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アイリーン・M・ペパーバーグ『アレックスと私』

超有名ヨウム、アレックスの研究者のエッセイが2020年に文庫化したことを知り、読んでみた。

エッセイはアレックスの死から始まり、途方もない悲しみを少しずつ受け入れる人間の姿にまず心を打たれる。わがままでチャーミングなアレックスの魅力にも夢中になった。
……のだが、何より、読んでいる間中頭の中を占めたのは研究費や研究員のポストの問題だった。
「こんなに優秀な人なのに、こんなにとれないものなの!?」と叫びたくなるような場所がいくつあったかわからない。

筆者の研究者としての不遇さにはもちろん理由がある。

まず何より彼女が女性であること。本書は1970年から2000年代にかけての話だ。家庭のためにキャリアを諦めなければいけなかった筆者の母の不幸な横顔にはじまり、女性差別吹き荒れるアカデミーでの不遇の日々が語られる。

そして、動物の知性という彼女の研究テーマが「まともではない」と考えられていたこと。女性差別に関してはなんとなく予想はついていたのだが、こちらも想像以上の壮絶さをもって筆者に立ちはだかっていた。

現代ならば、動物は刺激に対して反応を返すだけの自動人形だというほうが「まともではない」ように感じる。アレックスのそれをはじめとして、動物に知性があることを示す研究結果は枚挙にいとまがない。だいいち、動物と触れあうことがあれば実感としてそう思わざるをえない。

ところが、筆者が研究を始めた時期はそうではなかった。
そうではなかったことは知識として知っていたが、エッセイの形で語られると人間以外の生き物の知性に関する論争の激しさに驚く。動物に対する人間の優位性を認めてしまえば、世界がこわれてしまうのだろう。
とにかく、筆者の研究題目は大学院でともに学んだ結婚相手からも理解を得られない。この分野の(女性)研究者は、信じられないほど孤独な闘いを続けてきたのだ。

2000年代にもなると、ヨウム研究も軌道に乗り、女性を取り巻く状況も、「まともでない」テーマの研究者たちを取り巻く状況も、少しずつ良い方向に変わっていっているのだという希望をおぼえる(昨今のニュースを見ると、残念ながら期待しているよりも変わっていない気もする)。

ヨウムの賢さと可愛さに引き寄せられて軽い気持ちで手に取った本は、研究者のかなり骨太な自伝だった。
訳者あとがきにもあるように、このエッセイは男社会で新しい領域での研究を切り拓いていく女性の物語として多くの人を奮い立たせることだろう。私もそのひとりだ。
でもやっぱり、一番言いたいのは「こんなに優秀なのにこんなに研究費もらえないものなの〜〜〜!」だ。

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