これがまたバッチリ性に合う職場だった。
悪く言えばユルく、よく言えば最先端の働き方ができる店だった。
とあるリサイクルショップなのだが、
働いているスタッフの人柄や個性、販売している商品のカテゴリー、
そして最も性に合ったのが仕事のやり方だった。
私の仕事に対する基礎基盤は確実にここで育まれたものだろう。
リサイクルショップだから元々は誰かのいらないものを
買い取って販売する。
いかにそれが誰かがいらないものであってもさも
「いいもの」、「レアもの」であるかのように魅せる術を教わった。
私はPOPを書くことから始め、看板やチラシのデザインなどを任される。
だんだんと店舗管理なども任されるようになった。
ここで学んだことは本当に多い。
その時私はまだあの花火で出会った女の子と付き合っていた。
しかし私の心は冷めていた。
心残りがあったからである。
相手方の両親に猛反対を受けたあの子である。
正直に言おう。
ずっと思い続けていたかと言われると今では疑いの余地がある。
ただ猛反対を受け、別れの言葉すらも言えなかったこと、
そして何より相手方の両親への隠れた反発心。
負けたくなかったのかもしれない。
愛情や恋心などではなかったかもしれない。
奇跡か、あるいは悪魔の所業か。
リサイクルショップで働いていた時、
その時は本当にタイミングがよかったのかもしれない。
シルバーウィークなるサービス業にとってそこそこ地獄の連休中の出来事。
私は急に欠勤になったスタッフの穴埋めで開店から閉店まで、
そしてありえない日数の連勤というハードなシフトを
こなした最後の日のことだった。
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