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次回の要点整理『館山市内での「モデルコミュニティ協働運営事業」企画書』|三田啓一著

次回の公民連携ゼミ館山は、番外編として、館山に住む行政学の専門家、三田啓一さん(82)をお招きして、ガチンコディスカッションをすることになりました。テーマは、「自治的コミュニティ」です。

三田さんは昨年末、私の知人を介してご連絡をいただき、とある企画書を寄せてくださいました。タイトルは、「館山市内での『モデルコミュニティ協働運営事業』企画書(素案・未定稿)」。

本人の許可をいただいたので、ここにスキャン資料をアップします。

これが自宅に届いた時は「どひゃー!」と開いた口がふさがりませんでした。どんな方なのだろう、、、とお会いして、懐の深さに「あちゃー」とさらに驚いたことを思い出します。

それでは、今回のテーマについて事前に私なりの解釈を踏まえてお伝えします。


三田啓一さんとは

三田さんは、地方自治研究資料センター、自治大学校、都市問題編集長兼第二研究室長、東京市政調査会を経て、早稲田大学で長年講義をしていた行政学のエキスパートです。学者嫌いで、フィールドワークを何より重視する研究者です。

館山市在住の行政学の専門家である三田啓一さん

杉並区に生まれ育ち約80年、自身が訪れた数多の自治体から館山市を好んで移住されたというのですから、同じ移住者の私としてもうれしい限り。余生で何かまちに貢献したいと企画書を寄せてくださったのでした。

企画書の要点まとめ

以下、難しい言葉を使わずに簡単に要約します。

結論から言うと、この企画書は、どうしたら市民の暮らしがより生き生きとして、戦後〜現在の地方自治の課題を乗り越えられるかを論じています。

私もそうですが、生まれてから行政の制度とか地域とか、ほとんど知らずに、何かに支えられていた、ということが後で分かりました。

家庭で困ったこと、地域で困ったことは行政がなんとかしてくれる、という漠然とした構造が戦後形成されてきました(これを補完性の原理といいます)。日本はそれほど発展し、平和を守ってきたと感謝も湧き上がります。

しかし、今の人口減少、少子高齢化は、戦後当時から想定されていたものではありません。徐々にわかってきましたが、行政主導では軌道修正が難しい局面にまできてしまいました。

「地方自治」は、Local Govermentと訳される通り、本来「地方政府」です。2000年前後で「地方分権一括法」が制定され、国と地方自治体は対等の関係であることが定められました。

その後、地方自治体の中には、自らの主権で「まちづくり」を主導して成功した事例もたくさんあります。本企画書では、熊本県の山都町と静岡県の掛川市に挙げられています。

三田さんは、新宿区の先進的な会議も牽引され、市民が生き生きと主体的に自治に関わる現場も幾度と体験されてきました。

その上で、今の地方の多くは「眠れる自治体」という言葉で表現されます。本来、市民パワーは計り知れない力をもっていますが、行政主導の自治は、一面では扱いやすい市民を育てたものの、予想外の人口減少、少子高齢化を前にバランスが崩れつつあります。

自治的コミュニティとは

そこで重要なのが、本企画書にある「自治的コミュニティ」だといいます。その定義は、2000〜8000人規模の旧学校区(館山で言うと10地区)にあります。

議会をもつ最小単位の地方自治は、市町村。これが論考中の「基礎自治体」に当たります。

自治的コミュニティは自然発生的には生まれません。現行の自治会や町内会をベースに、基礎自治体が「戦略本部」となり、可能な限りお膳立てをして機能するところまで、行政、市民が協力してつくりあげねばなりません。

今回の企画書には、熊本県の山都町、静岡県の掛川市が挙げられていますが、それぞれ「自治振興区」、「地区まちづくり協議会」を形成して、主体的市民が生まれた事例をが示されています。

掛川市の榛村純一市長の引用が分かりやすいですね。

  1. 住民自身が公共事業について、その事業は誰のための事業か、何のための事業か、その事業主体にはどこが最もふさわしいのかということに常に関心を持ち、協議し、個人市民、法人市民自身も応分の負担は辞さないという明確な自覚を持つ必要がある。

