私は、超有名企業で働いている。
私は、誰もが羨む超有名企業で働いている。
利益もここ数年は順調だし、株価もうなぎ上り。利回りは下がるが、配当も良いから投資家からも人気だ。
でも私はいま、幸せじゃない。
この投稿は、救いを求めるものでも、前向きな力を与えられるものでもない。
ただ、ありのままの私の現状を表すのにぴったりだと思った。
そしてできれば、多くの人に私と私の生き様を知ってほしいと思った。
私は、幼い頃から沢山の選択をしてきた。
一つ目の選択 「中学受験」
田舎の山奥に生まれた。
物心ついてから、森の中を駆け回った思い出は数えきれない。
電車は一時間に一本だし、プリクラを撮るにも、サーティーワンを食べに行くのにも、家から40-50分は必要だった。
当たり前にみんなが同じ保育園、小学校、中学校で育つ環境の中、
小6の終わりに、私は隣町の中高一貫校を受験をした。これが人生の数ある選択の中でも、大きな一つだと思う。
無事合格した。そしてこれは、大学4年生までの自分の人生にとって、とても良い選択をしたと胸を張っていえる。
中学では小さな挫折を経験した。
自分で言うけれど、小学校までは勉強もスポーツもほぼトップだった。
田舎の中学とはいえ、そんな人達が集まるから、最初の定期テストは中の上くらいだった。
これは努力しないとまずい、と危機感を覚え、それなりに勉強に励んだ。
学力は中の上から上の下を彷徨いながら高校へ。
高校は典型的な自称進学校であったが、特殊な環境で、かなり勉強をさせられた。
運動部にも入っていたから、とにかく一生懸命やっていたらあっという間に3年間過ぎた。(余談だが、部活の友達は今でも仲が良くて、体力的にも時間的にもとってもハードだったけど、あの部活に入るという「選択」をしてよかったと心から思っている。本筋から逸れるので、これ以上は割愛する。)
当時はSNSが今ほど発達していなかったから、地元の友達の話を聞いたり、ブログを見たり、ぐらいだったけど、それでも高校生活を少なくとも私の高校よりは満喫している様子を見てうらやましく思っていた。
「遊びたいのを我慢して、中学からこんなに勉強しているのだから、良い大学に行かないと自分が報われない」
その一心で自分を鼓舞して、高校1年生のときのオープンキャンパスで惚れた東京の国立大学を目指した。
しかし、予備校も遅くまで空いているカフェもない田舎で、自分の努力だけでは合格点まで到達することができなかった。
なんとか合格した横浜の私立大学へ進学した。
二つ目の選択 「仮面浪人」
そして私は、人生で大きな2つめの選択である「仮面浪人」をすることになる。
進学した私立大学には、私が現役時代に志願していた大学に落ちた人が沢山いた。
その人たちはみんな、「やりきって」落ちていた。
田舎出身の私でも知っているような超有名な進学校に通っていて、その上で超有名な予備校に通っていた。
受かるためのノウハウを知り、全力を尽くして、それでもダメだったから、だからもう未練はない、という人がいっぱいだった。
私はどうか。私はまだまだやれることがあったと思ってしまった。
田舎の自称進学校で、もちろん先生たちは沢山助けてくれたけど、
ノウハウも情報もどうしても都会には勝てない。
私は「やりきって」落ちたかった。
高校までいろんなスポーツを経験したけど、どれも「やりきって」
(強豪校じゃないから結局最後にはどこかの学校に負けるのだけど)
終わっていた。
大学受験もそうでありたかった。
こうして私は、1度目の大学1年生の9月から受験勉強を開始した。
予備校に通うお金はなかったから、再び独学となったのだが、
受かるために必要な戦略を練りに練った。
参考書の選び方や勉強の進め方を徹底的に調べた。
つい無駄な時間を過ごしてしまうiPhoneを実家に置き、高校の時に使っていたガラケーを再び契約して使っていた。
父と母には数ヶ月に一度一人暮らしの家に来てもらい、レンチンして食べれるようなご飯を冷凍保存してもらっていた。
留年はしたくなかったから、進級に必要な単位として週5コマは授業に出て、
それ以外は大学の図書館と、図書館が閉まったあとはカフェで、1日15時間くらい勉強した。
モチベーションが落ちたときは、大学のパンフレットやブックレット、同じ大学に仮面浪人を成功させた人のブログを読んだ。同じものを何回も読んだ。
こうした努力はなんとか実を結び、私は半年で悲願を達成した。
(余談だが、横浜の大学の進級も成功していた)
そして2度目の、大学1年生がスタートした。
三つ目の選択と、サクセスストーリーの終焉
そこからの4年間は、酸いも甘いも沢山の経験をした、人生で一番の宝物である。
宝物の詳細は省くが、宝物の話を面接官にしていたら、冒頭の「超有名企業」の内定を得た。
ここまでが、私の「選択」によって、「あの選択をしたから」、未来が拓かれてきた、サクセスストーリーである。
内定をもらったのは第3志望タイの企業であったが、第1、第2希望の会社とは縁がなく、他の内定先と様々吟味した結果、
拾ってもらうことにした。
これが私の三つ目の選択「就職先の決定」である。
入社後、私の人生はどん底レベル過去最高(最低?)記録し続けている。
