雨の日、傘を忘れて出会うもの
午後から雨、という予報であったのに傘を忘れてしまった。
濡れてもさほど気にしない方だが、あんまり濡れていると周りが気にするので、駅までの道を早足で歩く。
そうすると、早速周りから気にされた。
前から歩いて来たお兄さんが
「お姉さん傘ないの? 貸すよ、貸す。俺すぐそこだから!」と言ってくれる。
立ち止まって、お兄さんどこの人ですか?どこそこです、じゃあ今度返しに行きます。いいよ別に。いえ、ちゃんと伺います、ありがとうございます。で後日なんか簡単なお菓子を添えて傘を返しに行く、っていう流れがバーっと頭の中で再生されて、も、すごくご好意でありがたかったんですけどその一連のやつより濡れる方を選びますごめんなさいー!と思いながらすれ違い様に
「大丈夫です!大丈夫です!返せないし」と言いながらノンストップで足早に去った。
優しいお兄さん、ごめんなさい。
年々、こういうところが頑なになっていく。
昔だったらそういうものを素直に受け止めて、もっと軽い気持ちで好意に甘えていたかもしれないけれど、だんだん、色々なことが変わりつつある。
それは、自衛力が上がることかもしれない。色々な可能性を考えて、利益やリスクを天秤にかけて、冷静に判断できるようになりつつある、とも言えるかもしれない。
私は必ず次に来る電車に乗って、間違いなく自宅に帰って、娘を迎えにいかねばならないのだし、保育園で、私の姿を見つけて無邪気に駆け寄って来る娘を笑顔で抱きしめてやりたいと思う。
私は昔に比べたら、とてもストイックになっているし、非常にシラフだし、正しい警戒心や、危機管理能力も、少しずつではあるけれど備わりつつあると思う。
まあ、いまだに無防備すぎたりトンマすぎるところは色々あるけど…
昔の私が見たら、「それってツマンナイ大人じゃない?」って言いそうだけど、でも意外とこれが、悪くないんだなあと思えて、そう思えることに心底ホッとしているのだ。
糸の切れた風船みたいに、どこまでも風の吹く方向に、こだわりなく流され続けているのは素敵なことだ。自分に働きかけて来る様々な力に対して、抵抗することなく受け入れていくのは、思っても見ない出会いや飛躍を生んだり、たまにはひどい目にあったりして、なかなかエキサイティングだ。
でも、ここへ糸を結ぶことにしましたよ、と腰を据えて、しっかりとその場所に根ざしてみるのも、それもまた一つの経験として、素敵なことなのだ。
知らない誰かからの好意を一つ無下にして、
私は雨に濡れて、滴る午後を歩き、娘の笑顔のことを考えた。