  2. 住民は要求し続け自治体行政はこれに応え続けるというサイクルばかりでは、住民も地域も自治の主体にはなりえず、真の地方自治は育っていかない。

  3. 地域や住民は、ただ要求するのではなく、自らが事業主体となってできる範囲のことをやっていく自治の主体でなければならない。

つまり、住民が主体的に自治に関わることでこそ、真の地方自治になるということ。当たり前のようで、これが最も難しい。地方自治のゴールはここにあります。

誰もがまちづくりに関わっていること

前回までの2回は、まちづくり研究家、木下斉さんの著書を読んで、「まちが稼がないと本気で終わる!」ことを学び、その根本的な考え方として官民の役割を議論しました。

一方、私の解釈ではこれは「攻め」のまちづくり。不動産屋でも会社や店の経営者ではない、一般の市民にとっては、「自分がどう関われるのか」という疑問について話し合いもしました。

これに対して、「守り」のまちづくりが、今回の企画書がテーマとすることだと思うのです。

例えば、身の回りのまちの課題を見渡してみてください・・・

  • 高齢者の買い物、通院支援

  • 健康増進

  • 地域での子育て

  • 防災対策

  • 耕作放棄地

  • 空き家対策

  • 公共施設の利活用

  • デジタル化

  • 移住促進 etc…

これらの多くが、儲かることではありません。儲からないけれど、市民生活に必要だからこそ、みんなで集めた税金で行政が担っています。

しかし、人口減少、少子高齢化、老朽化、人材不足・・・というこの時代。税収も減るし、社会保障関連経費は上がるし、課題はふくらむのに行政の負担は増える。もうとっくに臨界点を超えているように思います。

税金を上げるか、従来の市民サービスが提供できなくなるか、いずれにせよ市民の負担に跳ね返ってきてしまうわけです。これは脅しではなく、本気で考えねばならないステージにあります。現に館山市もR6年から国民健康保険税が上がります。

こうして俯瞰すると、経営的な「攻め」のまちづくりは重要ですが、市民生活を守る、さらに充実したものにする、「守り」のまちづくりは大変身近なところにあります。

つまり、誰もが「まちづくり」に大なり小なり関わっているということです。

福祉課題も包摂するコミュニティのあり方

企画書の話に戻りますが、三田さんは、これらの課題を解決するのは「自治的コミュニティ」に他ならないと結論づけます。

館山市の場合、一つの案としては10地区に自治的コミュニティを置き、基礎的自治体はその「戦略本部」を担う。

自治会や町内会を基盤に、さまざまな地域、地区にまたがる協議会とか委員会などを集約してコストを削減し、自治的コミュニティに自治権の一部を移譲して予算もつける。この中に、民生委員や保健推進委員、または社会福祉の包括的な支援も連動されていきます。

私が思うに、今後10〜20年の最大の課題は、高齢者や障害者、生活保護者などの支援に当たる社会保障関連の事業をどう運営していくかという点です。

この扶助費は、高止まりで、減る税収に対して財政を圧迫している最大の要因です。とはいえ人の命に関わることですから安易に削減なんぞしてはなりません。被支援者にとって効果が高く、適切な税負担で運営できる「形」を早急に模索していかねばなりません。

先日、国が開催した「孤独・孤立対策官⺠連携プラットフォーム 令和5年度第2回シンポジウム」をオンラインで視聴しました。国は、R6年度から「孤独・孤立対策協議会」の設置を各自治体の努力義務で促しています。

内容としては、今や高齢者介護だけでなく、8050問題、引きこもり、発達障害、ヤングケアラーなどなど、一つの家庭に複合的な課題を抱えるケースが増加しており、複数の担当課にまたがる事案に対応が困難になってきているというのです。

これは、昨年数回参加した「南房総ひきこもり協議会」でも同様の話を現場の方々からお聞きしていました。

日本NPOセンターの吉田建治氏が、「福祉に福祉以外の視点をどういれるか。福祉以外の領域が福祉の意識をどうもてるか」と語っていたことが印象的でした。

館山にも多くの「包括支援」の事業がありますが、誰がどのように舵取りをしているのか。まだこの分野の研究は足りていませんが、とても行政主導でカバーし切れるスケールではないと感じます。

こうした課題意識でふと「自治的コミュニティ」を捉えると、なるほどと思えることが多々あります。また医療福祉、介護分野だけでなく、防災にとっても顔の見えるコミュニティは命を守る最も大事なつながりです。

今まさに、館山市でもさまざまな取り組みが動き出そうとしていますが、自治的コミュニティの視点でみたときに、何が見えてくるでしょうか。この点が、今回私にとっての最大の関心事です。

何が正解といえる段階にはありませんので、忌憚ないご意見をお寄せください。

今回は、三田さんの企画書を事前に精読していただいて、当日はディスカッションに力をいれたいと考えております!ご協力よろしくお願いいたします。

ひがし

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