大企業の配属ガチャを甘く見ていた、といえばそれまでだ。
苦手分野の業務、かつ全社の中でも残業時間トップレベルの部署に配属された。
異動したいと1年目から声を上げ続けたが、それは自分の無力さ、影響力の無さを思い知らされるだけだった。
苦手分野故に仕事に熱量を持つこともなく、でも残業は多いから、日々を、会社生活を生き延びるために生きていた。心は死んでいた。
気がつけばなんのスキルもない、生きる気力が削がれた、アラサーOLの出来上がりだった。
四つ目の選択を今、しようとしている
そして私は今、四つ目の選択をしようとしている。
これまでの選択と、大きく違う点が一つある。
トレードオフの選択をしないといけないことだ。
これまでは、自分の選択の先に、明るい未来しか見えていなかったし、
(特に仮面浪人は)一度決めたら努力をするのみだった。
でも今は、私の希望を全て叶える選択肢は用意されていない。
私は、20代から30代においては、
「ふつう」に愛する人と暮らし、
「ふつう」に働き、
「ふつう」に家族や友達と会う、
そんな生活がしたかった。
私にとっての「ふつう」について
少し解像度を上げると、
「ふつう」に愛する人と暮らすとは、
家に帰れば愛する人が待っていて、あるいは愛する人の帰りを待ちながらご飯の準備をする。
「ふつう」に働くとは、
月40-50時間程度の残業をこなしながら、そこそこの自己実現をする。
「ふつう」に家族や友達と会うとは、
2か月に1 回くらい帰省して親に顔を見せたり、週2くらいで友達と夜ご飯を食べたり、土日にランチをしたり。
多くは望んでいない(と自分では思っている)。
大学生に至るまで、「選択」とそれなりの努力をしてきた。
それでも周囲がそれなりに叶えているであろう「ふつう」を叶えられないのは、私が前世で、あるいは今世で、そんなに大きな罪を犯していますか。
それとも、今のところは健康体で生きていることへの感謝が足りないのでしょうか。
もしこの世をメタ的に統治している誰かがいるのであれば、その人にぜひ聞いてみたい。
そんなこんなで今、私はどの選択を取ってもふつうが叶えられないということを悩み過ぎて、全く幸せを感じることができていない。
(もちろん、一定の衣食住があることへの感謝はしている。)
この会社に入るという、「あの選択をしたから」、私は不幸なのである。
「超有名企業」に入ったからといって、幸せになれるわけではないことを示す典型である。
どうです?メシウマでしょう?(笑)
一応補足すると、
私は、「超有名企業」に入るために東京の国立大学を志したわけではなく
学びたいことがあって大学を志し、学んだ結果、やりたいことがあって、就職をした。
よく、「良い企業に入るために、良い大学に入る、そのために良い中高に行く…」みたいな生き方が揶揄されているが、
むしろ、そのような生き方をしてきた人=つまり、この企業に入ることがゴールになっている人の方が、会社に誇りをもって幸せそうに働けているし、活躍もしている。
大企業でやりたいことがある、と言って入ってきた人たちの方が、
理想と現実のギャップに苦しんで、休職か退職をしていく傾向にあると思う。
データを取ったわけではないけど。
運命決定論と自由意志論
ここまで、私の「選択」について論じてきた。
ここで、私が大学の授業で地味に好きだった「哲学」の授業のテーマの一つである「運命決定論と自由意志論」を思い出したい。
初めて授業でこのテーマを聞いた時は衝撃だったが、一方ですぐに腑に落ちた。
文字の通りであるが、運命決定論の世界においては、自らがする「選択」は、自分の意思でしたものではなく、その意思決定に至るまでの価値観の形成さえも、もともと運命で決まっていたのだ、という考え方である(と私は解釈している)。
「運命」というと少しファンタジーな要素があるように見えるが、そうではなく、たとえばこの親の元に生まれて、故にDNAはこうで、兄弟構成はこうで、故にこんな性格が形成されて、こんな人と出会って、故にこんな考え方になって、故にこんな進路を辿ることになり、故に今があって、故に未来はこうなって…という考え方だ。
全てに因果があると考えたらわかりやすいか。
希望的に語られる「選択」は自由意志論の文脈の方が親和性が高そうであるが、わたしは運命決定論を支持している。
今、不幸と感じているのは、三つ目の選択「就職先の決定」によるものであるが、
あの時は、あの状況においては、私はこれまでの人生で培った運命によって、あの意思決定をせざるを得なかった。だからしょうがない。
だけど、これが運命だからといって、それでも人生を諦めたくない、まだ前を向きたいと思っている自分がいる。
きっとこれは、これまで出会った色んな人、色んな経験が私をそう思わせている。これも運命だ。
私の人生のストーリーが、運命によってこれからどのようにアップダウンしていくのか。
ここまで読んでくださったあなたは、もう気になって気になって仕方ないはずです。
この投稿に出会う運命を辿ってくれて、ありがとう。
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